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映画『天気の子』は現代社会に舞い戻った王道のボーイミーツガールだった。

まず最初にお礼を言いたい。新海監督ありがとう、と。

なぜなら、今日から私は「一番好きなアニメの映画はなんですか?」と聞かれても迷うことなく、自信を持って「天気の子です」と答えることができるからだ。

細田守監督の『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』の正当進化が『サマーウォーズ』であるなら、
新海誠監督の『天気の子』はさながら『雲の向こう、約束の場所』の再来であり、私のような古参ファン達が待ち望んでいた“セカイ系”である。

私が大好きな秋山瑞人の精神を引き継ぐ者は、新海誠監督であった。

《以下、ネタバレあり》

序盤から『君の名は。』でのキラキラした世界を否定し、東京怖いから始まる東京砂漠での生活をまざまざと見せつけられ、挙げ句に「バーニラ!バニラ!高収入!」と怒濤の汚さを展開する。
あーなんて見慣れた街並みなんだ。きっとあそこでは呑みすぎてゲロを吐いてる奴がいる。ここは紛れもなく生ゴミの臭いのする新宿だった。

そもそも、メインターゲットが前作の『君の名は。』で獲得した若年層であるにもかかわらず、編プロ(編集プロダクション)なんていう下手したら社会人でも知らないような業界をサラッと出しちゃうあたり、いかにも新海監督のリアルが表現されている。

また、物語とは関係ないが、今作ではところどころに新海誠監督のオタクっぽさが滲み出ていて好きだったりする。

初期の作品でおなじみだったエヴァっぽい演出があったり、『サマーウォーズ』のカズマを彷彿とさせる天野凪は男の娘好きにはたまらないし、カナとアヤネに至っては名前すらまんま同じ花澤香菜と佐倉綾音というキャスティングである。
『星を追う子供』でも金元寿子さんを採用して監督が「イカちゃん可愛い」と喜んでいたのが印象的だった。
これはあれだ、完全に趣味だ。毎度ながら良い性癖である。

そして、今作を「エロゲーのようだ」と評している方々が多いのも納得だ。
主人公には常に『逃げる』という選択肢が与えられ続けていた。

拳銃を見つけても拾わなければいい。
ヒナがホテルに連れ込まれそうになっても無視すればいい。

チンピラが馬乗りになって帆高を殴るシーンで、主人公が拳銃の引き金を引くか悩んでいるときに帆高の顔が徐々にアップになり、同時に耳鳴りのような音が大きくなって、観客の誰もが『撃つか』『撃たないか』の選択肢を迫られ、

破裂音がした。

新海監督が音楽に合わせた映像を作るのが上手いことは知っていたが、ここまで“無音”を印象的に使用する監督だったことに初めて気付いた。

この時点で、『ほしのこえ』時代から新海誠監督を追いかけていた私も、「この作品ヤバイかもしれん」と心の中でドキドキしながら、劇場でカップルに囲まれながら、ひとり微笑んでいたのである。気持ち悪い。

果たして、願いは叶った。

まず驚いたのが、『君の名は。』の登場人物が惜しげもなく出演していることだ。
思わず映画館なのに「えっ?」と声が出てしまった。まさかのクロスオーバーである。
単純にサービス精神であるか、前作との繋がりを匂わせて今作の集客をマーケティング的観点から目論んでいたのかは定かではない。

ただひとつ言えることは、隕石を降らせ、雨も降らせるこの世界の神様は、いったいどれだけ残酷なのだろうか。次は何が降ってくるのだろうか。

……という冗談はさておき、前作と今作、この言い換えれば正反対なエンタメ作品が同じ世界線で繰り広げられているという事実だけでも、ファンにとっては脳から出ちゃいけない物質みたいな何かが全身の毛穴から飛び出していくような感覚になる。

今作について新海監督はこう語っている。

「ちょっともうヤケクソになったというか、(『君の名は。』を観た人に)こんなに叱られるんだったら、もっと叱られるようなものを作りたいと思ったんです。調和で終わる物語や、教訓めいた着地をする物語からなるべく離れた作品を作りたい、そういう気分だったんだと思います」

『君の名は。』では随分と丸くなったなあという印象を抱いたが、大ヒットした前作が皮肉にも今作を作るための土台になったことに感謝してもしきれない。

そして、物語は動きだす。

ヒナが人柱であることに主人公達は気付く。
非現実的な展開と同時に、拳銃の不法所持というリアルな側面から警察が仕掛けてくる。
いや正直、拳銃に関しては暴力団と警察の仲良しごっこに主人公が偶然巻き込まれてしまっただけなのだが……。
それでも警察は容赦しない。それもそうだ、ヒナの秘密を知らないのだから。

