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荒野より君に告ぐ

体育会系ミソジニー体質

 2019年に開催されたラグビーワールドカップで「にわかファン」という言葉が流行した。

 ラグビーはマニアックな古参ファンだけのものではない。「にわかファン」を大切にしよう。日本代表選手をはじめ、ジャーナリスト、記者、ラグビー関係者の多くがそう発信した。

 さて私は「にわかファン」ではない。「出戻り」ファンである。

 学生時代にラグビーの虜になって、ラグビーマガジンを買い、秩父宮や国立に足を運んだ。そう、かつてブームがあり、ラグビーのファンはたくさんいたのだ。

 女性のファンが少ないといわれる世界だけど、声を大にして言おう。かつては女性のファンだって、たくさんいたのだ!

 じゃあ、どうして離れてしまったのか。

 ひとつにはこの国の女性のライフスタイルだ。
 結婚や出産をへると、女性はなかなか休日にふらっと家を空けることはできない。家事育児に休みはない。休日だって我々は洗濯物を干し、ご飯を作り、掃除をして子守をするのだ。


 もちろん女性全員というわけではない。けれど、これがこの国の多くの女性の役割で、我々はなかなか家の外に趣味を持ちにくいのだ。そのうえテレビで見られる試合が減ってしまっては、ラグビーへの興味を持ち続けることが難しい。

(幸いにも、今は衛星放送やデジタル放送で見られるようになったけれど)

 もう一つ理由がある。

 女性ファンに対するラグビー界の冷淡さだ。配慮のなさと言ってもいい。

 私はハーフバックスと呼ばれるポジションが好きなのだが、そう言うと男性のファンの方に「これだから女は(ラグビーがわかってない)」とか「やっぱり女はバックス好きだな」と笑われる。

 ちなみに「えっ、じゃあ男性はハーフバックス好きじゃないんですか? バックス嫌いなんですか?」ときくとめっちゃ怒られる。なんでだよ。

 私の女性の友人にはフォワードの選手のファンが何人もいたので、この意見には同意できない。

 だいたい「私」というひとりの人間の嗜好を、いちいち「女の総意」みたいに言われるのも納得できない。

(人類の半分がハーフバックスのファンなのかよ。それとも先入観にそって、ルールも知らないミーハーファンのフリをしていれば満足なんですか)

 もともとラグビーは男性が中心になってつくってきた文化だった。だから女性なんて、あとからやってきて事情も知らないくせに、ずうずうしく間借りしているやっかい者なのかもしれない。

 そう思うと、グラウンドへ行くのが少し怖くなった。人前で「ラグビーが好きなんです」と語るのが怖くなった。

 うんざりする気持ちが募って、しだいに足が遠のいていった。試合は見たいけれど、あのホモソーシャルで閉鎖的なコミュニティーには関わりたくない。

ジェンダーを乗り越える

 プロ化の構想が出てくるまで、ラグビー界は厳格なアマチュアリズムにのっとっていた。そこに特定の選手のファンだとか「見るだけ」という観客の居場所はない。


 競技者が観戦者でもありファンでもある。小さくて濃密なコミュニティ内で需要と供給をぐるぐるまわしてきた。「俺たちは同志」という空気に酔ってきた。

 そこに私のようなものの居場所はなかったのだ。

 今はそういってはいられない事情ができた。企業チーム主体だった社会人ラグビーを、収益化してプロ化することが目標になったからだ。

 近年、女性のチームも、女子を受け入れるクラブチームも、学生ラグビー部も増えてきている。

 狭くて結びつきの強い組織だったからこそ成し遂げられたこともあっただろう。だから、今までのコミュニティーを解体してほしいとか、変わってほしいとは思わない。競技経験者でない私に触れることのできない世界は、ずっとずっと手の届かないところに燦然とありつづけてほしい。

 一方で、コミュニティを同心円状にひろげて、ラグビーがたくさんの人々の身近な娯楽として定着してほしいと思う。外側の円には、誰でも気軽に入れるドアをつけてほしい。疎外感を感じないで、楽しく応援できる空気をつくってほしい。

Not All Men

 二十数年前、私は大学生だった。同じ大学の選手とラグビーの話をした。
 お互い一年生で、数か月前に彼は花園の地を踏んでいた。当時としては珍しく女性とも対等にラグビーの話をしてくれる人だった。

