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離婚することにしました

思うことと思うところ

ゴールデンウィーク明けに離婚しました。
届けを出す前に諸々処理しないといけないこともあるので、正式にはまだだけど。
いわゆる熟年離婚ってやつ。

熟年離婚って、なんかこう、重苦しさを感じません?
「詰んだな」みたいな。
我々夫婦は逆。

クールというか、ドライ。
ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァって喧嘩したわけじゃないし、浮気とかでもない。

言ってしまえばよく言う「価値観の相違」。
一昔前は芸能人夫婦が離婚会見でよく言ってた。
自分が使うようになるとはね。

加えて、方向性の違い。

それらの違いをお互いに受け入れていくエネルギーが無かったんだろなって半月経って思う。

25歳で彼女に出会い、結婚25年で離婚。
見事に四半世紀ごと。

次の25年を考えるとこの辺だったんだろうな、って他人事のように思う。
彼女も同じように感じてたらしい。
25年の夫婦なんてそんなもん。

離婚の原因

私と彼女はもともと趣味も思考回路も真逆といっていいくらい違う。
彼女は高卒で大手企業に入社。
今までずっと同じ会社で働いてきた人。
私が自由な風来坊だから、生活のために辞めることができないと感じていたのかもしれないが、元々保守的な性格ではある。

結婚当初から、私は起業してレストラン経営を長年やってきた。
家族も増えるにつれ、年々”がんばり”が増えていった。
連続勤務記録は372日だ。
日付が変わってから帰宅するのが当たり前という日常。
その間、家のこと子どもたちのことは彼女と義母にまかせっきり。
彼女には会社員としての仕事もある。

当然、一緒の時間はほぼゼロ。
でも、お互いに思い描いていた夢、生活は一緒だったからやってこれた。
数少ない彼女との共通項だった。

変化

ここ10年で変わったのは一緒に過ごす時間が増えたこと。
ここに離婚した原因があると思う。

言わなくていいことを言えてしまう時間が持てるようになり、見なくていい部分が見えてしまう時間が増えた。

それまでは、すれ違いの生活だったので目につかなかった。

でも一緒に過ごせるようになったからこそ、皮肉なことにお互いの「違い」があからさまにわかるようになってしまった。

この10年の間、「え、なんで?」みたいなことがお互いにたくさんあった。
大きいことも小さいことも。

すれ違い生活というのは心にも違いを生じさせるものだね。

定年を迎えると離婚が増えるらしいがよくわかる。
特に現代では個人で生きていけるシステムが加速しているのでなおさらだろう。

金の切れ目が縁の切れ目とは言うけれど、お互いに金を持ってると「金があっても縁は切れる」のだ。

でも、どうなんだろね?
24時間ずっと一緒の生活というのもしんどい気がするけどね。

歴浅のご夫婦へ

今は離婚なんて考えていないでしょう。
考えているかたもいるのかな?

離婚したくないと思うご夫婦へ、偉そうに一つアドバイスを。

可能な限り、というか全力で物事は共有すること。
特に時間。
自然と喜怒哀楽を共にして思い出も増える。
そうすれば、また自ずと価値観も方向性もお互いに寄ってくる。

そんな風に今は思う。

我々はそこが少な過ぎた。
だから価値観だけじゃなく方向性まで違ってきた。

瀬戸内寂聴さん

昔、彼女の本を読んだことがある。
そこにこんなようなことが記されていた。

夫婦は川を挟んで両岸を歩くような関係。
真横を歩いてるかな?
つまずいて転んでないかな?
先に走っていってないかな?
同じ方向に歩いてるかな?
などと、お互いにお互いを気遣いながら歩く。
でも、川を渡って相手の領域に足を踏み入れてはいけない。

孤独を生ききる

我々夫婦の歩いて来た川は二手に別れていて、分岐点が結構前からうっすら見えていたんだろう。

ひとまずのところ

ただ、お互いに心底嫌いになったわけでもなく、またスパッと断ち切れる年月でもなく、プラス、養育などの兼ね合いもあって、実は今少しまだ同じ屋根の下で暮らすことになってます。

新しいページ

離婚届けを書いた時、なんの感慨も無かった。
ただ、何気ない日常のふとした瞬間に25年間の思い出が湧き上がる。
そんな時は少しセンチな気分になったりする。

と、同時に「少し自由になったんだな」と軽い気持ちにもなる。

これからの25年はどうしようか?
どう過ごしていこうか?
この家は彼女に譲ってあげちゃうので、どこに住むかも考えなきゃいけない。
もう少し、海に近い方にしようかななんて想像するとちょっとワクワクする。

やりたいことや遠慮してきたことなどたくさんあるので、これから実現していきます。

ではまた。


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