英語が話せなくたっていいから、どうかあなたはあなたのままで。
わたしたちは今、英語が世界の共通言語っていわれる社会に生きている。
「英語が話せるといい仕事に就けるよ!」なんて言われたり、
「この先英語を話せないと人生終わり」なんて言う人もいたり、
(明言しないけれどあるお偉いさんが言っていて、内心「何様だよ〜このやろ〜」って思った)
いつしか英語が一つのブランド化してしまっているみたいな世界。それに対してなんだかモヤモヤするところがあって、自分なりの考えを書いてみようと思う。
そもそも、英語が話せなくたって幸せに生きていける選択肢はいくらだってあると思うんだ。
幸せの尺度を勝手に決めないでよ、とも思ったり。
たしかにさ、英語がツールとして使えると、
コミュニケーションを取れる対象が世界単位で圧倒的に増えるし、アクセスできる情報も増えて、世界が何倍にも広がる。
(個人的には精神的に生きやすくなった)
わたしも実際に、留学や海外旅行を通してそれは十分すぎるくらい実感したし、こんなこと言っておきながら実は今、英会話スクールの教室長として働いている身分でもある。
仕事だから仕方ない部分でもあるけれど、子どもたちが多い校舎ってこともあって「英語話せないとこの先大変だよ!!だから嫌でもやろうね!!」って伝えるのが苦しくなってきた。
「英語ができない=私はダメ人間なんだ」なんて絶対に思わせてたまるか。たとえ上司に怒られようが、そんなこと思わせてしまうような人に私は絶対にならない。
(なんか文面が尖ってるな)
ダメなんかじゃないし、毎日たくさんの人のカウンセリングをする中で、その人のキラッと光るものを見つけると「どうかそのキラッとしたものを大事に大事に育てて、もっと輝かせていってくれー!」って思う。
(親か?)
「人の可能性を広げてサポートしたい」という軸を持って今の会社に入ったんだけれど、「英語」という枠組みだけで私の想いを形にしていくのはどうも性に合わないと思ってきて、もっと大きなフィールド上で目の前の人の可能性を広げられるお手伝いができる居場所を絶賛探し中なのです。
(訳:転職活動中!)
最後に
ある時、忘れたくないと思ってノートに書き留めてた言葉を発見。
「わたしが英語を学ぶのは、世界中の人と話したい、旅が好き、もっと視野を広げたいだけじゃなく、一種の逃げ場づくりかもしれない。日本を出る、となったときに生きていけるために。」
英語が話せなくたっていいけれど、自分が自分らしくいられる場所を見つけにいくための手段として学ぶのがわたしの生き方。わたしにとって英語は、いざ今の環境から逃げたくなったときの必殺技のポジションにいる感じ。
わたしにとっては、資格の点数とか社会的な評価なんてどうでもいい。
(この文章伝わってるのかな、うまく伝えられるスキルがほしいぃ)
生き方を強要するんじゃなくって、
「この世界にはこんな道もあるんだって」
そんな風にきっかけを与えられる人になりたい。それを選ぶかどうかは人それぞれでいいじゃんか。
どうか、あなたはあなたのままで。
そして、わたしもわたしのままで。
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