 その頃、某大学のスタンドオフの選手が注目されていた。私は、その選手の出ている試合のビデオを、一時停止と巻き戻しを使って、全フェーズ彼の走るコース、ポジショニングをチェックしながら見たことを話した。それは何時間もかかる分析作業だった。楽しかった。

「なんでそんなことするの?」

 彼がたずねる。

「その選手のどこが優れてるのか、自分の目で確認したかったから」

「そんなにラグビーが好きだったら、いますぐプレイヤーになったほうがいいよ。ファンとか女子マネとかじゃなくて、プレイヤーになったほうがいい」

「できるわけないじゃん」

 私が即答すると、ものすごく簡単に聞き返してきた。

「どうしてそう思うの」

 ちんこがないからだよ、としか答えようがない。

「だって女だし」

「女子チームさがせばいいじゃん。高いレベルでなくてもいい、趣味でいいから、絶対にやってみたほうがいい」

 当時の日本に女子ラグビーチームがまったく無いわけでなかった。ラグビーマガジンの小さな記事を見かけた記憶があった。しかし、私が通える場所で、未経験の女性が参加できそうなチームはみつけられなかった。

「無理だよ。だいたい身長低いし、センスないし」

「そういうことを言ってたら、一生なんにもできないんだぞ」

 とても真剣な顔でそう言ってくれた。

 謙遜ではなくて、本当に私は小柄だったので「プレイヤーになったほうがいい」というのはあくまで私が後悔しないように、ということなのだろう。私は彼がそんなに親身になって怒ってくれたことに驚いていた。

 同時に反抗心もあった。

(そりゃ、あんたは男に生まれついたからいいよね。偉大な先人がひいてくれた道があるもんね。キツイとはいえ、舗装された道路を走れるもんね。こっちは見渡す限り石ころだらけの荒野なんだよ)

 そう思っていた。でも言えなかった。

 彼の卒業した高校は、当時まだ全国で知られた強豪ではなく、彼の代で二回か三回目くらいの全国大会出場だったのだ。

 目の前の人もまた、みずから道を拓いたパイオニアでありチャレンジャーだった。彼の高校時代の背景を知っているので、「あなたはいいよね」とあのとき安易に言えなかった。

 私は結局、ラグビーの経験者にはなれなかった。ラグビー村の一員になることはできなかった。

 それでもあのとき、「選手になれ」と言ってくれた人がいたおかげで、それは自分から選択したことなんだと思うことができる。

 性別を理由にラグビー界から弾き出されていたわけではなく、私がラグビーをやる機会の少なさ、困難さに負けて競技者になることを選ばなかったのだ。


そして現在

「じつはそのときの彼が今の旦那です♡」みたいな甘酸っぱい話はいっさいない。

 現在、私には18年連れ添った配偶者がいて、ふたりの子どもがいる。

 私たち夫婦は互いに納得のうえで役割分担をした。子どもを出産してからの数年、夫は忙しく働き、私は専業主婦をして子供を育てた。私は実家から育児の手助けをしてもらえない環境だったので、ほとんどワンオペ育児だった。

 毎日を生きるのが必死だった。小説を書くことが夢だったけれど、自分のやりたいことからは遠ざかっていた。ラグビーも見に行かなかった。

 夫は昇進した。
 子どもの進学がきまった。
 ありがたいことだ。

 それは全て夫の功績であり、子どもの努力の結果だ。支えてくれた上司、部下、先生、友達のおかげだ。
 私の手柄はひとつもない。それでいい。

 最初の子を産んでから九年目、下の子が幼稚園に入り、やっと私は本格的に小説を書き始めた。

 昨年、自作の小説を出版してもらった。私のデビュー作だ。何度も落選を乗り越えて、創作を続けたかいがあった。出版界は不況で、先のことはまったくわからないけれど、私は今もこうしてnoteで文章を書き続けている。

 ラグビーワールドカップでの日本代表の活躍は素晴らしかった。
 ワールドカップを会場で見ることはできなかったけれど、子供たちを連れてウルフパック(日本代表選抜用チーム)の応援に行くことができた。

 今春、私はラグビートップリーグのチケットを4枚買った。今度は家族4人で観戦する。第12節、秩父宮だ。


 今なら、私は彼に笑顔で言い返すことができると思う。

「今度こそ私は、女性に生まれたことを理由にあきらめなかったよ!」



 ジャパンラグビー トップリーグ2020は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、11節以降全て中止となりました。(あああああ泣)

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