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前立腺がんの放射線治療がメチャ楽しかった件

割引あり

 私は2023年6月に前立腺がんと診断され、同年10月にその治療を終えました。このnoteは、治療方法に関する考察、検査や治療の詳細、性生活の変化など、その間の体験を綴ったものです。前立腺がんの治療は性的能力に大きな影響を及ぼすので、そのこともかなり詳しく書いています。
 ネットを検索すると、前立腺がんやその治療法について多くの情報を得ることができますが、患者が自らの経験をまとめた記事は見当たりません。まして性に関する具体的な報告は皆無です。だから、少なくともその点において、このnoteは、前立腺がんと診断されて治療法を検討している人やそのパートナーにとって、読む価値があります。
 そして、前立腺がんは、胃がん・肺がん・大腸がんを抑えて、日本人男性の部位別がん罹患数第1位(2019年)なので、まだ前立腺がんになっていない人も読んでおいて損はないでしょう。
 さらに言うなら、このnoteは、私の人生最大の「すべらない話」を綴ったものであり、単なる読み物としても面白いと思います。
 ただ、事実をありのままに書いているので、R18の部分もあるし、グロいというか、汚い描写もあります。私としては記録する意義があると思って書いたのですが、読んでいて気分が悪くなるという人もいらっしゃると思います。そういう箇所がいくつかあることをあらかじめ承知していただき、読みたくなければそこは飛ばしてください。
 また、医師の発言は録音を書き起こしたものですし、その他の医学的な知見も医療機関のサイトの記事を要約したものなので、概ね正しい内容となっていると思いますが、私の理解不足による間違いがあるかもしれないので、全部を鵜呑みにしないでください。
 なお、固有名詞は、トラブルを避けるため変更しています。
 この体験記が多くの人の役に立つことを心から願っています。

2024年6月  モトマチポンタ


端緒から確定診断まで

 前立腺がん検診は、人間ドックの基本メニューには含まれていない。別料金を支払うオプションメニューである。
 けれど、私は50歳頃から毎年前立腺がん検診を受けてきた。もし自分ががんに罹るとしたら前立腺がんではないか、という漠然とした予感があったのである。
 医学的な根拠はない。しかし、全く何の根拠もないというわけでもない。後で詳しく述べるが、私は、平均的な日本人男性より幾分多く性的行為をしてきたと思われ、そのバチが当たるかもしれない、と考えていたのである。

PSA4.6

 2023年2月、私は自宅近くのK医院で人間ドックを受け、1週間後に結果を聞きに行った。概ね良好な判定だったが、前立腺がんが「要精密検査」だった。
「PSAという腫瘍マーカーの基準値が4.0以下、今回の結果が4.6ということで、ほんのちょっと超えただけなので大丈夫だとは思うのですが、一応泌尿器科を受診してください」
 院長は慰めるように言った。

 人間ドックで「要精密検査」となるのは初めてではない。1年前にも腎機能の数値(クレアチニン)が基準値を少しオーバーして、市立病院の泌尿器科でエコー検査をしてもらった。
 しかし、その時の「要精密検査」には何の不安も抱かなかったが、今回は少なからぬ衝撃を受けていた。よく「今はがんが治る時代」などと聞くが、「がん」という言葉にはやはり死に直結するイメージがある。そして、検診を受け始めた頃は前立腺がんに罹る予感めいたものがあったのだが、10年以上も「異常なし」と言われ続けていたせいか、その心構えがすっかりなくなり、「要精密検査」という言葉が藪から棒に感じた。

 ところで、1年前の精密検査を担当してくれたのは、町田という慶大出身の若い男性医師で、私はこの人に好印象を持った。小柄で色白で外見は弱々しいが、声は太く自信に満ちていて、いかにも頭が切れそうだった。患者のためにできることは何でもやるみたいな誠意も感じた。
 だから私は、帰宅後すぐに市立病院に電話して、町田医師を指名して泌尿器科の予約をとった。

