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吐き出し

note始めたきっかけ

自分のnoteを見返してみたら一番古いものが2016年だった。その内容が”アカウント自体は一年前くらいから作ってましたが初めて書きます”的なことが書いてあったので多分2015年からnoteはやってるっぽい。

まあ始めたきっかけは当時聞いてた伊集院光さんのラジオで話してたからです。その他に当時よく見てたブログの人も似た時期で始めたから。自分の知ってる人が3人くらいいたら流行ってるのかな?と思いますよね。それでアカウントだけは作ってました。

書き始めた時期も覚えてます。その時期noteにブロガーの方々が大量に流れ込んできたんですね。で、当時の僕は「今なら紛れこめる」と思って書きました。


リハビリなんです

僕は2013年に会社をやめてます。20代前半の時です。辞めた理由は身体に影響が出るほどストレスを感じてしまったからなんですが、辞めたあとで何がストレスに感じていたのかを自分なりに考えてみた結果どうやら”他人とのやりとりがキツイ”という自己分析に至りました。

いや、それもう働けないじゃないですか・・・

接客業なんか候補にすら上がらない。それでなくても職場のホウ・レン・ソウに支障が出ますし、電話対応も大分しんどかった。メールすら一つ一つに心拍数が爆上がりしながら送りました。ちなみに”関係者各位〜”とかの形式的なやつじゃなくて上司へのただの連絡メール。しかも割とプライベートに近い内容だったり。
正直こんなの新卒、新入社員だった誰もが経験するし多くの人が「自分もそうだった」「数こなせば大丈夫」「慣れですよ」って感じだと思います。でも多くの人が経験して乗り越えてる、あるいは今でも負担に感じつつもこなして仕事続けてるわけでしょ。そんな、いわゆる”誰しもが通る道”でつまずくどころか玄関先や車の中でゲロを吐き散らかして動けなくなっちゃってたら本当に会社として必要な仕事なんか請け負えないですよ。
さらには通勤というものもダメでしたね。地方なので車がメインの移動手段ですが朝の車いっぱいな感じはすごい嫌でした。原付もビュンビュン通り過ぎてくから気をつけてないといけないし、朝だからバスもよく停車してそれを避けるのに車線変更もごちゃってするし、通勤時間帯だから結構無理やりな運転する人もたくさんいるし、後ろの車すごい詰めるなぁとかうわっイライラしてるやんとか。いろんなことに気を張ってしまうのでそれだけでかなり疲弊してしまうんですよね。


まぁそんな感じで会社を辞めて、そっから実家暮らしであることや親父の仕事の手伝いなんかで助けられてて、自分でできる範囲で微々たる収入を得つつ療養するわけです。しかし自分の嫌だと感じていたことを自覚してしまうと今まで自分をごまかしつつこなせていたこともしんどくなるんですねぇ。

具体的にあげると自宅から徒歩2分くらいのコンビニに行くことすらできなくなりました。友人からの電話は出れなくなり、メールも怖いという状態。
会社を辞めて一ヶ月ほど何もせず何も気にしないようにと努めていたら出歩ける様にはなりましたが電話やメールとか宅配のお兄さんとか、数年経った今でもドキドキします。

しかし、人生を生きて行く上で完全に人と関わらないのは無理!

そこで自分を出していく練習の場としてnoteを始めました。まだサービス開始からそこまで時間が経っていないのでリアルの顔見知りは絶対やってない。ツイッターほど拡散性が高くなくフェイスブックほどリアルでの繋がりを強要してこない。ブログを始めるほど複雑ではなく、ブログより記事数が少ないく定期読者がいない状態でも他人から閲覧されやすい良い。そんなある種閉鎖的であるけど浸透率がいい感じがとても良かったです。

noteで感じたこと

noteを始めた当初の印象としては「なんか暖かい」でした。noteはクリエイター活動をサポートするサービスとして銘打っていましたが、個人的には日記やコラムやエッセイが当初目につきやすかったです。またその内容が自分と似て「会社辞めた」とか「無職」とか「療養中」とか。その文章もブログで見かけるよりはるかに暗いというか重さを感じさせるものでした(僕が感情移入しすぎていただけかもしれませんが)。そしてその記事に対するコメントも似た空気を出す人達。「似た者同士」とか「類は友を呼ぶ」とか「落ちこぼれの傷の舐め合い」みたいに取られるかもしれませんが、僕にはそれが暖かく感じました。

