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いいへんじ『薬をもらいにいく薬』を観た人間の自省

 2022年6月15日19時の回を観劇させていただきました。ちょうど自分の課題やら公演やらなにやらがひと段落したタイミングで、心の柔らかいところをツンツンされてしまったので、必要以上に感じ入ってしまいました。台本買いました。舞台観ていない母が読んで面白いって言ってます。(以下ネタバレを含みます)

公式サイト

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あらすじ

旅人のような恋人が 帰ってくる日がやってくる
花でも買いに行こうかと 外に出ようとしたけれど
外に出るためのあれがない あるのは不安と不満だけ

公式サイトより引用

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 舞台美術はシンプル。背景は暗幕で、中央にソファー。四角い木製の、図工室にあるような椅子が場面によって移動して、花屋の台になったり、カフェの机になったり、電車の座席になったりする(写真1)。全体の色味がそろっていて、優しい雰囲気を醸し出していました。

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写真1(左手前から、マサアキ、大学生1、大学生2、ワタナベ、ハヤマ)
https://twitter.com/ii_hen_ji/status/1538127552123850752/photo/3

 詳しいストーリー。
 舞台は西荻窪のハヤママミとマサアキの家から始まる。ハヤマは、現在持病の不安障害のため1か月ほどカフェのバイトを休職し、家にひきこもり休んでいる。しかし、その日はパートナーのマサアキが出張で行っている九州から帰ってくる日であり、彼の誕生日でもある。意を決し羽田空港まで迎えに行こうとするが、手元にこころを落ち着ける薬を切らしていることに気が付き、二進も三進もいかなくなる…。と、そこでインターホンが鳴る。来訪者は、同じバイト先で事情を分かっているワタナベ君だった。なんでも、シフトの紙をハヤマに渡すよう店長に頼まれたのだとか。ハヤマにとっては渡りに船というか、最後の頼みの綱というか。とにもかくにも、彼に羽田までの同行を頼むことにした。
 その後、ハヤマは家を出るまでに、ワタナベと電車、花屋、羽田とシミュレーションをし、なんとか大丈夫そうになったり(写真2)。一方ワタナベはパートナーのソウタと最近連絡がつかず、上手くいっていない現状を吐露したり。マサアキはマサアキで一本早い便で帰ってきていて、ハヤマのバイト先のカフェに行っていたり。ソウタは日ごろの不安や不満を言葉にして伝えるため、なんとか久しぶりにワタナベに電話をかけたりする。
 最終的には、ハヤマとワタナベが西荻窪から中野に行った時点でマサアキが西荻窪にいることがわかり、二人ともパートナーのために花とケーキを買って帰る。

画像2

写真2(左から、花屋2,花屋1,ハヤマ、ワタナベ)
https://twitter.com/ii_hen_ji/status/1535522934894174208/photo/2

 そう、物語としては、回想シーンなどはあれど一日の内の数時間の話なのです。移動距離も、西荻窪の自宅から中野のケーキ屋と花屋まで。ですが、物理的には全然動いてなくても、人と向き合う態度や考えなどは大きく変化していました。それは、人と人の間に正直な言葉と嘘のない態度だけがあったからだと思います。
 ワタナベとハヤマは、お互いがお互いのパートナーと似ていました。そんな彼らが手を繋ぎ、共に歩き、胸の内をさらすような会話をすることで、とても大きな学びを得て、再び自分のパートナーと向き合えるようになる。それはとても貴重な経験で、そんな出会いや出来事は、滅多にないと思います。そういう滅多にないラッキーが舞台上で起きると、「ご都合主義」や「できすぎ」という言葉がよぎることがたまにあるのですが、今回はそういうことが全くありませんでした。それはなぜか。私の中に浮かんだ主な理由は二つ。一つ目はキャラクターの距離感に無理がないこと。二つ目は、役者の皆さんの芝居が極めて自然なことです。