「逃げよう!」

俺はこの十年間、この言葉を待っていた。
組織に追われる少年少女達の逃避行が始まった。
私が一番好きな小説『イリヤの空、UFOの夏』が重なる。

だが、残酷なことに幸せな時間は長くは続かない。なんなら一晩だけだ。
ヒナを失い、凪は児童施設に送られ、帆高は警察に捕まる。

それでも帆高は希望を捨てない。ここに理屈はない。
何をすればヒナを助けることができるか、超常現象の前ではそんなこと全て妄想でしかない。だが、そんなことはどうでもいいのだ。
ヒナを取り戻すためにできる全てのことをする。それだけだった。

そして、断言しよう。アニメ映画史上最高の伏線回収があった。
一度は廃ビルで投げ捨てた拳銃を、帆高がヒナを助けるために自ら手にするのだ。
この時の興奮は、映画を観たあなたならすでに体験しているであろう。

それを皮切りに天野凪や須賀圭介が主人公を助ける。
使い古された王道中の王道であるが、だからこそ良い。

てっきり平泉成刑事が味方してくれると思っていたが思いっきり敵だった。マジで敵だった(二回言った)
ある意味、今作ではそれが正しいのだろう。

こういった物語では最終的に誰もが主人公達を理解して味方になってくれるのがお約束だ。『サマーウォーズ』のようにみんなの力を借りて「よろしくおねがいしまあああああああああす!」とエンターキーを叩くはずなのだ。

ここで唐突だが、ツイッターのとあるフォロワーさんが非常に印象的なレビューを書いていたので引用したい。

《警察から追いかけられる最中、大衆から冷ややかな言葉を投げられる。
そんな中助力してくれたのは、世界に嫌気がさしていて、なおかつ非現実的なことを信じることの出来る夏美だった

この演出で感じたのは、「世界は正常になっても、ヒナが世界を救った事実は残らず。ほとんどの人々は幻想を信じず、相変わらず冷笑的であるということもまた何も変わっていない」
ということであった。 》

引用元→https://fusetter.com/tw/QEK7N#all

この記事に私が伝えたいことが全て書かれていた。
主人公の言葉を借りれば、「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語」なのだ。

彼らだけの物語なのだ。

……だが、ひとつだけ、ひとつだけ欠点があるとすれば、それは終盤の廃ビルで須賀圭介が帆高を引き止めたシーンだ。
あのシーンがなければ警察との奮闘や、凪の活躍、そして須賀圭介の心の変化を感じ取ることができなかった。
だからこそ、勿体なかった。

もう少し、須賀圭介に“雨が降ってほしくない理由”のようなものがあれば、もっと感動的なシーンになっていたはずなんだ。
はっきり言って彼が主人公に立ちふさがる理由が一ミリも無い。
「大人になれよ」という言葉を伝えるためだけに、警察よりも先に代々木の廃ビルまで向かい、帆高の腕を引っ張ってでも止める理由にはならないからだ。
どうせ捕まるなら屋上に行かせてやればいいのに、なぜ止めたのか。あまりにも薄かった。八つ当たりにしても感情の起伏がおかしい。
『星を追う子供』のときの新海監督の悪いところ出ちゃったかあ、などと少し昔を懐かしんでしまった。

確かに、「あいつ一人の犠牲で天気が元に戻るなら」といった発言はしていたが、あのシーンではそのような意味で帆高を止めてはいなかった。
娘が喘息だからという意見も多いが、 別に雨が降ろうが降らまいが、娘が死ぬわけでもなんでもない。

妻が亡くなったことで今でも引きずっているくらいに『人を失う悲しみ』を知っている須賀という人間が、娘がはしゃいでる姿を見たいがためだけにそんなアクションを起こすとは到底感じられないのだ。
そのわりに、帆高が刑事に捕まったときに「それは俺の役目だー」的な発言をしているが、どの口が言っているのか。

私が大好きな秋山瑞人の『イリヤの空、UFOの夏』に登場する榎本に遠く及ばなかった瞬間だった。

……とはいえ、セカイ系の物語には須賀圭介のようなだらっとした大人が必須なのである。
社会を知らない子供と、疲れ果てた大人の対比。
それが物語に、引いては主人公達に活力を与える。輝きが生まれる。

それは、大人になった私達が眩しいと思うほどに。

泥だらけになりながら、周りに笑われながら、ただ好きな女の子のためだけに自分の命を犠牲にしてまでも全力で走り続ける主人公がそこにいた。
これが見たかったんだ、私は。

この『天気の子』という作品は、『雲の向こう、約束の場所』で見せたエロゲーよろしくセカイ系の申し子である新海誠監督が、『君の名は。』の大ヒットで得た評価と引き替えに導き出したアンサーなのかもしれない。

彼女を選ぶか、世界を選ぶか。

あの瞬間、確かに森嶋帆高は世界の中心にいた。
狂った世界の真ん中で、帆高は彼女を選んだのだ。

バッドエンドではない。ハッピーエンドでもない。
これこそがトゥルーエンドだ。

そんな主人公に私が一言だけ伝えることができるなら、この言葉を贈りたい。
「大丈夫だ」、と。



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