「書く」とは「食事」みたいなもん【書く学】
どうも、佐々木(@moto_ssk)です。
先週創刊した「日刊【書くメシU30's】マガジン」ですが、早くも1週間が経過しました。今日から2週目に入ります✌️
先週は1週目ということもあり、「#自己紹介」をテーマに更新してきました。個性的なメンバー揃いですが、いかがでしたか?
今週は「書くメシ」らしく、私にとって「書く」とは?をテーマに、それぞれの「書く」について綴っていこうと思います。
題して、【書く学】です。
僕にとって「書く」とは「食事」みたいなもん
まず結論ですが、僕にとって「書く」とは「食事」みたいなもんです。
みなさん、毎日「食事」しますよね?
何かしらの理由で絶食をしない限り、生活を送る上で「食事」は欠かせない行為ですよね。僕にとって「書く」ことは毎日欠かせない行為なんです。
というのも、「書く」時間は内省の時間になってるんですね。
ひらたく言えば「反省」です。
「反省」と聞くと何か悪いことをしてるみたいな印象ですが、そうではなくて。自分の行為に対する反省というより、思考に対する反省です。まあ、自分の考えを整理するということですね。
そのあたりの話はブログにも書いてるのでぜひご覧ください👇
「よく噛んで食べなさい」は「よく省みて書きなさい」
食事する際、お父さんやお母さんから、
よく噛んで食べなさい!
と、しつけられた経験があるかと思います。
丸呑みは喉につまる危険がありますし、何より味わえないですよね。
僕は「書く」うえでも「よく噛む」ことは必要だと思っています。
というのも、よく噛んで味わった思考があるとスラスラ書けるからです。
どうしても書き始めのころって「どう書くか?」といった小手先の表現方法に気を取られがちです。読みやすい文章を書こうとか、見出しはどうしたらいいだろうか?とか、全部で何文字程度がいいんだろうか?などです。
そして皮肉にも、そういう小手先の表現方法はググればたくさん出てきます。たくさん出てくるだけにどれを信じていいやら…と思考停止にも陥ります。結局、何を信じるかという軸が自分のなかにないと翻弄されてオワリ。
さらに言うと、小手先の表現ばかりを磨いてたどり着く先は一般化です。
気づけば「ん?これどっかでも見たことある」にカテゴライズされ、オリジナリティの「オ」の字もない状態になってしまいます。
小手先の表現はいつでも磨くことができます。
それよりもまず磨くのは「自分の咀嚼の仕方」だと思っています。
やっぱり「自分の思考」は自分しか持っていないですから。
いちばんのオリジナリティの源泉です。
「よく噛んで」ではないですが「よく(自分の思考を)省みる」ことができれば、それが何よりものオリジナリティになるんだと思います。
「思考の型」という名の「レシピ」をたくさん持つ
「オリジナルな思考って言われても…そんな高尚なこと…」
と悲観する必要はありません。「書く」とは「食事」みたいなもんですから大いにつまみ食いすればいいんですよ。
・この人の考え方いいな!好きだな!
・なるほど、そういう考え方もあるのか…
・たしかに、こう考えるとスッキリするな
という経験、多少なりとも感じたことありますよね?
他人の思考に触れる機会なんて、目の前にごまんと転がってます。
そういうときはつまみ食いして、自分のなかに一旦取り入れるとOK。
僕みたいな凡人がいきなりオリジナルな思考なんて手に入れることはできません。僕はいつもつまみ食いしてますよ。
ただ、取り入れてみてどうか?という振り返りは欠かさずしてます。
つまみ食いは「コピー」ではありません。あくまでつまみ食いです。
つまみ食いを繰り返すうちに、
・これとこれ混ぜてみるといいんじゃない?
・あれとこれだったらあっちの方がよかったな
・んーこれならやっぱこっちの方が好きだ
と、知らず知らず「オリジナル」という調味料が加わっていきます。
たくさんつまみ食いすることで、「思考の型」という名の「レシピ」をたくさん持つことができます。ぜひつまみ食いしてみてください。
改めて、僕の【書く学】は「『食事』みたいなもん」です。
毎日欠かせない行為であり、自分のアイデンティティを形成する行為です。
大いにつまみ食いして、よく噛んで、自分なりの「レシピ」を。
明日火曜日は、お茶を愛してやまない「こい茶」さんです。
彼女の【書く学】に興味津々ですw
今週も「日刊【書くメシU30's】マガジン」をよろしくお願いします!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?