 実は私はその時点で、前立腺や前立腺がんについて、ほとんど何も知らなかった。ネットで調べてみると、次のようなことがわかった。

  1. 前立腺は男性だけにある臓器で、膀胱のすぐ下にあり、尿道を取り囲んでいる。精液に含まれる前立腺液を作っている。

  2. 前立腺がんは、前立腺の細胞が正常な増殖機能を失い、無秩序に自己増殖することにより発生する。

  3. PSA(Prostate-specific antigen=前立腺特異抗原)は、前立腺から分泌されるタンパクで、多くは精液中に分泌されるが、ごく微量が血液中に取り込まれる。

  4. 血液中のPSA値は通常0~4ng/mLだが、がんによって前立腺組織が壊れると増加する。

  5. PSA値4〜10は、いわゆるグレーゾーンで、がんである確率は25〜40%である。

  6. 前立腺肥大症や前立腺炎が原因でPSA値が高くなることもある。

 確かに、私の4.6というPSA値は、ほとんどセーフと言ってもいいくらいのギリギリアウトの数値である。ただ、がんである確率が25%というのは決して低い数字ではない。
 私は過去の人間ドックの記録を引っ張り出してきて、ここ数年のPSA値を確認した。3年前が1.39、2年前が2.03、1年前が3.40で、少しずつ着実に増えてきている。これはかなり嫌な感じがする。
 しかし、結論としては、まあ大丈夫だろう、と思った。確率論から言えば、私ががんでない確率は60〜75%である。1年前の腎機能の精密検査も「異常なし」だった。今回も多分そうなるだろう、とこの時はまだ事態を楽観視していた。

MRI拷問

 市立病院は、令和元年に郊外に病棟が新築され、設備も一新された。慶大出身の医師が多く、1年前に母が白内障の手術を受けた時の印象では、看護師や検査技師も優秀だった。だから、家から車で15分以上かかるのが玉に瑕だが、もし自分が何か大きな病気に罹ったら市立病院で治療してもらいたいと考えていた。

 3月8日午前9時。
 泌尿器科は3階だった。受付で体温を測られ、1ヶ月以内に新型コロナに感染したかどうか、現在風邪の症状があるかどうかを尋ねられた。私はちょうど1ヶ月前に新型コロナを発症し、39度を超える高熱に苦しんだが、3日後には軽快した。報告しなくてもいいかなとも思ったが、事実をそのまま告げた。職員はメモを取ったが、だからどうということはなかった。
 問診票に「2月の前立腺がん検診の結果、PSAが4.6で要精密検査となった」と書いた。しばらく待つと受付番号を呼ばれ、診察室に入った。
「PSAが4.6だったんですね」と町田医師が言った。
「はい」と私は検診結果を見せ、3年前からのPSA値も伝えた。
 町田医師は、前立腺がんの精密検査について一通り説明してくれた。よく理解できなかったが、とりあえず2週間後にMRI検査をすることになり、看護師から説明書と同意書を渡された。

 帰宅後、説明書を読み、ネットも検索した。
 MRI(Magnetic Resonance Imaging=磁気共鳴画像)検査は、強力な磁場が発生しているトンネル状の装置の中で電波を体にあて、体の内部の断面を様々な方向から画像にするものだという。磁場や電波によって痛みを感じることはなく、タトゥーや体内金属がなければ特に危険はなさそうである。
 ただ、私には一抹の不安があった。3か月前に左の腰から膝にかけて坐骨神経痛を発症し、電流が走るような激痛で、数日間まともに歩けなかった。今はほぼ完治していたが、左腰に少し違和感が残っている。腰と膝を伸ばして仰向けに寝ていると、その違和感が痛みに変わってくるような気がするのである。
 けれども、そんな不安は、MRI検査を受けない理由にはならない。どれだけの時間、体の静止を要求されるのか分からないが、とにかく耐えるしかなかった。

