見出し画像

浅間神社と富士森公園を歩く

先日、八王子市富士森公園内の浅間神社へ参拝に行きました。ご祭神はよく行く子安神社と同じく木花咲耶姫命です。

八王子市内でも大きな富士森公園内に鎮座しているということもあり、普段は散歩がてら参拝している人の姿をよく見かけます。この日は雨上がりで境内はいつもより静かな様子でした。

しっとりとした風情を感じながら参拝と散歩を楽しみます。

まずは以下に浅間神社縁起を紹介させて頂き、そのあと神社と公園の写真を載せていきます。


浅間神社縁起

浅間神社は木花咲耶姫を祭神とし、一つに富士浅間様とも言い、駿河国の本宮浅間神社を分社したものです。

慶長年間(1596~1613)、大久保石見守長安が高さ約二丈(約6m)周囲六十間(約109m)余りの塚を築き、頂上に浅間神社を勧請したのが当社の起源です。

この場所は、往古より樹木生い茂れる森にて、藤森と言い、塚も藤塚と書かれていましたが、慶長年間、富士浅間神社創立後は富士森又は富士塚と書くようになりました。

宝永年間(1705頃)、社殿破壊に及び、延享二年(1755)改めて石造りの社を再建したのが本殿で、現在の奥の院石造りの社です。又、天明六年(1787)には石の階段が造られました。

当社は元々拝殿がなく、祭典は毎年山上で行ってきました。例祭は八月一日で七月三十一日の宵宮より参拝者で雑踏し、境内には団子を売る商人が軒を並べ、この団子を食べる者は暑気にあたらぬとの言い伝えに、別名『団子祭り』とも呼ばれる様になりました。

この団子祭りの起こりは、明治の中頃社頭に住居して宮守をして居た者が、当社に献じた洗米で団子を作り、希望者へ分与したのが始まりです。

当社の例祭に行う、湯の花の神事は、心身の汚れを祓い清め、すがすがしい精神で氏子一同神へ奉仕する意味です。

当社は子授かり、安産の神として信仰されていますが、この由来は、天照大神の御孫瓊々杵命の皇后である当社の祭神木花咲耶姫命が、一夜にして身ごもったため夫の命より疑いを受けた際、身の潔白を立証するため、産屋に火を放ち、火中で皇子を安産されたと言う古事に起因するものです。

現在の拝殿は昭和二十八年に大正殿(大正天皇のご大葬の時多摩御陵に造られた式典用の建物)を移築し建て直したものです。

昔より古い歴史を持つこの浅間神社は今、台町一丁目、台町二丁目、台町三丁目、台町四丁目及び万町二丁目によりお護りされています。

            ※拝殿備付け浅間神社縁起パンフレットより引用


画像7

参道と鳥居


画像14

拝殿


画像15

拝殿前のご神木の切り株


画像12

拝殿後方の樹々


画像15

灯籠(明治39年11月建立)


画像15

境内の銀杏


画像4

富士塚に建てられた本殿。昨年、新しく建て替えられました。


画像9

富士森公園の広場。後方はダイワスタジアム八王子(八王子市民球場)。


~以前に撮影した浅間神社と富士森公園~

特に秋から冬にかけての風景が好きで中でも冬の樹々をよく撮っているように思います。


画像14

富士塚の上から見る鳥居と拝殿


画像13

冬の本殿


画像9

公園内の遊歩道


画像10

浅間神社の冬の樹々


画像11

公園内の遊歩道。後方はダイワスタジアム八王子(八王子市民球場)で、さらに奥には奥多摩の山々が見えています。


画像12

冬の樹々を見上げる


いただいたサポートは写真撮影に関わる費用として大切に使わせて頂きます。