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文字でアウトプット、意外と楽しいじゃん

おはようございます☀

noteでアウトプットすることの楽しさに気づいた実業系高校初任教師です。

とはいっても、もともとアウトプットは好きな方でして、TwitterやFacebookでそれなりの投稿をしていました。
そのほとんどが趣味の話で、それも単体のイベント前後で、イベントであった出来事(事実)とその時の自分の感情(意見)をただなんとなく垂れ流しているだけでした。

今になって思えば、日記のような毎日の更新や趣味以外の自分の感情等をアウトプットする機会は少なく、なんなら苦手としてました。

インプットって重要なんだな

結果として、働き始めてすぐは趣味に当てる時間も減ったことで自然とアウトプット数も減りました。
と同時に、はやくも「転職」が頭によぎりだした(これについては今後少しづつ書き綴ろうと思います)僕は、転職本やこれまで読んでこなかった自己啓発やハウツー本、YouTubeやニュースアプリなどを通してとにかく情報をインプットするようになりました。

するとインプットにドハマリし、多様な情報を選り好みせず取り入れていくプロセスが楽しく、またふとした時にこれまで蓄積された知識や経験がつながったり、言語化されることで一種の快感を感じるようにもなっていました。笑
それくらいにインプットの重要性を意識した私は仕事中もインプット脳でいなきゃというマインドになっていました。

アウトプットのほうが重要ではないのか?

しかし、そんなある10月の日、僕の中にいきなり「アウトプットのほうが重要ではないのか?」という問いが降ってきました。

本当にいきなりでした。
インプットを繰り返す中で、自然と蓄積されたモノがきっとそのことに気づかせたのだと思っています。
それからは、読む本や見る動画のすべてで「アウトプットにより成り立っている」、「彼ら発信者は、僕のようなインプッター(造語)よりも遙か先のフェーズにいる」と気付く機会が増え、アウトプットの重要性を理解するようになりました。

アウトプットの手段に溺れる

そして僕は、アウトプットの方法論に傾倒することになるのです。

お恥ずかしい話ですが僕は手段に凝りがちです。
どんなブログがいいだろうか、効率的なアウトプットにはどんな工夫がひつようだろうか、せっかく発信するなら人からのアクションがあったほうがいよな、など、まさに手段の目的化に陥っていました。

そして3ヶ月が経過しました。

ブログを準備し、グーグルやラインのビジネスアカウントを作り、Twitterの新しいアカウントを作りました。
そして、何も書きませんでした。
本当に情けない話です。このままこのフェーズにいては自分の夢を叶えるという段階ですらないと何度も強く思いました。
思っただけでした。

アウトプットのハードを低く設定する

原因は、手段にこだわりすぎて結果として持続可能な手段でない、つまりハードルが高すぎたのです。

自分は自分が思っている以上に、怠惰で意識の高低差があり、めんどくさがりだと自覚し、それを許容するようにしました。

そんなダメ男には低いハードルが必要です。


それからはルールを2つ設定しました。

1、日常のインプットを可能な限り文字起こしする

 手段としては、iPhone純正メモアプリにひたすら書き綴る

2、そのなかでも、”気付き”に着目し、noteに書き綴る

 このとき、難しく考えず(自分さえ読み返せればいい)まずは徒然なるままに書き綴る。


この2つのルールに縛ることで、アウトプットのハードルが低くなりました。

あとは継続ですが、これも書くこのが目的にならないように気をつけながら、今後ハードルを下げる手段を見つけていきたいです。

きっと多くの人が経験するプロセス

最後に、赴任から9ヶ月で上記のような気付きを得ることが出来、実際にアクション出来ていることが遅いのか、早いのか、それはわかりません。

しかし、きっとこのプロセスは多くの人に共通することで、気づいている人はもっと早くから気付き、もっと先の僕がまだ気づいていないフェーズにいるのだと思います。

気付き、次のフェーズに行くには、またインプットとアウトプットを繰り返すのみです。
常に変化し、当たり前に慣れず変化するプロセスを楽しむ。

そんな日常を送るため明日もまた書き綴ろうと思います。




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