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土から成る ~八王子市滝山城~

今年の2月に訪れた戦国の山城である滝山城(八王子市)を紹介します。すぐに投稿するつもりだったのがすっかり初夏になってしまいました。今回は記録写真が多めの城案内ですが、今は無理せず秋以降に来て欲しいという思いで投稿しました。

滝山城は2017年に財団法人日本城郭協会による続日本100名城に選ばれた城跡で、多くの人がイメージする立派な天守や石垣、堀などはなく一見地味に見えますが、地形を巧みに利用し空堀や土塁を張り巡らせた大変技巧的なお城です。

土から成ると書いて「城」というようにまさに土の城。東国の中世城郭ではよく見られ、中でも北条氏や武田氏の城郭は見応えのあるものが多いように感じます。

寄せ手と守り手の両方の気持ちになり、「どう攻めるか、どう守るか」を想像しながら見学すると、城の仕掛けがだんだん見えてきてとても面白いですよ。


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滝山城につてい少し長くなりますがまずパンフレットから引用します。

滝山城は、大永元年(1521)に武蔵守護代の大石定重が築城し、後に大石氏の養子になった北条氏照(小田原北条氏四代氏政の弟)が、拡張、改修したとされてきました。しかし近年の研究により、北条氏照は由井領を支配していた大石綱周の養子になり、浄福寺城(八王子市下恩方)に居住し、その後、永禄10年(1567)までに滝山城を築城して移転したと感られてきています。
滝山城が築かれた加住丘陵は東西に長く、北は多摩川に浸食された急峻な断崖、南は谷戸が入り組んだ複雑な地形になっています。こうした地形を利用した滝山城の特徴は、「二の丸の集中防御」です。「二の丸」は3つの尾根が集中していて、各々に「※馬出」を設け、「二の丸には敵を絶対に入れさせない」という堅固な構えになっています。永禄12年(1569)10月2日に甲斐の武田信玄が上野から武蔵に侵入して滝山城を攻撃した際に、城下に火をつけて「二の丸」まで攻め込んだと伝えられています。しかし氏照が、当時同盟関係にあった上杉謙信の重臣に出した手紙によると、城下に兵を出して戦ったとあります。
その後、氏照は甲斐を重視して八王子城の築城に取り掛かり、天正15年(1587)ころまでに、移って行ったと考えられています。
                     滝山城パンフレットより引用


以下に写真中心に載せていきます。一部は2年前に撮影した写真で補完しました。


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現在の滝山街道沿いにバス停や駐車場があり、そこから城内に入るとまず現れるのが天野坂です。この細い坂道が大手口とされ、現在は車1台が通れるくらいの幅がありますが、当時は人ひとりが一列になって通るがやっとの幅しかなかったと考えられていて、寄せ手がここを突破しようとすると両側の頭上から一人ずつ槍で突かれることになります。


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三の丸の堀。左手斜面の上が三の丸です。大手口を進み天野坂を抜けると右手に三の丸の堀が現れます。


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自転車が走っている道が天野坂を抜けてきた大手道になります。三の丸から眺めてたところで、この辺りから鉄砲で敵を狙っていたかもしれませんね。


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二の丸の堀と土塁。写真では規模が伝わりづらいのですが、堀は非常に深く長さもあり、彫刻刀で削り取ったかのような美しさを感じます。このような堀が随所に良好な形で残されており、滝山城の最大と見どころの一つとなっています。


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大池と呼ばれる池の跡には多くの樹々が生え、冬場は長い影をのばし見た目にもとても美しい場所です。


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ことらも大池の跡。現在は水がありませんが、当時は水堀の役割も果たしていたのでしょう。写真下に人が歩いているので大体の木の高さや池の規模を想像いして頂けたらと思います。ちなみにこの木は桜で、4月上旬は見事な風景を楽しめますよ。


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大池はこのような堤(土手)を築くことで水が貯められるようになっていました。


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大池の湧水。水が湧いているのが分かりやすいので1枚だけカラーを載せました。堤(土手)の上から撮っています。


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左手下方に見えるのが大池。右手も堀になっています。この土塁を進んでいくと上の写真の堤に出ます。


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二の丸と堀。右の斜面上が二の丸で堀底からは10m以上の高さがあります。おそらく隅には櫓があったかもしれません。


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ここは名前が分からない曲輪ですが、かなり多くの兵を置けるスペースがありました。今までは藪に覆われ見学するのが難しい場所でしたが、ボランティアの皆さんが伐採整備してくれたおかげで見学することが出来ました。


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小宮曲輪の堀。今年訪れた時は整備のため見学不可になっていたので、2年前に撮影した写真を載せました。小宮曲輪は大手口や滝山街道に近く、城の一番外側にあたり敵からの攻撃を真っ先に受ける場所です。そのため堀は深く土塁も非常に高く盛られていました。


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こちらも小宮曲輪の堀です(2年前に撮影)。竹林が美しいですね。


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中の丸。ここは広いスペースが広がり、ボランティアガイド詰所、続100名城スタンプラリーのスタンプ置き場、トイレ、ベンチなどがあり一休みをするのにいいところです。春は桜が楽しめます。


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中の丸と本丸を結ぶ木橋。中の丸側から奥の本丸側を撮っています。


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木橋の上から撮影。


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木橋を掘底道から見上げたところ。左側が中の丸、右側が本丸です。石畳が敷かれていますが、これは当時のものではなく整備された時に敷かれたものです。


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本丸下段。階段上は霞神社。写真は撮っていませんが本丸には井戸があります。


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本丸は上段、下段の二段になっています。写真は上段の金刀比羅神社。


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本丸からは北側の展望が開けた場所があり、眼下には多摩川の流れや遠く関東の山並みを望めます。この写真は本丸からですが中の丸からも見晴らしよく楽しめます。


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訪れた日はところどころで林床整理が行われていました。期限は過ぎているので現在は完了していると思います。


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城内の要所にはこのような案内板が設置され見学しやすいよう配慮されています。こういうのはカラーで撮ればよかったと反省です。カメラはいつもモノクロ設定なもので。


まとめ

滝山城跡は広大な範囲に築かれており写真に収めたのはほんの一部に過ぎず、全部見ようと思えば1日がかりになるかもしれません。でも主要部に絞れば2時間ほどみればかなり満足いく見学が出来ると思います。

城の北側は急峻な地形と多摩川という天然の堀に守られていますが、南側は比高20mほどの緩やかな地形で滝山城の弱点となっていました。しかし堀や土塁など複雑に張り巡らせることで寄せ手を撥ねつけ、次から次へと現れるそれらの仕掛けに攻める側にしたら心折れそうになることでしょう。

規模、縄張りのよさ、保存状態など、東京近郊のお城で中世城郭を学ぶには最適なお城の一つです。しかしこのご時世ですから現在は駐車場が閉鎖され、ボランティアさんの伐採作業も休止されています。また夏場は草木が生い茂り遺構を確認しづらくなりますし、興味ある方は今は無理せず秋以降に訪れてみてはいかがでしょうか。


参考文献と参考サイト

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表紙にあるような絵図が豊富に載せられており、滝山城の見学前に読んでおくと、現地を訪れた時にイメージしやすいと思います。現地案内板もこちらに掲載の絵図が使用されています。


滝山城案内図やボランティアの方々の活動ブログ、最新の状況など参考になります。


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