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この人物は糸洲安恒か

先日述べたように糸洲安恒は、空手の歴史においてはビッグネームである。 それゆえ、彼を写した写真がないかとこれまで空手研究者たちは血眼になって探してきた。近年も糸洲安恒が写っているとされる写真が発見され報道されたのは、これまで紹介したとおりである。

ところで、海外では、日本の空手研究者も知らない人物の写真が糸洲安恒の写真だとして紹介されていることがある。以下の写真もその一つである。

この人物はどうして糸洲安恒と言われているのであろうか。実はこの人物の右隣に船越義珍が写っているのである。船越先生は糸洲先生を師匠の1人に挙げている。それゆえ、おそらく松濤館の人がこの人物を、糸洲先生だと考えたのかもしれない。

ところで、この写真はいつ撮影されたものであろうか。実はこの写真は船越先生が那覇小学校に勤務していたときの写真だという。

出典:村上勝美『空手道と琉球古武道』

写真全体を見ると明らかなように、 生徒たちも写真に一緒に写っているので おそらく卒業アルバムとか、そういった記念写真のひとこまに違いない。この写真は先日紹介した村上勝美の本に掲載されているものである。

ところで、この写真が那覇小学校奉職当時の船越先生の写真というのは本当であろうか。どうも一緒に写っている 学生たちは、もっと年齢が高いように見える。中学生か、それか高校生くらいに見えるのである。周知のように、船越先生は東京へ移住する前の1920年前後に沖縄県師範学校の空手(当時は唐手)の師範を務めていたが、その時はこの写真の姿よりもずっと後のことである。 それゆえ、この写真は本当に小学校の写真かという疑問がわき起こる。

もっと言うと、この船越先生に見える人物は本当に船越先生なのであろうか。確かに船越先生によく似ているが、少し若すぎないだろうか。着ている服も学生服に見えないであろうか。この写真の出所について村上先生は何も書かれていない。どこでこれを入手されたのであろうか。そう考えると、この写真は果たして船越先生を写したものかということも含めて、再検討の必要があるように思うのである。

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