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シルクロードの旅(11)新疆ウイグル自治区吐魯蕃市②

夜中、部屋の扇風機が切れます。なぜか停電してる模様です。

結構ひどい宿です。選択肢がないのもありますが、、。砂漠の宿の停電は地獄で、暑さで目が覚めました。

夜が明けて、トルファン2日目、タクシーに乗って(18元)町の西側約10kmにある交河故城に行きます。(入場料85元)

交河故城(こうがこじょう、ウイグル語: يارغول قەدىمكى شەھىرى )は、中華人民共和国新疆ウイグル自治区トルファン市高昌区の中心部から西方11キロに位置する世界最大、最古級の版築で築かれた都市遺跡。中国でただ一つ残る漢代からの都市遺跡でもある。遺跡は柳葉形の台地上に位置し周囲は約30メートルの断崖に囲まれ自然の要害をなしている。遺跡の全長は約1650メートル、幅は最大で約300メートル、総面積は約38万平方メートル。紀元前2世紀に建設され、14世紀に戦火で焼け落ちた。交河故城は1961年3月4日、中華人民共和国国務院により第一批全国重要文化保護財に指定され、2014年にはシルクロード:長安-天山回廊の交易路網の構成資産としてUNESCOの世界遺産リスト登録物件に含まれた。

まあつまり、漢の時代から残る街の跡ですね。この都市は、土を削って建物を作ったらしいです。すごいですね。上にのせるよりはるかに難しい気がします。

とにかく。

暑い。

暑すぎる。

タクラマカンよ私を許してくれ。

上からあふれんばかりの太陽光。

下からも熱気が土に跳ね返ってくる。

最初に持ってた水がお湯になってます。

喉乾いてるのに飲みたくない。

堀君は人生一暑いと言ってました。

城の立地的には川に囲まれてる河岸段丘の上なのでいいと思います。

暑すぎて観光地価格のジュース(10元)、アイス(10元)、水(6元)に手を付けました。しゃーない。

帰りのタクシーがないことは薄々感じていましたが、やっぱりいません。歩いて帰ります。(最悪10㎞歩く)

さすがオアシス、ブドウ作ってるね。

なんとかウイグル人の乗ってるタクシーを途中で拾いました。

タクシーもこんなに頑丈にして、、ウイグルってそんなにか、、って思いました。

ウイグル人の多く住む地域を進みました。トルファンは漢民族よりウイグル人の人口の方が多いように感じました。また、家のつくりは土でできているようで、街の中心から外れていくにつれて伝統的な住宅の比率やウイグル人の住民の割合も高まっているように感じました。

次の目的地はカレーズ博物館です。

トルファン・カレーズ楽園(中国語: 吐魯番坎儿井乐园)は中国新疆ウイグル自治区のトルファン市高昌区にあるカレーズの博物館で、乾燥地帯の地下水利施設であるカレーズをパノラマ展示で理解し、カレーズも実際に見ることができる。 カレーズ楽園はトルファン市街地から5キロメートル、G213国道からも1キロメートルの亜爾郷二村にあり、交通が比較的便利な所で、トルファンの観光地になっている。このカレーズは800年前に作られた「ミイム・ハジのカレーズ」(中国語: 米依木·阿吉坎儿井)で、天山山脈から雪解け水を導く地下水路の下流部分が楽園の地下にある。

博物館の前についたのでまずはご飯を食べることに。その際飲み物の水(1元)を道の反対側の店で購入したのですが、これが傑作。

炎天下の中タクシーを求め歩いたあの辛さから、凍る直前のようなキンキンに冷えた水を一元で飲めるなんて。あの水は今のところ人生一だったと言えるでしょう。
昼ご飯のティンティンチャオ麺(ラグマンを細切れにしたもの)(40元)(観光地価格です。背に腹は代えられない。)

カレーズ博物館は面白かったです。

皆さんカレーズってなんだか知ってますか?イランだとカナートで北アフリカではフォガラって呼ばれている、乾燥地域に見られる地下用水路のことです。山麓の扇状地などにおける地下水を水源とし、蒸発を防ぐために地下に水路を設けたものである。山麓に掘られた最初の井戸で水を掘り当ててその地点から横穴を伸ばし、長いものは数十kmに達する。水路の途上には地表から工事用の穴が掘られ、完成後は修理・通風に用いられる。水路が地表に出る場所には、耕地や集落のあるオアシスが形成されている。耕地では小麦、大麦に加え、乾燥に強いナツメヤシ、近年では綿花やサトウキビなどの商品作物の栽培が行われている。【カナート-Wikipedia】

まあこれがあるおかげで砂漠でも昔から人が住めるんですよね。この貴重なオアシスを巡って数々の国家が戦争を起こしてきた歴史に納得します。

実際にカレーズの水を飲んでみました。特におなかも壊さなかったので、きれいな天山山脈の雪解け水だという事でしょう。

林則徐はアヘン戦争の責任を取らされて新疆に飛ばされたらしいです。その際カレーズ作りを行って民に感謝されたとか。
さて今日は疲れたので帰ることにします。しかし帰りのタクシーもこちらの意図が伝わらずブドウ園に連れてかれました。

文句を言いながら歩いて帰りました。3㎞くらい。

やっぱりきつかったです。暑いし。途中商店でお茶を買いましたがやっぱり砂糖が入ってました。やめときゃよかったです。

ここで歩いたところもウイグル人が多い地区でした。再開発を狙っているのか、工事中の道があったり、ぼろぼろの歩道だったりと町の中心と比べて整備は遅れている感じはあります。

潰れたウイグル人のお店に貼られた紙。意味はよくわかりませんが、文明が強調されているようです。

やっとの思いで宿に帰り、VPNと格闘しました。何回か試してつながるものをようやく発見し超低速通信でLINEを返しました。

夜ご飯はチャオ麺を食べ、ビールと桃で晩酌を行いました。

オアシスの歴史に触れ、今の暮らしに触れたような気がします。

次回、大都会ウルムチで、バスが3元(45円)の運賃だとほとんどの中国人はケチって乗らないことを知り驚きます。

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