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スタジオジブリの「変態性」を見た(ジブリパーク感想)

先日、念願のジブリパークに行ってきました。
事前にいろんな人のブログを読んだりYouTubeを見たりして、周到に準備して計画して。
それはそれは楽しみにしておりました。
行ってみた感想としては、期待通り、いや期待以上に楽しかった!!!

……のですが。
ただ「楽しかった」だけでは言い表せない、なんかこう、心の奥に刺さるものがありました。
上手く言えないけど、「なんかスゲェものを見てしまった」感というか。

今回の記事では、
『効率の良い回り方』とか『待ち時間情報』とかそういうお役立ち情報ではなく(そういう記事も書きたいと思ってますが)
純粋に『私が感じたこと』を、熱が冷めないうちに書いておきたいと思います。

ファーストインパクトは「サツキとメイの家」


ジブリパークを訪れた私がまず感じたのは、
「作り込み半端ねぇな」
ってことでした。
最初にトトロのエリアである「どんどこ森」に行ったのですが、そこにはサツキちゃんとメイちゃんが暮らしている、あの家があります。

展望台から見たサツキとメイの家

外観や間取りなども忠実に再現されているのですが、中に入ると、古い日本家屋の匂いがします。
愛知万博のときに建てられたということで、建物自体はそんなに古くないはずなのに、古い家の匂いがする……。きっと、材料とかも当時(昭和30年代)のものを使ってたりするんでしょうね……。その時点で、ガチで作り込んでることが伺えます。
で、なにがすごいって、引き出しとか押し入れとか、開けていいんですよ。中の物も触ってOK。(一部触れないところなどは注意書きがあります)
食器も、文房具も、服も、布団も、本も、おもちゃも。ハリボテではなく、ぜーーんぶ本物。しかも、その時代に使われていたもの。

このマジック、めっちゃ懐かしくないですか?

どれもこれも、真新しい状態ではなく、ちゃんと「使われている」んです。これらを準備するのに一体どれほどの労力と時間が掛かったんだろうか……と思うと、気が遠くなりそうでした。

押し入れにあったクレパス。緑の減りが早いのは山や森をよく描くからでしょうか^^

大勢が触るということは、それだけ、劣化も早いはず。
古いものだと今は製造されていないものもありそうだし、維持するのも相当大変だろうなぁ。
それでも、この家をつくることを決意してくれたジブリに感謝と尊敬の念を抱かずにいられません。

衝撃の企画展「食べるを描く。」

「サツキとメイの家」に感動した私ですが、その後訪れた「ジブリの大倉庫」で更なる衝撃を受けます。
一番ブッ刺さったのが、企画展示「食べるを描く。増補改訂版」でした。
いやーーーーすごかった。
ジブリ作品って、印象に残る食べ物とか食事のシーンがよくあるじゃないですか。
そのシーンの絵コンテや原画、解説が展示されています。
その絵コンテや原画に書き込まれた指示が、もうめちゃくちゃ細かくて。
画面には数秒しか映らない、ストーリーにもまったく関係ない食事のシーンが、どれほどのこだわりを持って作られているのかがわかります。

展示を見ながら、
「いや、もう変態やん……」
と思わず呟いてしまいました。(もちろん褒めてます)

たとえば「天空の城ラピュタ」で超有名な、パズーとシータが目玉焼きのせパン(通称:ラピュタパン)を食べるシーン。
ただパンに目玉焼きがのっているだけなのにやたら美味しそうに見え、真似してつくったことがある人も多いはず。(もちろん私もその一人)

パズーが食べてるシーンの絵コンテには
「大口あけてパクつく 目玉焼きが全部ビロッと来てしまうがそのまま全部口に入れちゃう」
という指示が入っています。
で、パズーに続いてシータも食べるわけですが、シータも目玉焼きを噛み切れず、結局全部口に入ってしまうんですよね。
見た人がみんな「分かる、そうなるよねw」となるシーンです。
そこの絵コンテには
「真似してるわけでなくこうなっちゃう」という指示が。

この一文を見たとき、ガツーンと頭殴られたような衝撃を覚えました。

正直、シータが目玉焼きを噛み切れたとしても噛み切れなかったとしても、ストーリーにはまったく影響ありません。
でも、あえて噛み切れないように描かれている。
たしかにシータは目玉焼きを全部口に入れるつもりはなくて、でも結果的にそうなっちゃってました。
それはリアルさの追求でもあるけれど、きっと「同じ体験をすることで、パズーとシータが打ち解け合っていく」という表現でもあるんだなと。
このシーンの中で、2人が親密になっていくのが自然に感じ取れるのはこういうことだったのですね……。

更にすごいのは、同じものを食べているけれど、よく見ると食べ方は全然違うこと。
大口を開けて食べるパズーと、上品にかじるシータ。
2人の性格がよく表れています。
言われてみるとたしかに、食べ方ってその人の性格が出る部分です。
そして、一緒に食事をすることで、相手と仲良くなれたりすることもある。

つまり食のシーンは、「美味しそうに描く」、「リアルに描く」ことはもちろん、「心情や性格を表現する」という役割も持っているということです。
だからジブリは、食のシーンにこんなにこだわっているのか……。
その作り込みの熱量と、それを忠実に再現するアニメーターさんの力量に圧倒されてしまいました。
改めて、恐るべし、スタジオジブリ。

心の奥に引っ掛かったものの正体

ジブリパークから帰ってきて数日経ちますが、まだちょっと現実感がないというか、衝撃から抜け出せないでいます。
もちろん「あぁ、楽しかったなぁ……」という余韻もありますが、それだけでなく。心の奥に、なんだかモヤモヤした気持ちがある。

そのモヤモヤの正体はおそらく、「作り手」としての私の気持ちです。
小学生の頃からジブリ作品をたくさん見てきた、ジブリ作品の「受け取り手」としては、ジブリパークは文句なしに楽しかった。

でも、私も一応、趣味ではありますが小説や脚本を書く「作り手」の端くれでもあります。
こんなに、圧倒的にすごいものを見せられると、自分の作品があまりにもちっぽけで自信をなくしてしまうというか。
たった一つの食事シーンに対する作り込みの細かさに感動する一方で、「ここまで作り込まないと名作は作れないのか……。自分には無理だな」とどうしても思ってしまいます。いや卑屈ですみません。

(あ、もちろんめげずに創作は続けたいし、こういう素晴らしいものから何かを吸収して成長したいと思ってます。ただ、今は、あまりの衝撃に眩暈がしてしまっているだけです。)

ジブリの、「食」のシーンに対する変態的なまでのこだわりが、作品に奥行きを持たせて印象的にしているのは間違いありません。
私も、自分の変態性を見つけたい。
私が、とことんこだわって表現したいことって何だろう?
この記事を読んでくださった皆さんは、どうでしょうか。
変態性、お持ちですか?

(ちなみにこの企画展示のパンフレットも販売されています。企画展示室内は写真撮影禁止だったので、何度も見返したいという方は購入をおすすめします!)

速攻で買いました


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