 3月22日午後2時。
 外来の診察が行われる午前中と違い、病院内は人影がまばらである。MRI検査が行われるのは、1階奥の放射線診断科だった。受付を済ませると、「MRI・CT」と書かれた自動扉から待合室に入るように言われる。他の診療科は廊下が待合スペースなのだが、ここにはちゃんとした待合室があるのだ。広い待合室には誰もいなかった。
 壁にポスターが貼ってあり、「当院では病棟新築に伴い最新のMRI装置を導入しました。高画質の画像を収集しながらも検査時間を短縮し、患者さんの負担を軽減します」と書いてあった。それを読んで少し安心した。最新設備の病院にしてよかった、と私は心底思った。
 30歳前後の男女の検査技師がやって来て、男性が検査の段取りを説明した。私は、更衣室で検査着に着替え、寝台に横たわった。仰向けで膝を伸ばし、両手を交差させて胸に乗せた。
「大きな音がするので耳栓をします」と女性検査技師が言って私の頭にヘッドホンを装着し、「何かあったら、これを押してください」と連絡用のブザーを渡した。
 装置が動き始めると、確かに工事現場のような騒音が鳴り出した。ヘッドホンをしていても相当にうるさかったが、それは別にどうということはなかった。
 問題は、やはり腰だった。しばらくすると、何やら左腰に痛みを感じてきた。痛みは徐々にひどくなっていき、同時に、やがてそれが激痛に発展するのではないかという恐怖も増していった。激痛で体が動いてしまったら、検査は最初からやり直しになるだろう。けれど、少なくとも今日は、何度やり直しても同じことの繰り返しになってしまう。膝を曲げればその最悪のシナリオを回避できると思い、ほんの少しだけ膝を曲げてみようとすると、「動かないでください!」とヘッドホンから女性検査技師に注意された。ちょっとくらい膝を曲げても腹部の画像は正確に撮れるだろうと思うのだが、事情を説明して話し合うこともできない。油汗が出てきた。
 一体、今、何分が経過したのだろう? というか、これから何分この苦痛に耐えなければならないのだろう? 腰も痛いが、腕を胸の上で静止しておくのも辛い。さすがに腕は動かしても差し支えないだろうと思って動かすと、やはり同じように注意された。私は、小さな木箱に閉じ込めて身動きができないようにする拷問を思い出した。
 ようやくこの拷問の時間が終わった時、こんな検査はもう二度と受けたくない、否、受けられない、と思った。時計を見ると、開始からきっかり30分経過していた。私は深いため息をついた。
 やれやれ、あのポスターは一体なんだったんだ?

針生検地獄

 3月29日午前9時、泌尿器科。
 町田医師は、PCのディスプレイに映る画像を示しながら、MRI検査の結果を説明した。
「これが前立腺です。まず、前立腺肥大はありません。むしろ普通の人より小さいです。それから、ここに小さな白い点が見えますね」
 町田医師が前立腺の中央付近を指差す。確かに小さな白い点があるような気はする。私は掠れた声で「はい」と答えた。
「非常に小さいんですが、これががんである可能性はあります」
 PCのディスプレイは何度か切り替わり、検査技師の所見らしき文章が一瞬見えた。ごちゃごちゃと専門用語で書いてあって全部は読めなかったが、「前立腺がんの疑いがあります」という文字が目に入った。
「最終的にがんであるかどうかを確かめるには、ハリセイケンという検査をするしかありません」
 人生で初めて聞く言葉に戸惑っていると、町田医師はA4の文書を1枚プリントアウトして渡してくれた。「前立腺針生検を受ける患者さんへ」というタイトルがついており、冒頭からおぞましい内容が書かれていた。
「針生検は、前立腺がんの疑いがある場合の最も重要な精密検査です。この検査は、局所麻酔をして超音波探査子を肛門から挿入し、生検針を直腸から前立腺に刺して前立腺組織を採取するものです。検査に伴って、排尿困難、発熱、血尿あるいは肛門からの出血を認める場合があります」
 その下にはいろいろな注意事項が書いてあり、最後に「私は前立腺針生検について医師より口頭及び文書での説明を受け、その内容を十分に理解しましたので、前立腺針生検の実施について同意します」という文章と署名欄があった。
 町田医師は、その文書とほぼ同じ内容を口頭で説明してから尋ねた。
「やりますか?」
 超音波探査子がどういうものか知らなかったし、肛門と直腸と前立腺の位置関係もぼんやりとしていたので、何をされるのかよく理解できなかったが、いかにも痛そうである。
「やらないという選択肢はあるんでしょうか?」
「前立腺がんの進行は非常に遅いので、今すぐにやらなければいけないというものでもないです。定期的にPSAを観察していって、どこかのタイミングで針生検を受けるというのもありだと思います」
「現時点では、がんである可能性はどのくらいでしょうか?」
「五分五分ですね」
 がんである確率が50%なら、やらないという選択肢はないのではないか、と私は思った。これは要するに、いつやるかという問題に過ぎないのだ。そもそも早期発見・早期治療のためにがん検診を受けたのだから、できるだけ早く針生検を受けるのが論理的だろう。
「じゃあ、やります」と私は言った。