 また現役の漫画家だったり本の著者もいて、自分の作品だったりnoteで日記やコラムを公開していましたが、利用者の多くが一般人。そんな一般の人達も作品を公開していました。趣味でやっている人だったり新しく始めたばかりの人が公開してるんですが、いわゆる”叩かれる”という空気は一切なかった印象です。公開されているのも、悪い表現かもしれませんが”稚拙な作品”と捉えられるものをよく見ました。ですが僕には、現状の稚拙な自分を出し合っている感じが、それが受け入れられている空気がとても暖かく感じました。

現状の、自分でも自覚できるほどの未熟さしかない作品でも発表できる空気をnoteは持っていると思います。それは作品を通じてその人自身が

漫画やイラストや小説、映像や音声を配信できるサービスというのは他にもあります。その中で個人的にnoteならではかなと思った事が一つあります。noteでは漫画もイラストも写真も文章も映像も音声もこの一つのサイトで発信する事ができます。これだけ個人が多様な手段で色んな表現をしている事によって、

 ”この絵が好き”
 ”この文章が面白い”

から

 ”この人の絵が好き”
 ”あの人の文章が面白い”

さらに

 ”この人が好き”
 ”あの人が面白い”

という様に、作品が良い悪いを飛び越えて「どういう人間か」が伝わりやすい事がnoteらしさかなと思ってます。そしてそういった部分が個人的には合っていたんだな、今書いてて納得してます。

最後に吐き出し

noteの中で”駄文”とか””拙い文章”や”未熟ですが”といった言葉を良く見ます(僕も結構使っちゃいます)。気持ちは良くわかります。でもあえて言いたい!それが読みたいのです!それが見たいのです!
正直僕は文章の良し悪しなんか知らないし絵の技術云々も知らないです。ただその文章や絵を描く人が、何を見てどう感じる人間なのか、何を経験してどう考える人間なのかはすごく興味があります。だからどんどんnoteを書いて欲しいのです。

その絵を描くあなたはどんな机を使っていますか?
その文章を書くあなたはどんな本棚を持っていますか?
その声を出すあなたはどんな部屋に暮らしていますか?

楽しそうなあなたはどんなお酒を嗜むのでしょうか?
やる気の出ないあなたはどんな枕で眠ってますか?
家にこもるあなたはどんな靴を履くのでしょうか?
youtubeばかり見るあなたは右利き?左利き?
旅好きなあなたは旅先で人を見る?それとも看板?

いい文章だけを読みたい訳ではないです。魅力的なイラストだけを見たい訳でもないです。綺麗な写真だけを見たいんじゃないんです。
どんな人が、どんな事を、どう感じて、どう表現するか。
それを見たいんです。人間の違いが面白いんです。

エッセイ集というものがありますが、その人が経験した日常が、その人を通す事でどう見え方が変わるのかを読者が勝手に自分との違いや共通点を探して楽しむものじゃないかと勝手に思っています。

だとすれば、駄文でも稚拙でも、十分な作品です。その駄文だと思ってるnoteを10個でも書き溜めてみてください。その文章も稚拙さもあなたという人間を表す味です。立派な作風です。

・・・と、ここまで書いたけども結局noteは「自分で思ってるほど悪くねぇぞお前」と感じさせてくれる場所でございます。
果たしてここまで読んでくださる方がいるのか疑問に思ってますが、少しでもいろんな人を知れたらなぁと皆様のnoteを期待しております。

ではでは。


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