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非効率に生きること

娘が生まれて2年が経ちました。
最近ではしっかりと文章を喋るようになった娘とコミュニケーションを取れるようになり、喋る前を忘れてしまいそうになるくらい見えている世界も変わりました。
好奇心が強く、何にでもチャレンジし、失敗してもへこたれない姿は2歳児ながら尊敬します。
(写真は庭で収穫した里芋を洗ってくれる娘)

そんな少しおませな娘ですが、未だに毎朝私が先に起床して朝の準備をしていると、「お母さんかいない‼︎‼︎」とこの世の終わりかのように起床します。
そのあとはずっとベタベタ。足にまとわりつき、抱っこをせがみ、絵本を持ってくる。朝食の準備を夫にしてもらい(アリガトウ‼︎)、さあ朝ごはんとなると「おっぱい〜」。普通にご飯を食べられる日はいつだろうと思いつつ、授乳ながら朝ごはん。
バタバタと片付けたあとは時間切れで洗濯物を夫に任せ(ホントアリガトウ‼︎)、娘を保育園に。…と、その前にチャイルドシートの戦い。私が乗せようとすると必死の抵抗で乗せられず、結局また夫に助けを求め(ホント…以下略)乗ってしまえばご機嫌に車で歌い踊りながら保育園へ。着いたら着いたでスタッフさんに抱っこしてもらえるまで母にしがみついて離れない。
ついに送り届けて職場へ。

そこからはもうとにかく定時まで仕事、仕事。定時に迎えに行くためなら昼休みの仕事も厭わない。

ほぼ定時で帰らせてもらって、保育園へダッシュ!
「おかあしゃ〜〜ん!!!」
全力の叫びと満面の笑みに迎えられて、さあ帰ろう。
…のはずが。まずは車で授乳タイム。終わると元気になって、園のスロープで遊びたくなってしまう。帰るお友達みんなにバイバイし、気づくとお迎えから50分。保育園から家まで30分かかるのでやっと帰り着いた時にはもうヘトヘト(私が)。
そこからお風呂に入る・入らないで揉め、やっと服を脱いだら「トイレー!」、お風呂から上がると服も着ずに脱走!やっと晩ご飯…と思いきや席につくなり「おっぱい〜」
結局ろくにご飯も食べぬまま絵本を読んで歌って踊って、おっぱいで寝かしつけ。
うまくいけば20時就寝。やっと私の時間☆のはずが一緒に寝落ちして一日が終了。

書いてみて改めて思うのは、子育ては効率と正反対だということ。
私が色々な思いがあって仕事をフルタイムにしたため、平日娘と過ごせる時間が減ってしまい、一緒にいる時間は何とか生活が回る範囲で子に向き合いたいと思っています。
余裕のある休日も遠出はやめて近場で一緒に虫の観察やお散歩が増えました。


ところで、1973年に書かれた小説『モモ』では、時間泥棒の巧みな話に心奪われて「時間を節約して生きることは賢いこと」という考えに囚われてしまった大人たちが描かれています。
今まさに読んでいてハッとさせられます。

効率化、合理化、時間の節約のために、大切なことを失っていないだろうか?むしろ非効率で非合理で時間がかかることこそ、生きるということでは無いのだろうか?
私は車や家電を使っていて、すでに十分すぎるほど文明の恩恵に預かっています。
今ここで立ち止まって、大切なことは何なのか改めて考えたいと思います。


3年前に「食べることは生きること」だと書きましたが、最近のテーマは「非効率に生きること」。

変化の速い社会の焦りに負けないように、ゆっくり丁寧に過ごしていきたいと思います。
いつも大切なことを教えてくれる娘、ありがとう。