『キレちゃう心の相談室』:もつねこ

40年ほど感じていた生きづらさから解放された私が、どんな思いを持ちながら生きてきたのか…

『キレちゃう心の相談室』:もつねこ

40年ほど感じていた生きづらさから解放された私が、どんな思いを持ちながら生きてきたのか・どうやって「解放」されたのか… これまでの体験や自分の好きなことを紹介しながら、お話ししていきます😊

最近の記事

ワープして…2020年9月の回想録

突然ですが…ブッ込み投稿をしていきます。 私はFacebookに2021年の年明けから、自分が感じた、記録しておきたい出来事と思いを綴るようになりました。 これまではSNSで自分を語るなど、とんでもないことでしたが (過去、ものすごーく暗いブログを書いていたことはありますけど💦) 2020年の秋ごろから、人生が劇的に変わる体験をして以降、SNSでの発信もできるようになり、そこでつくられる人間関係まで楽しめるようになりました。 なぜ、私は変わったのか。 それをこの1週間、F

    • 罪悪感・劣等感の塊になって別居解消

      1回目の別居で考えたこと② の続きです。 夫の妹夫婦の結婚式に出て「人生を楽しむ」という言葉に感銘を受けまくった私は、いかに人に恵まれてきたかも思い知り、これまでの自分の生き方を猛烈に反省しはじめました。 こんなに人様に良くしてもらっていたことに気づかなかったなんて、なんていう愚か者なんだ!とばかりに、今度はこちら側に極端に、病的なまでに反省しまくりました。 そして、世の中に対してふて腐れていないで、人や環境のせいにしないで、自分ができることを精一杯やろう!役に立つ人間

      • 2022年の幕開けとともに

        2022年(令和4年)あけましておめでとうございます! ずいぶんと間を空けてしまった「note」の投稿ですが、また少しずつ書いていこうと思います。 去年(2021年)の3月以降は、Instagramの投稿にチャレンジしたところで… あれこれ一度にやるのが苦手な私は、ひとまずはInstagram(以下「インスタ」)に、注力していました。 インスタで私は『キレない心の相談室:室長 澤田美和子』と名乗っています😊 こちらの肩書(?)は、私が尊敬しているイメージコンサルタントの

        • 1回目の別居で考えたこと②

          不妊治療の厳しさにに挫折し、自分の価値の無さ・やり場のない怒り・方向性を見失って自暴自棄になった私が夫から離れ、実家に居候する形での別居を始めてから2か月半経ったとき、前々から「出席」の連絡をしていた、夫の妹の結婚式に行きました。 正直、どの面(ツラ)下げて?という、後ろめたさや罪悪感まみれで、とくに義理の両親には合わせる顔がないなぁ!と思いながらの出席でした。 しかし、久しぶりに再会した義両親は、私を1㎜も責めることなく「よく来てくれたね、ありがとう」と、迎えてくれたので

        ワープして…2020年9月の回想録

          1回目の別居で考えたこと①

          生活力の無かった私が頼った実家は、ここの初回の記事に書いた通り、毒親である実母が仕切る環境。 父も姉も、そして母も温かく迎え入れてはくれましたが 「あー、我が家ってこうだったな。。。」 という、小さな緊張が毎日続く生活がスタートしました。 とにかく、両親の仲が最悪で、家庭内別居とでも言うのか… まったく会話が無いのです。 要件は手書きの小さなメモ、またはメールで。 父が廊下を歩いている気配がすると、母はその気配が消えるまで待機。逆も然り。 姉は母とは話すけど、父とはほとん

          ドン底まで落ちた1回目の不妊治療

          39歳の1月に、当時住んでいた都市でNo.1実績のレディースクリニックで妊娠を目指した不妊治療を開始し、2月には卵管造影検査・子宮内膜掻把手術を、4月には人工授精1回目をしましたが、まったくかすりもせず。 「だいたいね!あなたね!ヤル気あるんですか?!こんな近くに住んでいながら『待ち時間が長すぎる』だなんて文句言う人、妊娠する訳ないんですよ!ウチはね、500㎞も離れた田舎から泊りがけで来る人もたくさん居るの!そういう人ですよ、妊娠できるのは!あなた、仕事辞めなさいね。命を扱

          ドン底まで落ちた1回目の不妊治療

          妊活→不妊治療のスタート

          自己否定が強いまま、そして自分の生育環境のひどさを思い知ったまま、私は妊活を始めました。 妊娠可能性の診断をしたくて、当時住んでいた都市で最も実績のあるレディースクリニックを受診。 初診で1時間待ちでした。そして待合室の混雑ぶりを見て、さすが有名クリニックだなぁと感じたのですが… 院内の医師・看護師の応対の粗野なこと! 診察室前の順番待ち用のイスに座っていると、診察室の医師の声が丸聞こえなのです。 医師の怒鳴り声・泣きわめく患者の声。「え?」と思いました。 どの診察室からも、

          「自分は被害者」という発想では自滅?

          『子どもが育つ魔法の言葉』を読んで衝撃を受けた私は、私の育った家庭環境はなぜこんなにも理想からかけ離れていたのか、その時は考えることができませんでした。 そして、家庭内でもっとも影響力の強かった実母を責め始めました。 「毒親」…まさに、私の母は毒親そのものだ!!! そして今度は 『毒になる親 一生苦しむ子供』(スーザン・フォワード著)を読むことに。 私はこの時に悟りました。私の母親は、絵に描いたような正真正銘の毒親だと。 暴力を振るわれたり、目に見えて危害を加えられたことが

          「自分は被害者」という発想では自滅?

          「生きづらさ」の根本を自覚したキッカケ

          こんなことを書いていいのか、少し気が引けますが、私は「毒親育ち」・「機能不全家族育ち」です。 そのことに気づいたのは、自分が親になることを決意した、39歳の時でした。 結婚したのは33歳でしたが、親になる気が全くなかったのは 「この世はツラく・厳しく・忍耐の必要な場所」であると思っていたからです。 そんな「この世」に、生命を誕生させるなんて。 しかも私は自分のことが大嫌いだったので、こんな私の遺伝子を受け継ぐ子どもを世に送り出してはならない!とも思っていました。 でも、夫はず

          「生きづらさ」の根本を自覚したキッカケ