 3階の待合スペースの窓から、広大な田園風景が見える。市が「日本一の桜回廊」と喧伝している農業用水沿いの桜並木は、すでに満開のようだ。桜は、その下を歩くのもいいが、こうして遠くから眺めるのもいい。
 女性看護師がやってきて、開口一番「針生検は初めてですか?」と聞いた。
「はい。何度も受ける人が結構いるんですか?」
「ええ、そうですね、3回、4回と受ける方もいらっしゃいます」
 それを聞いて少し安心する。何やら恐ろしい印象を持ったが、前立腺がん界隈では割とありきたりな検査なのだ。
 看護師は、先ほどの説明書兼同意書に検査日時が記入されたものを手渡し、それを見ながら詳しい説明をした。
「同意書に署名をして検査当日に持ってきてください。今日、抗生物質を処方しますので、それを検査前日から3日間飲んでください。感染対策のためなので、忘れずに必ず飲んでください。検査の後、まれに38度以上の発熱やひどい出血のある場合があります。その場合は病院に連絡してください」
 死ぬ人はいないんですよね? と聞きたかったが、やめておいた。

 会計を済ませて病院を出ると、駐車場へは行かず、「桜回廊」へ向かった。
 桜はほぼ満開で、見事だった。やはり近くで見る方がいいか、と思いながら、延々と続く桜並木の遊歩道を歩いた。人影はまばらで、鳥の声が聞こえた。
 私はふと思い立って、AirPodsを装着し、Audibleで「細雪」の花見のくだりを聴いた。去年は京都へ出かけて、姉妹たちと同じルートを歩いたのだった。平安神宮の神苑が素晴らしかった。姉妹たちが「あー」と感歎の声を放った意味は、実際にそれを見た者にしか理解できない。
 今目の前にある景色も美しいが、そのために旅行する価値があるかといえば、そこまでではあるまい。日本各地のどこでも見られる桜並木であり、神苑のような感動はない。
 またいつか神苑の桜を見に行けるだろうか?
 町田医師は「五分五分ですね」と言っていたが、がんの確率はもっと高いはずだ。形勢は一気に逆転してしまった。前立腺肥大ではなく、MR Iで小さな白い点が見え、検査技師の所見が「前立腺がんの疑いがあります」なら、これはもう80%以上がんだろう。もはや楽観視はできない。次の診察でがんと診断されることを覚悟しなければいけない。

 帰宅後、ネットで検索すると、次のようなことが判明した。

  1. 直腸は肛門に繋がる大腸の最終部分であり、前立腺は直腸のすぐ上に隣接している。

  2. 針生検は、先端に針のついた超音波探査子を肛門から入れ、直腸の粘膜を突き破って前立腺に針を刺して行う。

  3. 超音波探査子は細長い棒状の器具で、超音波による画像で前立腺の状態を観察することができる。

  4. 初回の生検では10ないし12か所の組織を採取する。採取した組織を顕微鏡で観察し、がん細胞の有無を確認する。

  5. 針生検は、前立腺がんの確定診断のために必須の検査であり、前立腺がんの病期を知り、治療方法を選択するためにも必要な検査である。

  6. 針生検の合併症として、出血、感染、排尿困難などがある。頻度の高いものは血尿、血便、精液に血が混じる血精液。重篤な感染症はまれである。死亡リスクはゼロではないが、極めて低い。

 確率論ないし期待値の観点からは、なるべく早く針生検を受けるという選択は間違っていないように思う。
 しかし、まず、肛門に超音波探査子という器具を入れられるのが怖い。何の検査だったか全く覚えていないが、ずっと以前に医者に指を入れられたことがある。その時は特に痛みはなかったと思うが、超音波探査子は指よりもずっと硬く太いだろう。私は若い頃、軽症のいぼ痔があった。もうずいぶん長い間鳴りを潜めているが、それは完全に消失したわけではなく、お尻洗浄機能のないトイレを使うと少し痛む。超音波探査子は、私のいぼ痔あるいは肛門を切り裂かないだろうか?
 次に、直腸と前立腺に針を刺されるのが怖い。そして、そこから先の作業が不明瞭なのが怖い。針が直腸の粘膜を貫通し、さらに前立腺に刺さるところまではイメージできるのだが、その後どのようにして組織を採取するのかが判然としないのである。
 次に、合併症が怖い。直腸と前立腺を傷つけるのだから、血尿・血便・血精液は仕方がない。しかし、発熱やひどい出血という重篤な症状が現れた場合、自分は的確に対応できるだろうか?
 最後に、痛みが怖い。病院でもらった説明書には「局所麻酔をして」とあったから、前立腺組織の採取は、麻酔なしでは耐えられないほどの痛みを伴うのだろう。歯医者での経験を思い出すと、麻酔の注射を打たれること自体が痛いし、麻酔が効いた後の治療も無痛ではない。針生検は一体どれくらい痛いのだろう? 医者の技量にもよるのだろうか? 町田医師は上手いのだろうか?
 しかし、こうしてみると、恐怖とは不安なのだとわかる。これらの不安を解消するために今私にできることは何もない。私にできることは注意事項を守って針生検を受けることだけであり、私は私のできることをするしかない。

