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古き良き時代の亡霊の詩

岡村隆史さんのラジオ発言の炎上、そして謝罪放送で公開説教した矢部浩之さんが放った「幽霊みたいやで」の言葉に亡霊を見た。

亡霊とはなんぞや

亡霊。古き良き時代に囚われて、そこから歩みを進めていない存在に対して、この言葉わ使われることがある。

漫画『ヘルシング』に登場するミレニアムなる機関がある。それは第二次世界大戦のナチスドイツから逃れられぬ亡霊的存在として描かれる。

そんな壮大な話をしなくても、もっと身近に亡霊はいるか。

何年経っても、元恋人への執念に取り憑かれている人も、ある種の亡霊だと言える。今目の前にあるものも全て、それに見えてしまう。その時代の何かに引っ張られてしまう。

他にも、いわゆる今がパッとしないので、過去の栄光に縋り付いて他の話をしようともしない。キラキラだった時代の自分のままのように振る舞う。

逆に、いつまでもいつまでも、やらかしてしまった失敗に意固地になってしまうこともある。挽回も目指さず、うじうじと座り込むのだ。

生きる今よりも過去に重きを置いた時、肉体は死なずとも精神は死ぬ。すなわち、亡霊となるのだ。心当たりのある誰かの顔が浮かびはしないか。或いはその顔は自分自身かもしれないが。

志村けんさんの死による懐古波及

新型コロナによって、お笑い界のレジェンド・志村けんさんが急逝した。

志村けんさんの作るお笑い文化が詰め込まれた『志村けんのだいじょうぶだぁ』がYouTubeにて無料公開中だ。

子供の頃に慣れ親しんだ世代のなかには、亡霊と化した人も少なくないだろう。

ツイッターランドでは、男性嫌悪主義の思想テロリストによる故人を貶める発言も多かった。古き良き想い出を踏みにじられて、怒りによって亡霊化した人もいることだろう。

世界をどん底に引き摺り込もうとする新型コロナの災厄は、確実に亡霊を作り出していく。暇を持て余した人たちもまた、亡霊へとなっていく。

ウタヲウタオウ

死に体の世界なのだから、今は生きるよりも、亡霊となった方が気が楽かもしれない。明日に生きる為に、今は死んだようにするのも、生存戦略なのかもしれない。

亡霊ばかりでは世は回らない。だが、世の方が回ってくれない今なのだから、僕ら実は亡霊となった方がよいのかもしれない。

いつか蘇るに相応しい日が来るまで、僕ら亡霊になって揺蕩うしかないのだ。





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