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初詣 お賽銭考

1月2日から2泊3日で千葉県銚子市に旅行へ出かけ先ほど帰宅しました。

お正月ということで旅の途中に何ヶ所かの神社で初詣をしましてそこで感じたことがいくつかあり、今回はお賽銭に絞って書いていきます。

人により神社や神様やお賽銭の捉えたかは違うでしょうが以下は僕の思うところです。

1.日本人らしい?

神社の鳥居をくぐったらまず向かうのは手水舎ですが、普段はたまにしか見かけない状況をあちこちで見ることになりました。

それは手水舎の水盤の中にたくさんの小銭が入れられている様子です。
初詣に行かれた方はそんな状況を目にされたかもしれませんね。

手水舎は神様と向き合う前に手と口を清める場所でありお賽銭箱とは違います。衛生面やそれを回収される方の手間などを考えても少々問題があるかと思いました。

確かに祓い清めてくれるとても有難い場所なのでお賽銭を入れたくなる気持ちも分からなくはありませんが、むしろその場を穢してしまっていないだろうかと。

おそらく最初に入れた方は悪気はなく有難いと思ってのことだと思います。そして後から参拝に来た人がそれを見て1枚、2枚と次々に入れていき僕が見た時には30枚程に。僕はとても口をすすぐ気にはなれませんでした。

長々と苦言から入ってしまいましたが、それよりもその状況にある意味日本人らしさ?を感じてしまったのです。誰か一人がやり始めるとあまり深く考えず流されてしまうというか。

もちろんすべての日本人がそんな人ばかりではなく自ら考えて行動されている方も大勢います。ですが毎年この時期にこのような状況を目にするもので日本人て周りがそうしているからとそれに合わせて行動する人がとても多いように感じたのです。

よくよく考えてみると自分にもそういうところが全く無いとは言い切れません。これは自分への戒めでもあります。周りに流されるのではなく主体性を持って行動したいですね。


2.語呂合わせではない五円玉

お賽銭はいくら入れたらいいの?という話でよく聞くのが五円玉。五円とご縁をかけて「ご縁がありますように」という話です。

僕はお賽銭の額に決まりはないし神様が額の多い少ないで願い事を叶えるかどうか決めることはないと思っていて、語呂合わせに興味や拘りはないのですがふと五円玉を見て気付いたことがあります。

普段じっくり見ることは無く忘れていましたが改めて見てみると稲穂がデザインされているんですよね。

遠い昔、村での暮らしから貨幣経済が発達するまで神社へのお供え物はお賽銭ではなく神様が作った神聖な作物であるお米や稲であったという。

そう考えると語呂合わせ以前にお供え物として理に適っていると思えてきたのです。

僕は氏神様にお参りする時に神様への感謝や神社の維持を考え、自分の出せる範囲で朔日参りでは1,000円、普段は100円にしています。お賽銭として五円玉だけということはありませんが今後は時々プラスしようと思いました。

上記の他には世の中キャッシュレス化が進んだら神社やお寺のお賽銭はどうなるんだろう?全てがそうなったらなんだか味気ないなとか。

こんなことを考えた今年の初詣でした。


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見出し画像は1月3日に参拝した銚子市の渡海神社です。
お正月でも3日となると参拝者が少なくなりだいぶ落ち着いていました。
元日と2日に初詣を済ませる方が多いのでしょうね。
ゆっくりと参拝できてよかったです。

※まだ撮った写真をほとんど見ていないので他は後日投稿します。

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