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MotoGPが電動化される日は来るのか?

 近年世の中は脱炭素が声高に叫ばれ、各国政府も企業も自動車のEV化を進めており、2030年代に新車販売を全面的にEVへ移行するのを目標に掲げている国やメーカーもあります(最近になって若干トーンダウンしているようですが)。モータースポーツでも4輪はフォーミュラE、2輪にはMotoEというカテゴリーが新設され、MotoEは今年で6年目を迎えています。これは将来の脱炭素に向けた可能性を探る目的もあると思いますが、MotoGPの各クラスが電動車両に置き換わる日は来るのでしょうか?今回はMotoGPの電動化について考えてみたいと思います。

 現時点で確定している事として、どんなに早くてもMotoGPクラスが2031年までに電動化される事はありません。というのも、2027年から施行される新レギュレーションはレシプロエンジンを前提にしており、ハイブリッドの導入も見送られているからです。
 ドルナは世界的な脱炭素の風潮に対し、MotoGPを電動化するよりもまずは環境燃料への移行によって応えるつもりのようですが、短期的にはともかく長期的には部分的にでも電動化へ進まざるを得なくなるでしょう。MotoGPのレギュレーションの大規模な改定は5年単位毎なので、2027年の次、2032年あるいは2037年の改定ではハイブリッドが導入される可能性が高いでしょう。そして完全な電動化はそのさらに先になると考えられます。それがいつ可能になるのか、鍵を握っているのはバッテリー技術に他なりません。
 現在のMotoEはMoto3より若干速い程度のラップタイムですが、Moto3のレース距離の半分も走れません。現在のバッテリー技術では電力容量が圧倒的に足りないのです。現在のMotoEの性能とMotoGPの性能を比較すると、MotoGPを電動車両に置き換えるのは非常に長く険しい道程になるであろうことがわかります。完全な電動化を実現するには恐らく今世紀前半中はかなり難しいでしょう。2052年でもまだ厳しいかもしれません。

MotoE車両の性能

 2019年に始まったMotoEはワンメイク車両のレースです(競争こそが技術の進歩を促進するのでワンメイクでやるというのはどうかとも思うのですが)。2019年から2022年はイタリアの電動バイクメーカー、エネルジカのエゴ・コルサが、2023年からはドゥカティのV21Lが使用されています。これらの車両の性能は下表のとおりです。なお、エゴ・コルサの性能については資料によって若干のばらつきがあり、この表とは異なる場合があります。

MotoE車両の諸元

 エゴ・コルサは何度か改良されています。2020年にモーターのトルク増強、2022年にはモーターとインバーター等の軽量化により260kgだった車重が245kgと大幅に軽量化されています(これに伴って出力とトルクの数値に変化があったかどうかは確認できませんでした)。
 2023年からのワンメイク車両、V21Lは225kgと更に軽量化されましたが、エゴ・コルサに比べバッテリー容量が2kwh減っています。2023年から一部のサーキットで周回数が減ったのはそのためでしょう。
 2021年までのエゴ・コルサの車重、260kgは市販車ではスズキ・GSX-R1300ハヤブサやカワサキ・Ninja ZX-14Rといったメガスポーツ車両に匹敵します。2022年の245kgはさしずめこれらの車両のマフラーをアフターパーツに交換するなどして軽量化を図った状態と言えるでしょう。225kgのドゥカティV21Lならメガスポーツよりは軽そうですが、200kg前後の各社のスーパーバイクのベース車両よりもまだかなり重い事になります。当然、157kgのMotoGP車両とは比べ物になりません。
 MotoE車両がこれだけ重いのはバッテリーが重いからに他なりません。バッテリーパック単体でエゴ・コルサは130kg、V21Lは110kgもあるのです。ですが、これだけの重さのバッテリーを積んでいるにも関わらず、レース距離はエゴ・コルサで30km〜36km、V21Lで25km〜33km程度に過ぎません。ミサノ・サーキットなら8周、アッセンサーキットなら7周か8周です。2023年、アッセンではMotoGPは26周、Moto2は22周、Moto3は20周で行われました。これらの各クラスにはピットからグリッドに並ぶまでのサイティングラップ、スタート直前のウォームアップラップがありますが、MotoEにはウォームアップラップが無く、サイティングラップで消費した電力を補うためグリッド上でもスタート直前まで追加の充電が行われます。今のMotoE車両は非常に重いバッテリーを積んでいるにも関わらず航続距離は非常に短いのです。