 一つ目について。ハヤマはワタナベに、思ったことをかなり正直に口にします。それは、状況的に追い詰められていてワタナベを頼るしかないからでもあるし、ワタナベが頼ることを促しているからでもありますが、一番の要因は、彼らがそこまで親密ではなく、しかし疎遠でもない距離感の人間だったことが大きいと思います。例えばこれが幼馴染とか、大学の友人とかだと、ちょっと近すぎる気がします。なんでだろう…共通の知人がいすぎるから?素の部分を見せすぎているからかも。加えて、その関係がちゃんと劇中の時間をかけて描かれていたので、違和感なく観ることができました。
 他人だから、普段言えないこともぶっちゃけられるという経験は、誰しも心当たりがあるのではないでしょうか。仲良くなりたい人にはよく思われたいから、自分のめんどくさい面や過去を明かしたくはない。嫌われるリスクがかなり高い。それができるのは、明かしてもいいくらい極めて身内の人間か、明かしたところで何の影響もない人間に対してだけではないでしょうか。私の感覚では、自分の過去やめんどくさい面を明かすということは、自分のしんどみという重荷の片棒を担がせることになり、言い換えると「迷惑をかける」に近いです。しかし、その一線を乗り越えられた先に、心の奥でつながれるような人間関係があることも知っています。
 舞台上で、近くも遠くもないワタナベとハヤマはお互いの話をぶっちゃけて、これまでの自分の態度を反省する。それをきちんと経ることによって、お互いの大切な人…ワタナベはソウタと、ハヤマはマサアキと、電話で相手の言葉をちゃんと聞き、そして自分の感情や言葉を伝えられるようになるのです。

 二つ目のお芝居について。私、台本を買って黙読したのですが、所要時間は37分43秒でした。これが、舞台上に立ち上がると100分になる。転換や発話の時間を考えても、100分の演劇用としてはかなり言葉数の少ない台本なのではないかと思います。それはつまり、「…」の部分、間がしっかりとられていたという事です。
 前半のハヤマの家のシーンはテンポよく、コメディタッチに進んでいきます。必死なハヤマとひょうひょうとしたワタナベの会話は心地よく、また二人とも楽しそうです。本当に思ったことをポンポン口にしているだけって感じが、超気持ちよかったです。
 打って変わって後半、特筆すべきはやはり、ワタナベとソウタの電話のシーンでしょう。ソウタがワタナベに、ずっと言いたかった胸の内をポツポツと語ります。台本上でも「…」が多いのですが、観ていて間延びを感じることはありませんでした。ソウタが自分の中から言葉を何とか探し出してワタナベに伝わるように話そうとしている様子や、ワタナベがソウタの言葉を受けて、途中で聞き返さないよう意識しながら理解に努める様子は、すごくリアルで。視線の使い方や手のポスチャー、立ち姿などの芝居がすごく自然だったのだろうと思います。また、芝居に全く嘘がなかったのだろうとも思います。過去、自分が芝居をするときに、「面白いことをしようとするな。心から感情を動かせば会話するだけで面白くなるから」と言われたことを思い出しました。簡単なことではありません。しかし、今作の役者の皆さんはこれが素晴らしかった。だから、物語がスッと入ってきたのだろうと思います。
 電話のシーンを観ているとき、私は客観的に、本来電話していたら見えるはずのない距離にいる二人を同時に視界に収めているはずなのに、二人のそれぞれの主観視点の映像が脳裏に浮かびました。おそらく、大事な話をしているときの、視界の情報を遮断して耳から入ってくる言葉を脳内で整理している感覚を、二人を通して味わったのだと思います。それほどまでに、私の経験に肉薄した空間だったのです。
 相手の話を聞いている身体があることは芝居の上で重要で、会話が会話として成立しているそれだけで人の会話は面白くなる、ということを改めて実感いたしました。

 台本だけで読んでもとっても面白いです。ぜひ。

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 観終わった時、「あ、もしかしたら、誰かに寄っ掛かってもいいのかも。相手の迷惑とか、思考の先回りをしないでもいいのかも」と思うことができました。いいへんじは、そうやって人と生きることを肯定してくれます。しかし私は、一人で自分の足で立っていたいとも思います。完璧な、理想的な私でありたいとも思うのです。笑うことも泣くことも、自分のせいでありたい。そういう尊大な自己矛盾を抱えていることが苦しくなるときもあります。そんな自己矛盾を愛せるような強い人になりたいです。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

瀧口さくら

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