中国と日本の儒教における「孝」と「忠」の優先順位

儒教は、中国と日本の両国で重要な役割を果たしてきましたが、その解釈と実践は文化的な背景により異なる場合があります。特に、「孝」(先祖・年長者への敬意)と「忠」(主君や国家への忠誠)という二つの重要な概念については、その優先順位が異なります。


中国の儒教の孝

荀子の弟子韓非による儒教の孝批判

荀子の弟子である韓非『韓非子』に儒教の「忠」より「孝」が上位であったことについて批判があります。

魯人従君戦、三戦三北。
仲尼問其故。
対曰、
「吾有老父、身死莫之養也。」
仲尼以為孝、挙而上之。
以是観之、夫父之孝子、君之背臣也

『韓非子』

中国の儒教では、「孝」が「忠」よりも優先されます。これは、先祖を崇拝し。先祖や年長者への敬意が、個人の義務とされているからです。

儒教と先祖崇拝

儒教では、「孝行」または家族への奉仕は、先祖崇拝、年長者親への服従、または「天子」という家族の隠喩を使って皇帝とその政府を対象とする形をとることです。この奉仕は、家族が儒教倫理のための最も重要なグループであり、家族への奉仕は周囲の社会を強化することとされました。

中国の先祖崇拝は、子供が生きている間に親を尊重し、死後に彼らを崇拝すという基本的な儒教の考え方と明らかに一致しています。

中国の先祖崇拝は、宗教的伝統、地理的地域、社会経済的グループの境界を越えています。新石器時代にさかのぼる先祖崇拝は、中国の宗教文化の最も古く、最も影響力のある要素の一つであり、祖先の霊を鎮めるための犠牲が、中国で書かれた最古の存在する文書である商代の甲骨文に記されています

日本の儒教の孝

日本の儒教では古くから、「忠」が「孝」よりも優先されてきました。
「忠」は、社会の秩序を維持し、主君の利益を家の利益よりも優先するという価値観を反映しています。

平安初期『経国集』巻第二十の忠孝談義

空海の意識としては、功徳は先ず国家に廻らし、ついで両親という順序を守っている。
このような空海の見解は、当時、日本における忠孝の比重関係をそのまま継承したものと思われる。平安初期の『経国集』巻第二十には、忠と孝のいずれが重要であるかの議論が掲載されている。その結論としては、「今日の旨を探るに、すべからく忠を先にし、孝を後にすべし。」となっている。

空海にみる忠と孝
松長有慶
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/43/2/43_2_600/_article/-char/ja/

保元の乱 父為義を斬った源義朝

保元の乱の結果主君後白河法皇の命により源義朝は父為義を斬首しました。

『平家物語』における武士の「孝」と「忠」
広島大学大学院教育学研究科紀要. 第二部, 文化教育開発関連領域 62 号 404-396 頁 2013-12-20
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00035389

頼山陽『日本外史』

日本の「孝」と「忠」については、頼山陽『日本外史』による平重盛のことばが有名です。

「保元の乱に、源下野守、敕命を以て六條判官を斬りき」
忠ならんと欲すれば則ち孝ならず。孝ならんと欲すれば則ち忠ならず。重盛の進退此に窮る」

頼山陽日本外史
https://www.raisanyou.net/%E9%95%B7%E6%9C%9F%E9%80%A3%E8%BC%89-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%96%E5%8F%B2-%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%BF%E3%82%88%E3%81%86/%E5%B9%B3%E6%B0%8F-%EF%BC%95%EF%BC%91-%EF%BC%96%EF%BC%90/

近世・近代の忠孝

江戸時代の武家の主君、明治時代になり国家の天皇に対し「孝」より「忠」が優先はかわりなく伝統ととなっていました。

近世日本における儒学の「孝」倫理の変容について 江 新興https://core.ac.uk/download/pdf/236559417.pdf

教育勅語の徳目「忠孝」をめぐる教育史的流布説の再考察http://meijiseitoku.org/pdf/f47-5.pdf

日中の『杜子春』に「孝」の違いが見える

日中の「孝」の違いを比較できる小説『杜子春』が興味深いです。


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