 4月12日午後2時半。
 針生検を行う部屋は、泌尿器科の診察室の隣だった。
 30代半ばくらいの看護師が部屋の扉を開け、私の名前を呼んだ。なかなかの美人だが、日に焼けているのか肌が褐色である。部屋に入ると、彼女は私に氏名と生年月日、そして昨夜抗生物質を飲んだかどうかを確認し、股の部分に大きな穴の空いた紙トランクスを渡した。
「これに履き替えて、そのままお待ちください」
 看護師が目隠しのカーテンを閉めて奥に消えると、私はズボンとトランクスを脱ぎ、紙トランクスを履いた。間抜けな格好である。少し寒い。やがてカーテンが開き、看護師に奥の検査室に誘導された。
 検査室の中央にマッサージチェアのようなものが据え付けられており、その傍らにやはり30代半ばくらいの別の看護師がいた。褐色の看護師とは対照的に肌の色が白く、ちょっと地味な、しかし私好みの顔立ちの女性だった。
「この椅子に脚を開いて座ってください」
 私は言われた通りにした。その時、ふと私の脳裏に「黒子さん白子さん」という言葉が浮かんだ。緊張しつつも、私にはまだ余裕があったのだ。
 右手の台の上に、超音波探査子らしき棒状の器具が屹立しているのが見えた。勃起したペニスよりは細いが、親指よりは太そうである。金属とプラスチックで出来ているようだ。黒子さんがそれにコンドームのようなもの(コンドームそのものかもしれない)を被せ、ジェルみたいなヌルヌルしたものを塗りたくり始めた。それなりにエロい光景である。もしこの女の子たちが超音波探査子を挿入してくれるのなら、これはもう新手の風俗だ。喜んでそのサービスを受けようではないか。
 しかし、すぐに若い男の医師が入ってきた。町田医師が来るものとばかり思っていたが、違った。陽に焼けた、がっしりとした体型の、町田医師よりさらに若い男である。
 黒子さんがどこかを操作して、私の座っている椅子が電動で後ろに傾いていった。それから彼女は、私の腰のところに目隠しのカーテンを置いた。カーテンの向こう側(下半身側)に彼女と医師、カーテンのこちら側(上半身側)に白子さんという布陣である。
 白子さんが、私の肩にそっと自分の手を置いた。何かの加減でたまたまそうなったのかと一瞬思ったが、すぐにそれが意図的なことだとわかる。彼女は、私の肩をトントンし始めたのだ。
 数年前に胃カメラを飲んだ時、同じような役割をする看護師がいた。胃カメラは想像以上の苦痛で、涙がボロボロ出た。トントンする人がいるということは、これからの数分間の苦痛を暗示していた。
「まず触診をします」
 医師がゴム手袋をはめながら宣言した。
「深呼吸をして体の力を抜いてくださいね」
 白子さんが優しく語りかけた。
 私はゆっくり息を吸って、ゆっくり吐いた。しかし、医師の指がズブリと肛門に挿入されると、その呼吸を続けられなくなった。すでに肛門と直腸がかなり痛い。そのせいか、全身に力が入ってしまう。医師は、直腸の前立腺側をしばらくまさぐってから、「抜きます」と言って指を抜いた。抜かれる時も肛門が痛い。
「では次に麻酔を打っていきます」
 医師はそう言って、超音波探査子を肛門に突き刺した。局所麻酔も直腸経由で前立腺に刺して行うらしい。当然のことながら、超音波探査子は指よりずっと痛く、圧迫感が大きかった。そして、前立腺に針が刺さるのも、麻酔薬が注入されるのも痛かった。
「抜きます」と医師は言って、超音波探査子を抜いた。そしてすぐに「では始めていきます」と宣言し、再び超音波探査子を肛門に突き刺した。「12カ所、組織を採取していきます」
「大きい音がしますけど、驚かないでくださいね」と白子さんが微笑む。
 どういう仕組みかわからないが、「バチン!」と大きな音がして、これまでに経験したことのない種類の痛みが下腹部に走った。相当に痛い。麻酔が効いているのかいないのか、よくわからない。
