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どういう人間でありたいか 誠実であること



「良い感じ」
で、生きていたいです。

精神的に豊かで、自分らしく、活力に満ちて、人生を謳歌しているような感じ。


自分を見失わずに「良い感じ」でいるためには、どういう人間でありたいかをちゃんと言語化しておくことが良策だと考えました。
迷うようなことがあったり、誘惑に負けそうな時に、選択を誤って「悪い感じ」になってしまうのを防げそうです。

自分はどういう人間でありたいか、一つずつ整理しておこうと思います。


●誠実であること


これは、自分の中で、結構大きな部分を占める大事なことです。


私が思う「誠実である」とは、「自分の利とか欲のために、何かを偽るということをしない」ということです。

仕事だからといって、自分が良いと思っていないものを売りつけたり、
陰口を言っていた本人の前ではいい顔をして同調したり、
自分が得をするように、人の行動を誘導しようとしたり、


そんなことをしたくありません。


理由はいくつかありますが、その方がかっこいいから、というバカみたいな理由の他に、大きなものは次の三つかなと思います。


・信頼
信頼されているということは、自分の誇り・尊厳を持って生きるために重要なことだと考えますが、不誠実であったことが明るみに出ると、その信頼が一瞬にして崩れます。

信頼度が0になるならまだしも、信頼度が大きければ大きかった分だけ、マイナスに振り切れてしまうことは想像に難くありません。

私はできるだけ皆と仲良くして、敵を作りたくない人間なので、わざわざ味方だった人が敵にまわるような可能性を生み出したくありません。


・罪悪感
不誠実である場合には、なにかしら嘘をついて人を騙している状態が多いと思います。

子どもの頃に祖母から、「お天道様が見ているから、悪いことはしてはいけないよ」と耳にタコができるほど刷り込まれた私は、その「人を騙している」という罪の意識に耐えられません。

経験から、たとえその嘘が些細なことであっても、ずっと細い針で刺されているようなダメージが残り続けることがわかっているので、一抹でも罪悪感が心の中に芽生えるのを防ぎたいという思いがあります。


・自分にも嘘をつく
これまで生きてきて、冒頭で書いたように「良い感じ」で生きるためには、自分の本当の気持ちを無視して、偽りの自分を演じることが一番の毒であることがわかっています。

上の二つの理由から、相手に不誠実な態度を取るということは、自分の気持ちにも不誠実であることに他ならないのです。



上記のように理由を考えてみると、割と打算的です。笑


しかし、「誠実でいたい」という望みは、人類の根源的な欲求であるとも感じます。

誠実でいたいのは生得的なものなのか、後天的に獲得したものなのか、引き続き考察していくことにします。

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