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「ガチ中華」に抱く違和感

2022年頃からメディアに登場した「ガチ中華」という言葉。ガチというのは、町中華の町にかけてのことなのだろうが(2022年5月10日放送の『マツコの知らない世界』では「マジ中華」と呼んでいた)、こうした言葉に違和感を覚える。

「ガチ中華」登場以前、だいたい2019~21年頃。田野大輔氏など、一部の中国料理好きの間では、在日中国人が同胞をターゲットにした中国料理のことを「現地系中華」と呼んでいた。現在検索しても確認できなかったが、一部webメディアでも大阪の島之内は鑫福を例に、現地系(あるいは中国料理)という呼称で紹介していた記憶がある。

「ガチ中華」が指しているのは、だいたい今の中国で流行っている料理や中国人に親しまれている料理のことなのだから、以前のように中国料理か現地系中華でよいと思うのだが、キャッチーさを狙ってガチと名づけたのだろう。

ただ、この「ガチ」という言葉からは、いかにも他人事感がして好きではない。例えば、ガチ恋は自身の感情や振る舞いをネタ化しているし、ガチ勢は相手を揶揄する際によく使われている。本当に怒っているときにガチギレを使う人はいない。ガチのつく言葉はだいたい、ガチなものとそうでないものとを分けた上で、逆に意味を軽くしている。そこには距離しか生まれない。

メディアで紹介されるガチ中華は、唐辛子や花椒がたっぷり入った四川料理、大きい鍋にトウモロコシで出来たパンを大量に貼り付けた铁锅炖、ザリガニやカエルなどの見慣れない食材、この三つが多い。デカさや見た目のインパクト重視は、テレビ的な映えを意識してのことなのだろうが、極端なことを言ってしまえば、そこにオリエンタリズム的な眼差しを感じてしまう。

ただ自分たちの味を提供しているだけなのに、外部からガチだと呼び、物珍しいものとして消費する。そうした態度がどうしても透けて見えてしまうのだ。

飲食店でお金を払って食事をすることには何の問題もない。テレビのガチ中華特集を見て、食べに行くのもいいだろう。ただ、そこから交流へと発展させず、文化を知ろうともしなければ、ディープ案内や夜ふかしと同レベルのダメなサブカルに過ぎないのではないか。

異国飯ライターの山谷剛史氏のレベルまでやれとは言わないが、せめてこれを読んでいるあなたは「ガチ中華」という情報を食べるだけじゃなくて、そこから広がる色んな味を味わって欲しい。

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