これもなにかの儚さか。

 「永遠なんてものはない」とは言われすぎて飽きてくるぐらいの表現だと思う。ただそれだけ言われるということはそれなりの根拠があるのだろうし、それなりに当てはまることが多いから言われ続けるのだろう。では、なぜ永遠ということばが出てくるのだろう。

 永く遠くと書かれるこの言葉は、変わりゆく時間のようなものの中で不変なものを指している。そのような存在の概念が誕生したのは哲学や宗教の世界のように思う。それは、神や超能力のような、常に人類によって探されている拠り所なのではないか。

 変わらないものなんてないのに、それを求める。不老不死の薬だって、永久機関だって、不思議の国のアリスだって、ピーターパンだって、この世には存在しないくせに、創作の世界では無限にあるものだ。求めているから叶わないのか、まだその時でないだけか。そんなことを無限に考える。

 そんな考えを巡らせるたびに、自分のスタンスを思い知らされる。僕は無限に続くものを考えながら、存在しないことを理解してしまっている。悲しいのか悲しくないのか。好きな人やものができるたびにその終末を考えてしまう。真木博士のように終末が最も美しいなんて思ってはいないけれど。自分の中でそれが終わる瞬間を、そしてその先をつい考えてしまう。そうなると、何かを頑張ること、何かを好きになることを徐々に諦める。刹那的なテンションを選ぶようになっていく。将来への努力よりも、今すぐに手に入る快楽を求める。恋人になるまでより、別れた後のことを考える。何かに金を投資することをある種の束縛のように捉える。

 どうせこの偏屈さは永遠に変わらないのではないかと思ったときにふと思い出す。そう言えば永遠なんてないのだった。この孕んでいる自己矛盾を抱えたまま、僕は今日も寝て、明日を生きていくのだ。

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