くたばれ、正論。の賛否を考える
レッドブルの新成人向けメッセージ広告「くたばれ、正論。」が燃えている。
私が初めてこの広告を見たときは、好意的に捉える筋からシェアされて来たので、炎上しているとは露知らず、「いいな」と感じた。
しばらくして、燃えてるらしい呟きも目にするようになり、調べてみたらSNSではやはり批判が目立つようだ。
というより、大抵こういう場合、批判のほうが目立つのはなぜなんだろう。
https://www.google.com/amp/s/prtimes.jp/main/html/rd/amp/p/000000035.000049143.html
私は一応広告業界に身を置き、ライティングもときどきやっている。
そのせいなのか、広告メッセージを見ると、「この広告主はこういう意図でこう表現しているんだな。」「こう言いたいんだな。」と意図を汲む方に思考が働くので、あまり最初から批判的に受け取ることがない。
今回の「くたばれ、正論。」も個人的にはあまり問題に感じないが、見ていると「正論」をどう受け取るかで真っ二つに分かれるようだ。
辞書的に第三者目線で見れば「道理にかなった正しい意見や議論」なのだから、あまりくたばるべきではない。
また、「感受性や衝動に従って好き放題行動するのは良くない。」という受け止め方も多い。
感染症の拡大中という状況と照らし合わせた意見も多かった。
解釈の幅が大きい言葉なので、この言葉が最適だったかはなんとも言えないように思う。
ただ、言葉というのは100%全員が同じ解釈をしてくれるものではないので、それこそ言葉遣いを指摘するのはこの広告からすると「くたばってほしい正論」になってしまいそうだ。
結局、「正論」というのは常に主観的な概念であるとは思わないか?
第三者目線での正論というのは、当事者たちにとっては存在しない。
皆、自分は正しいと信じ、それを振りかざしているのではないだろうか?
それがまさしくくたばるべき「正論」だ。
レッドブルが言いたかったのはおそらく
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もっともらしいことを言って若者のアイデアやチャレンジの芽を摘もうとする大人がいるかもしれない。
それでも、感性に従ってやってみよう。
レッドブルはそれを後押しする。
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ということのはず。
そういうメッセージは確かに受け取れる内容なのではないかと思う。
一方で、いろんな批判を読みながら
差別問題
SDGs
などを引き合いに出されると、このコピーは確かにちょっと苦しいように感じた。
それらは「貫くべき正論」とも言えるものたちだから。
すでにSNS上でも見かけるように「常識」とか「慣習」とかのほうが正しく伝わる率は高かったかもしれない。
ただ、広告コピーとしては少し力強さに欠ける。
より多数の受け手への配慮が求められる時代。
一方で、受け手も発信側の意図を汲み取れる懐の深さがあると、もう少しいろんなメッセージを気持ちよくやり取りできる世の中になりそうだと感じる一件であった。
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