MotoGPを代替し得る電動バイクの性能

 将来、MotoGPクラスを電動バイクに置き換える事になるとしたら、その車両の性能はどのようなものになるでしょうか。
 MotoGPクラスはバイクレースの最高峰であり、それを代替する電動バイクであるならば、その時点でのラップタイムと遜色のないものである必要があるでしょう。完全な電動化が取り沙汰される頃にはすでにハイブリッドシステムが導入されていることが予想されますが、その時点のMotoGP車両の性能は恐らく2027年以降の850cc車両からそうかけ離れたものにはならないでしょうから、850cc車両の性能を基準にします。850cc車両の最高出力は260ps〜275psになると予想されており、最低重量は150kgです。なのでこの数字に準じたものであればMotoGPクラスを代替する車両として遜色のないラップタイムで走れるのではないでしょうか。
 出力については特に大きな問題はなく、850ccMotoGPとほぼ同等の出力である200kw(272ps)程度のモーターを積めばよいでしょう。車重に関しては、850ccMotoGPは20Lの燃料タンクを満たすと重量は約165kg(環境燃料の比重を0.75と仮定)になりますが、バッテリーはいくら充電しても放電しても重さは変わりません。なので850ccMotoGPの最も重い燃料満タン時よりも軽い160kgとします。
 MotoGPクラスの決勝レースはほとんどのサーキットで120km以内、一部のサーキットではこれを若干上回る程度の距離で行われます。昨年最もレース距離の長かったのはレッドブルリンクの28周で121.744kmですが、サイティングラップとウォームアップラップ、更にチェッカー後のクールダウンラップまで含めると走行距離が最も長くなるのはムジェロ・サーキットで決勝は23周で120.635km、サイティング、ウォームアップ、クールダウンの3周を含めれば136km以上になります。これら3周は全開で走るわけではありませんが、この距離をレーススピードで走り切れるのならレース中の電欠は回避できるはずです。従って、850ccMotoGPマシンを代替しうる電動バイクの要求性能は、最高出力200kw、車重160kgでレーススピードで136kmを走り切れる航続距離、ということになるでしょうか。
 下表はMotoGPを代替する仮想電動バイクに要求される性能(推定値)と現在のMotoE車両(ドゥカティV21L) の性能を比較したものです。

 MotoGPを代替するにはV21Lよりも65kg軽く、90kw強力で、96km遠くまで走れる車両が必要ということになるのですが、実現の鍵を握るのはやはりバッテリーです。ですが、これははっきり言って、現在のテクノロジーでは到底実現不可能です。

ドゥカティV21Lを136km走らせるには?

 ドゥカティV21Lのバッテリーは、21700という直径21mm✕高さ70mmの単三電池を大きくしたような円筒形セル1152本の集合体です。1本当たりの容量は約15.6whでこれはあまり高性能とは言えず、コストダウンのために安価な物を使用していると考えられます。同様に21700の集合体を使用している乗用車、テスラ・Model3のバッテリーは容量75kwh、セルの数は約4400本なので1本当たり約17whです。21700には1本18whの物もあり、使用するセルを高性能なものにすれば1割程度の容量増が期待できます。パウチ(ラミネート)型のバッテリーの方がさらに容量当たりの重量が軽いのですが、その分高コストです。
 21700は1本当たり約70gなので、V21Lのバッテリーパック110kgの内訳は、約80kg強がバッテリーセルで残りの30kg弱がセルを収める容器ということになります。容器にはバッテリーセル間の配線、冷却液を巡らせる配管等も含まれるでしょう。V21Lの場合この容器はストレスメンバーを兼ねており、セルを保持する以上に強度を持たせる必要もあります。
 仮に今の技術でV21Lを136km走れるようにするにはどれだけのバッテリーが必要でしょうか。V21Lの後続距離を40kmと仮定(ミサノのレース距離33.8km+クールダウンラップ4.2km=38kmであることから推定)すると、136km走らせるには単純計算で約61.2kwhの電力量が必要です。テスラModel3に使用されているよりもさらに高性能な1本当たり18wh容量の21700セルを使用した場合、必要な本数は3400本、1本70gならセルの重さだけで238kgに達します(この時点で既に諦めたくなる数字です)。バッテリーがこれだけ重くなれば収める容器の強度も高めなければならず、車体もこの重さに耐えられるよう強度を高める必要がありますが、これらは皆重量増に繋がります。仮に作ったとすると、車重は400kg近くなるのではないでしょうか。アメリカンクルーザーのレース、キングオブバガーズの最低重量288kgを遥かに上回り、市販2輪車最重量級のホンダ・ゴールドウイングGL1800に匹敵する超ヘビー級です。これだけ重くなってしまえば実際にはその分航続距離は減少し、それを補うため更にバッテリーを増やせばさらに重くなり・・・と重量増のスパイラルに巻き込まれ更に重くなってしまうでしょう。
 重さはもちろん、バッテリーの体積もかなりのものになるのでレース用の2輪車として成立するとは思えません。今の技術ではV21Lを136kmレーシングスピードで走らせることは不可能です。

