あなたはマスク着用をこのまま何年も続けるつもりなのか?

あなたは外出する時にマスクを着用する。たとえ外の道を歩いている時であってもマスクを着け続ける。そして、マスクをしていない人に対し「なんだあいつは!」と言いたげな視線を送る。これが現在の日本人である。

冷静に考えてほしい。

昨年、大谷翔平がメジャーリーグで活躍していたが、そのスタンドでマスクをしていた人はいただろうか。

この写真は2021年のオールスターゲーム前日に行われたホームランダービーでの観客の様子である。

明らかにマスクをしている人はいない。酒を片手に持ち、間隔を空けずに密集している。

何度も言うがこの写真は2021年の夏の写真である。
連日報道されるメジャーリーグのニュースを見て、アメリカではマスクが強要されないのが不思議であった。

当時の記事はこの違和感について言及しているものもあるが、この差は「ワクチン接種率の差」が生んでいるものであると結論づけられている。

新型コロナウイルス感染者が増加の一途をたどり、東京五輪はほぼ無観客での開催が決まった。一方、感染者数が増えていても、英国や米国では大規模スポーツイベントに大勢の観客が詰め掛け、ほとんどはマスクをしていなかった。この歴然とした「差」は、なぜ起きたのか。

「中略」

両国と比べ日本の感染状況は悪くない。累計の死者数は英国が約13万人、米国は約60万人だが、日本は約1万5000人。14日でみても、英国の49人、米国の284人と比べ、日本は19人だ。
 それなのに、両国は「有観客」、日本は「無観客」と対応が分かれた。一因はワクチン接種率だ。世界保健機関(WHO)で新型インフルエンザ対策に従事した独ベルンハルト・ノホト熱帯医学研究所の村中璃子りこ医師は「五輪開催国にもかかわらず、政府や専門家がパンデミック(世界的大流行)収束に不可欠なワクチンに慎重姿勢を示し、導入が欧米より数カ月遅れたのが最大の原因だ」と指摘。
 米紙ワシントン・ポストも「日本はマスク着用などの予防策でうまく感染を抑止してきたが、低いワクチン接種率のため、特にデルタ株の広がりに脆弱だ」と、無観客の理由を分析した。

「中略」

日本の接種率では、いまだ感染者数の抑制にこだわらざるを得ない。国立感染症研究所の脇田隆字所長は「感染者数を野放図に増やせば、新型コロナはやすやすと医療体制を突破する。日本はなるべく死者数を減らす対策をしている。感染者数を抑えて最悪の状況を防ぐ」としている。

東京新聞「日本は五輪無観客、英米はノーマスクでスタンド満員…この差はなぜ? 」
2021年7月16日

この記事が書かれてからおよそ9ヶ月が経過した。
先日プロ野球が開幕した。スタンドの座席間隔を開けることは行われなくなったが、いまだに声出し応援やマスクは禁じられたままだ。

もはや米国と日本にワクチン接種率の差はない。それではこの対応の差は何から生まれるのだろうか。

現在、多くの日本人はマスク着用を当然と考えている。これは、この球場の様子の差が生まれている要因の一つであろう。
では、このマスク着用が当然という考えは一体いつまで続くのだろうか。

マスク着用をこのまま何年も何十年も続けていくつもりなのか?

おそらく、誰も声を上げなければこのまま何年も、何十年もマスク着用が当然とされる世の中は変わっていかないだろう。
なぜなら、現在の日本でマスクをし続ける根拠などないのにも関わらず、いまだに多くの人間がマスク着用を当然視しているからだ。
ワクチン接種率の差は埋まった。感染者の数も日本の方が少ない。なのに日本人はマスクを外さないし、外しているものに好奇の目を向ける。
現時点において、マスク着用をやめないということは、あと5年経過しても、10年経過してもマスク着用があらゆる施設で要求され続けない保証はない。

繰り返しになるが、我々がマスクをしなくてはならない論理的な理由はほぼ皆無である。我々は「みんながしているから」マスクをしているにすぎない。

こう言うと、反論が出てくるだろう。「我々にはマスクをしなくてはならない論理的な理由があるぞ!」と。ここでは二つ想定しておきたい。

まずは、①マスクをしていないとすぐに感染者数が爆発的に増加するかもしれないと言うものだ。
それではそんなあなたに問いたい。現在まで我々は公共の場で過ごすほとんどの時間をマスクで過ごしてきたが、それでも感染者数の爆発的な増加は止まらなかったことはどう考えるのかと。
そもそも、今まで我々が経験した感染者数値の爆発的な増加は、「人々の行動様式」とは関係ないグラフになっていなかっただろうか。
感染者数の増減は一定の間隔で押し寄せる波であり、我々の行動はあまり関与することができないと言うことは、さすがにこの2年間で皆もうっすら勘づいているのではないだろうか。

「なぜかわからんけど」感染者数の増加が止まらない。
「なぜかわからんけど」感染者がめちゃくちゃ減った。

こんなことばかりである。たとえ日本人がマスクを止めたとしても、「なぜかわからんけど」の波の連続だろう。
我々がコントロールできない数値の上下に一喜一憂し、さらにそれを根拠にかつての生活様式への復帰に反対するのはもうやめにしないか。

そして、マスクをつけ続けるもう一つのもっともらしい理由は②「自分がコロナにかかりたくない」からマスクを着用し続けるというものだ。
確かに説得力があるように見えるが、我々はこのリスクを受容する必要があるのではないだろうか。

我々が道を歩けば、狂った殺人鬼が歩道に突進して命を落とすリスクがある。飛行機に乗れば、その飛行機が墜落するリスクがある。バスに乗れば、そのバスがハイジャックされるリスクがある。世の中にはありとあらゆるリスクがあり、全てを回避することはできない。
ある程度のリスクを受容した上で、日々の生活を送る必要があるのだ。コロナウイルスもこれらのリスクのうちの一つと考えるべきである。
あなたはリスクを回避するために、一生マスクを着用し続けるつもりなのか?
アメリカの球場にいる人たちは既にそのリスクを受容している。

コロナ禍の終着点は見えているか?

このコロナ禍の終わりについて考えたことはあるだろうか。
もしかしたら、「世の中からコロナウイルスというものが根絶される」ことが終着点だと考えているかもしれないが、そんな日が訪れることはない。
コロナウイルスというのは根絶できるウイルスではない。今までも新型ではないコロナウイルスは存在し続けていたし、これからも存在し続ける。
おそらく、これからも「なぜかわからんけど」の波で定期的に流行するのだろう。しかし、我々はこれを今までのインフルエンザと同じように生活の一部として受け入れ、そのリスクを受容し生きていくべきではないだろうか。

ニーチェは他人と同じことをすることに価値を見出し、本質的な行動理由を検討しない人間たちを畜群と罵ったが、マスクを根拠なく着用し続ける日本人は畜群そのものではないだろうか。

私は、このまま声を上げなければ、マスク着用を当然視する状況がしばらく続くのではないかと思い、このノートを書いた。
もし、「マスクが楽だからつけていたい」という人はつけ続けてもらって一向に構わない。

私が変えたいのはマスク着用していない人に向けられる白い目線である。その人は、リスクを受容した国際派であり、論理的思考でマスクを外しているかもしれない。

もし、私のいうことも一理あるな、と思ってくれたのならば、少しずつ行動を変えてみてはどうだろうか。
まずは、家から駅まで向かうその道中、マスクを外してみるのはどうだろう。

外というこれ以上ない換気状況で、周りに人がいないのにするマスクは、無意味そのものである。

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