『母という呪縛 娘という牢獄』を読んで
妻の「気になる本」というコメントに影響され読んでみました。
実は読み進めるまでに1ヶ月近くかかりました。
見るからに重そうなテーマでしたので。。
先日「よし、そろそろ読んでみよう」と思い読み進めてみました。
この本は母を娘が殺害してしまう話です(実際にあった話)
その加害者となった娘の心境・殺害までに至った経緯・罪を認めてやり直そうとするまでの話を記者が綴っています。
人を殺す、自分の母親を殺す、普通に考えたらありえないことです。
ただ、殺すという決断をしたことにも大きな理由があります。
加害者であった、あかりさん(仮称)にも辛い思いが蓄積されていた。
もしかしたら被害者であった母親にも何か辛い思いがあったのかもしれません。
以下、読んでみて思ったことです。
①教育について
被害者である母親は所謂「毒親」でした。
いや、毒親というか、、これだという表現が思い浮かびません。
途中読む気がなくなるほどの罰を娘に与えていました。
※実際に読むのをやめて飛ばしたところもあります。
娘の進路も生き方も否定し、自分の望む方へ強要していました。
明らかに度を超えていたと思います。
ただ、その中で私は思いました。
「これって、日常でもありえるぞ」ただ、程度の問題だと。
被害者の母親は自分のコントロールが効かなかっただけではないか。
自分も父親から進路を否定され、進学できなければ人生詰むといわれ続け
従兄弟とも比較されました。
就職した企業が従兄弟の就いた仕事よりも規模が大きいことを知ってか
冠婚葬祭で名刺を配れとマウントをとるように指示されたことを思い出しました(実際には言われただけでやってはいません)
勿論、私の父親からのそれは当時は嫌な思いがあったものの、
今回のあかりさんの母親に比べたら大したことはないのですが
根っこは似ているものを感じました。
そして、自分もどこかで間違えたら同じように子供を追い詰めてしまうのではないかとも。。
②「受け入れる、理解する」について
終盤であかりさんが罪を認めるシーンが印象的でした。
個人的には涙が出そうになったポイントです。
なぜあかりさんが打ち明けようと思ったのか?
・別居していた父親が無条件にあかりさんを受け入れていたこと
・裁判長があかりさんを理解しようと努めたこと
理解に徹してくれる人がいたことで、もう打ち明けようと思ったと本書でも語られています。
これまで母親から受けていた愛情は「条件付き」というしかない状況。
「条件を満たさない」=「愛されない」という本当につらい状況でした。
そんな人生を歩んできたところに、無条件に自分を受け入れ、気持ちをわかろうとしてくれる人の存在を知った時に「やりなおそう」と心を開くことができた。そんな風に思います。
なんとも、上手く書けない自分の文章力のなさにだいぶショックです。
本当に深いシーンだったのに(語彙力をつけたい)
すごく中途半端な感想文となってしまいましたが私が強く思ったのはこの2点。
①度の過ぎた教育方針と思いつつも、程度は違えど自分も間違える可能性があるのではないか?
②無条件に、まずは相手を理解することに徹する、そこから開ける
今後、あかりさんが前向きな気持ちでやり直し、幸せな人生を歩むことを祈っています。
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