将来の技術革新に期待するしか無いが・・・

 では、将来の技術革新に期待するとして、現在のバッテリーからどの程度の性能の向上が必要になるでしょうか。仮想電動MotoGPの車重は160kgなのでV21Lよりも65kg軽量に作る必要があります。仮想電動MotoGPのバッテリー以外の重量がV21Lと同等だと仮定すると、バッテリーパックの重量は45kgです。このうちバッテリーを収める容器分が15kg、残り30kgがバッテリーの重さならば、1本70gの21700セル約428本分に相当します。
 必要な電力量はどの程度になるでしょうか。V21Lを基準にするならば、モーターの大型化による電力消費の増加と車両重量の減少による電力消費の減少、両方を勘案する必要がありますが、残念ながらそこまで複雑な計算はできないので別の方向からアプローチしてみたいと思います。850ccMotoGPは20Lの燃料でレース距離を走り切ることになりますが、20Lの燃料から得られるエネルギーと同じ電力量があれば、同等のレースができるはずです。環境燃料がガソリンと同等のエネルギー量(約10kwh/L)を持つとすると、20Lの燃料のエネルギー量は約200kwhに相当します。ですが、レシプロエンジンはエネルギーの変換効率が悪く、乗用車用の最も高効率なものでも約40%です。2輪用のエンジンは4輪用に比べ高効率化が難しいのでMotoGP用のエンジンの効率を30%だと仮定すると、運動エネルギーに変換されるエネルギー量は実質60kwh相当です。対して電気モーターのエネルギー変換効率はレシプロエンジンよりも遥かに優れていて90%以上です。これを91%と仮定すると、必要な電力量は約66kwhになります。この数字は仮定に仮定を重ねたものなので正確性は乏しいのですが、前述のV21Lを136km走らせるのに必要な電力量の約1.1倍なのでそれほど的外れな数字ではないと思います。
 66kwh、30kgのバッテリーは70gの21700セルにして1本当たり約154whの容量です。現行の1本18whの21700と比較して約8.6倍の容量です。バッテリー以外をもっと軽量化できたとして、バッテリーに充てられる重量を35kgまで増やせれば約7.3倍、40kgまで増やせても約6.4倍です。これはちょっと絶望的な数字と言っても良いかもしれません。

全固体電池が実用化されてもまだ道は遠い

 容量のハードルを下げうるものとしては、減速時にモーターを発電機にしてエネルギーを回収する回生ブレーキのさらなる活用(既存のMotoEにも回生ブレーキは装備されています)が考えられますが、2輪車ではブレーキの役割が極端に前輪に偏重している上に車両重量がシビアなためできることは限られます。前輪のハブに発電機を内蔵させればある程度は増やせるかもしれませんが、大規模な発電量は期待できないでしょう。また、それを付けることでハンドリングが悪化してラップタイムが下がってしまったり、発電機の重さが得られる電力量に見合わなかったりするようでは意味がありません。これは根拠の無い感覚的な数字ですが、技術が進んで回生できるエネルギー量を増やせたとしても、前述の倍率から小数点以下が消える程度ではないでしょうか。
 次世代の電池として期待される全固体電池は従来の2倍の電力量と言われていますが、これが期待通りの性能で実用化されてもMotoGPを電動化するにはまだまだ足りません。前述の通り、MotoGPクラスを代替するには現行の6倍〜8倍の性能のバッテリーが必要なので、全固体電池の実用化後もさらに容量を2倍にする程の技術革新があと2回必要ということになります。これは容易なことではありません。リチウムイオンを大きく上回る性能の新しい電池が発明でもされない限り無理かもしれません。冒頭、2052年でも難しいと書いたのはそのためです。

