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宮沢賢治が鉱物に映す宇宙

代官山 蔦屋書店の自然科学の小部屋では、2023年3月27日まで、宮沢賢治と鉱物の関係にフォーカスするフェア「鉱物に映る宇宙」を開催しています。セレクトは広島の鉱物標本店 PEANTUS MINERALSさんです。

今回のフェアを企画するにあたり、コンシェルジュとしてどんなことを考えていたのか、書いていきます。


宮沢賢治は今年没後90周年を迎えます。賢治の作品をあらためて読み返していると、鉱物に関する美しい表現が多く現れることに驚かされます。

りんどうの花は刻まれた天河石(アマゾンストン)と、打ち劈かれた天河石(アマゾンストン)で組み上がり、その葉ははなめらかな硅孔雀石(クリソコラ)でできていました。黄色な草穂はかがやく猫睛石(キャッツアイ)、いちめんのうめばちそうの花びらはかすかな虹を含ふくむ乳色の蛋白石、とうやくの葉は碧玉、そのつぼみは紫水晶(アメシスト)の美しいさきを持っていました。そしてそれらの中でいちばん立派なのは小さな野ばらの木でした。野ばらの枝は茶色の琥珀や紫がかった霰石(アラゴナイト)でみがきあげられ、その実はまっかなルビーでした。
童話「十力の金剛石」より

「キャッツアイ」「紫水晶(アメシスト)」「ルビー」などはイメージがつきますが、「天河石(アマゾンストン)」「硅孔雀石(クリソコラ)」「霰石(アラゴナイト)」といった鉱物はなかなかイメージが浮かびません。

実際の鉱物と賢治の言葉を並べてみることで、魅力的な賢治の世界に深く入ることができないか? そう思ったのが、今回のフェアのきっかけでした。

鉱物の魅力

賢治は、幼い頃から「石っこ賢さん」というあだ名がつくほど、鉱物に強い関心を持っていました。盛岡高等農学校で土壌学を学び、農学校の教員になり、農民の肥料設計を行うなど、鉱物や土壌とは切っても切り離せない生涯を送りました。

賢治は鉱物のどんなところに魅せられていたのでしょうか。

賢治は農民の暮らしを改善することを目指していました。そのため、作物を実らせるための土壌の改善という〈実用的な関心〉から、鉱物に興味を持っていました。晩年は、石灰を肥料として活用する東北砕石工場の技師を務めていたほどです。

さらに、鉱物の美しさに強く惹かれていたことも指摘できます。賢治の作品には、「星」「光」「風」「空」「お菓子」など、きらきらしたもの、透明なもののモチーフが度々現れます。子どもの頃の賢治が鉱物に興味を持ったのも、そのような美意識からではないかと思います。

例えば「銀河鉄道の夜」の、ジョバンニとカムパネルラが白鳥の停車場で下車し、列車から見えた河原に降り立つシーンには、光り輝く透明なものに対する強い関心が感じられます。

河原の礫(こいし)は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉(トパース)や、またくしゃくしゃの皺曲(しゅうきょく)をあらわしたのや、また稜(かど)から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光(りんこう)をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。
童話「銀河鉄道の夜」より
水晶

空模様と心模様

実用的な関心、美意識に加えて重要なのが、自然の事物や人間の感情を表現するための表現手段として鉱物を用いていたことです。賢治にとって、鉱物は物語や詩を描き出すための「絵の具」なのです。

月のまはりの黄の円光がうすれて行く
雲がそいつを耗らすのだ
いま鉛いろに錆びて
月さへ遂に消えて行く
  ……真珠が曇り蛋白石が死ぬやうに……
寒さとねむさ
もう月はたゞの砕けた貝ぼたんだ
『春と修羅 第二集』「河原坊(山脚の黎明)」より
蛋白石(オパール)

この詩では月の光が雲に覆われ薄れていく様を、真珠や蛋白石(オパール)のイメージと重ねて表現しています。

鉱物をより多く、より深く知ることは、それだけ世界をより解像度高く捉え、よりリアルに表現するための「言葉」を手に入れることなのです。

天河石、心象のそら
うるはしきときの
きみがかげのみ見え来れば
せつなくてわれ泣けり。
詩「冬のスケッチ」より
天河石(アマゾナイト・アマゾンストン)

例えば、ここでは空模様が「天河石(アマゾナイト・アマゾンストン)」にたとえられています。「心象のそら」とは、賢治の心の中に現れる心象風景としての空です。「うるはしきときの/きみがかげのみ見え来れば」とは、(おそらくもう会うことのできない)記憶の中の美しい「きみ」の姿が、心の中に浮かび上がることでしょう。その時、「われ」の心にせつなさが込み上げてきます。天河石の青緑色は、空の色彩の表現であるとともに、賢治の心にひそむせつなさの表現なのです。

ここでは、空模様と、心模様と、その重なりが鉱物の名前で語られています。賢治にとっての鉱物は、単なる外の自然物ではなく、自分自身の内側の感覚と深くつながっている何か不思議なものだったと言えるでしょう。

このようなつながりを賢治が鉱物に感じたのは、鉱物が多様な色彩や質感をもち、心模様を物質の形で表現しているように見えるからなのでしょう。

水よわたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ
そこには赤いいさり火がゆらぎ
蝎がうす雲の上を這ふ
  ……たえず企画したえずかなしみ
    たえず窮乏をつゞけながら
    どこまでもながれて行くもの……
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
うすい血紅瑪瑙をのぞみ
しづかな鱗の呼吸をきく
  ……なつかしい夢のみをつくし……
『春と修羅 第二集』「薤露青」より
瑪瑙

亡き妹トシへの想いを表現した詩「薤露青」では、日が暮れて星空が現れていく空の描写の中に「瑪瑙」が用いられています。薄れていく夕焼けの比喩としての「うすい血紅瑪瑙」は、なつかしさ、せつなさ、やりきれなさ……、そのような言葉では抜け落ちてしまう心の細部を映しているように感じます。

賢治のように鉱物を見ること

賢治は、レイチェル・カーソンが「センス・オブ・ワンダー」と呼んだような、目の前の出来事の不思議さをみずみずしく感じる感性を持っていました。

鉱物は、人間の一生を遥かに越えた、壮大な宇宙の歴史が育んだもの、巨大な宇宙の歴史を凝縮した小さな宇宙です。人間の心も、葉の上の小さな露が天と地全体を映し出すように、大きな宇宙を映し出すものであり、鉱物と心は謎めいた仕方で響き合っています。

鉱物の不思議な姿の中に自分自身の心を感じる瞬間が訪れたとき、私たちは宮沢賢治と同じような仕方で鉱物に魅せられているのかもしれません。

孔雀石

フェア情報

鉱物に映る宇宙

期間:2023年2月18日〜3月27日
場所:1号館1F 自然科学の小部屋
共催:PEANUTS MINERALS

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