 医師は、超音波探査子を直腸に入れたまま、次々と「バチン!」とやっていく。その瞬間の痛みと超音波探査子の圧迫感が相まって、尋常でない苦痛の時間が流れ始めた。何とか深呼吸をする努力はしているが、「バチン!」のたびに体が強張る。1か所あたりの作業時間は30秒から1分くらいで、全部でせいぜい15分くらいだったのだろうが、私には永遠に感じられた。その間ずっと、白子さんは私の肩をトントンしながら静かに微笑んでいてくれた。
「抜きます」と医師は言って超音波探査子を抜き、すぐに続けて「止血します」と言って指を挿入した。多分ガーゼか何かで私の直腸を抑えているのだと思う。こんなやり方で出血が止まるのだろうか? 前立腺の方は止血しないでいいのだろうか? そんな疑問が浮かんだ。
「終わりました」と医師が指を抜きながら言った。
「終わりましたよ、お疲れ様でした」と白子さんも微笑んでくれる。私は、何か褒められたような気分になった。
 カーテンの向こうの黒子さんは、尻を拭いてくれている。止血が必要だったのだから、出血していたわけであり、血を拭いてくれているのだろう。
 私は、白子さんに感謝を伝えたかった。彼女は客観的には一番楽な仕事をしていたのかもしれないが、私にとっては最も重要な存在だった。
「痛みと緊張で力が入ってしまいました。深呼吸もうまくできなくて。すみませんでした」と私は言った。
「そうですよね、力を抜くのって難しいですよね」と白子さんはさも自分も経験者であるかのように微笑んだ。
 私は、「トントンしてくれたおかげで随分と心強かったです」みたいなことを伝えたかったのだが、「大事なお仕事ですよね」と意味不明のことを言ってしまった。白子さんは、曖昧な笑みを浮かべただけだった。
 黒子さんは、包装された大きめのウエットティッシュと針生検終了後の注意事項が書かれた文書を渡し、「もう一度ご自分でお尻を拭いてから着替えてください。それから、ここに書いてあるように、後でケチャップのようなドロドロした血液が出たときは病院に連絡して受診してください」と言った。
 私は、彼女に礼を言い、それから白子さんにも「ありがとうございました」と頭を下げた。
 着替えをした場所で一人になり、紙トランクスを脱いで、もらったウエットティッシュで尻を拭いてみると、ウエットティッシュが茶色く汚れた。全く気づかなかったが、検査の最中、私は糞便を撒き散らしていたのか。黒子さんは私の糞便を拭いてくれていたのか。
 肛門を拭くと赤い色がついた。それが消毒液なのか血なのか、私には見分けることができなかった。
 ウェットティッシュは通常のものよりとても大きかったが、数回折りたたんで拭いても茶色い汚れはついてきた。目の前の棚に同じウエットティッシュがいくつも入っていたので、そのうちの1つを勝手に取り、それでさらに何度か拭いたが、私の尻はきれいにならなかった。3個目を使ってもまだ完璧に拭き取ることはできなかったが、何だか気力が失せてしまい、諦めて自分のトランクスとズボンを履いた。
 会計を済ませて外に出ると、春の日差しと穏やかな風が心地よかった。私はまた「桜回廊」を歩いた。もう半分以上散っているが、これはこれで美しい風景だ。桜の花びらが春風に舞っていて、農業用水が一面の花筏となっている。私は、何か大きな仕事をやり遂げたような爽快感を感じた。
 しかし、針生検地獄は、まだ終わっていなかったのである。というか、ここまでの話はむしろ序章に過ぎず、ここからが本編なのだ。いささかグロい描写となるので、「閲覧注意」である。

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