バッテリー以外の脱炭素の可能性

 脱炭素の方法としては、バッテリーによる電動化以外にも水素エンジンや水素燃料電池があり、水素エンジンは既存のレシプロエンジン技術が流用できるため脱炭素の方法として有力視されています。カワサキがNinja H2SXをベースにした水素車を試作していますが、従来の燃料タンクのスペースでは足りず、巨大なパニアケースに収めた高圧水素タンクを使用しています。カワサキは2030年代の商品化を目標にしているようですが、まだまだ開発の極初期段階でしょう。
 水素の最大のネックは密度が非常に小さく、液化しても1L当たりの重さが70gにしかならないことです。水素は重量当たりのエネルギーがガソリンの約3倍ありますが、ガソリン20L(15kg)に相当する液体水素5kgは約71Lの容量です。液体水素は扱いが面倒過ぎるので高圧タンクを使う事になりますが、700気圧で1L当たり42gなのでガソリン20Lに相当するのは約119Lです。カワサキの試作水素車のタンクがあれだけ巨大になるのも納得で、正直な所2輪車に載せるにはちょっと大きすぎます。また、水素は分子が非常に小さいため漏れやすく、長期間充填したままにしておくのも困難です。水素吸蔵合金はこの解決策になるかもしれませんが、現状車載できるほどの軽量化は難しいようです。
 バッテリーによる電動化には20年以上の年月を要すると思われますが、それまでに水素や燃料電池の技術がより実用的なものになっていれば、脱炭素の方向性もまた変わってくるかもしれません。

電動化は市販車次第

 これまで述べてきた通り、MotoGPを電動化するのは技術的に非常に困難と思われますが、これはいずれ時間が経てば解決するでしょう。ただ、将来、技術的に可能な状態となっても市販車の電動化が進まなければMotoGPが電動化されることは無いでしょう。
 世界的な風潮は(その良し悪しは別として)環境対策として脱炭素へ向かっています。これまでにもロードレース世界選手権は環境対策の影響を受けており、1998年の無鉛ガソリンの使用義務化はまさにこれに当たります。2002年の4ストロークエンジンへの移行も2ストロークエンジンが排ガス規制への対応が難しく、市販車から姿を消しつつあったためです。
 2002年、従来の最大排気量クラスであった500ccクラスがMotoGPクラスに変わり990cc4ストローク車両の参戦が認められるようになった当時は、すでに市販のオートバイのほとんどが4ストロークエンジンを搭載しており、ミニバイク以外の2ストロークエンジンの新車はほとんど姿を消していました。MotoGPの電動化が2ストロークから4ストロークへの移行と同じ流れを辿るのであれば、市販のオートバイのほとんどが電動に移行してからその後追いで行われると考えられます。ガソリンエンジンを搭載する市販車がカタログから姿を消している状態であれば、市販車開発への技術のフィードバックというメーカーにとってのMotoGP参戦の大義名分が失われてしまいます。これはまさに20世紀末頃のWGP500ccクラスの置かれていた状況と同じです。
 市販車の電動化がほぼ完了している頃には、市販車改造であり重量の制約が比較的緩く、レースの距離も短いスーパーバイクがすでに電動化されていると考えられます。スーパーバイクが先に電動化されていれば、その知見を活かすこともできるでしょう。
 全クラスの電動化にはさらに時間が掛かると考えられます。Moto2、Moto3は重量とコストを抑えねばならないのでバッテリー技術のさらなる進歩を待つ必要があるためです。250ccクラスがMoto2に置き換わったのは2010年、125ccクラスがMoto3に置き換わったのは2012年でした。MotoGPクラスの創設から全クラスの4ストローク化完了までに10年掛かっているので、全クラスを電動に置き換えるのにも同程度の年月を要するかもしれません。

排気音の無いレースを受け入れられるか

 MotoGPの電動化のハードルは我々観戦者側にもあると言えます。MotoEの中継映像をご覧になったことのある方はおわかりいただけると思いますが、MotoEのレースは実に静かです。これはもちろん排気音が無いからです。
 排気音はモータースポーツに何の理解も無い人にとってはただの騒音かもしれませんが、レースの盛り上がりには欠かすことのできないものでもあります。将来のMotoGPの脱炭素が水素エンジンで実現するのであれば、引き続き排気音のあるレースが行われることになりますが、電動車に置き換わるのならMotoE同様、排気音の無い今よりずっと静かなレースが行われる事になります。MotoGPの電動化には我々観戦者が排気音の無いレースを受け入れられるかという問題もあると言えるでしょう。
 ただ、この懸念も我々が排気音を伴ったレースばかりを見てきたからでもあり、レースはもちろん、オートバイには排気音が付き物だという認識が染み付いているからかもしれません。MotoGPの電動化が取り沙汰されるまでにはまだかなりの年月が掛かるでしょうし、その頃には市販車のほとんどが電動車に置き換わっているはずなので、排気音の有無についての認識も変わっているかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。
今回は憶測や仮定に基づく点が多いので内容の正確さには正直全く自信がありません。ご指摘がありましたらコメントいただけると幸いです。
次回はWSBKホンダの低迷について取り上げたいと思います。

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