見出し画像

オリジナルと剽窃

下の写真は、三木二三郎じさぶろう・高田瑞穂『拳法概説』(1930年)のイラストと、本部朝基『沖縄拳法唐手術組手編』(1926年)の写真を比較したものである。両者を見比べると、よく似ていることに気づかれると思う。

なるほど確かに、蹴り足の向きが違っていたり、受け手の角度が少し違っていたりする。しかし、『拳法概説』の著者が本部朝基の本を「参考」にしたことは明らかである。ありていに言うと、剽窃ひょうせつしているわけである。

本部朝基が上記本を出版したのは56歳のとき、空手歴はすでに40年以上であった。これに対して、三木が東大に入学したのは昭和3年(1928)、入学と同時に東大空手部(東京帝国大学唐手研究会)に入ったとしても、本を出版したときの空手歴は2年である。

いくら優秀な頭脳の持ち主でも、そんな短期間で組手や分解を創り出すのは容易ではないはずである。彼らは参考文献の能動文を受動文に変換して要領よくレポートを作成するかのごとく、本部朝基の組手の写真をちょっとアレンジして本に掲載したのであろう。

実際、『拳法概説』の中には、「本部長基(原文ママ)先生の説によると」(17頁)と、本部朝基の本を参考にしている箇所がある。本部朝基の本に限らず、船越義珍先生の本を参考にした箇所も多数ある。当時空手書といえば、船越先生の本と本部朝基の本しか存在しなかったわけだから、空手の歴史や技術解説を書こうと思えば、それらを参考にするしかなかった。

それにしても、上の比較写真は、空手史上最古の技の剽窃の記録でもある。もちろん、だからといって今更三木等を批判するつもりはない。

ただ、何十年も経つと、もう何がオリジナルで何が剽窃なのか、分からなくなってくる。

たとえば、「これは本部流独自の技である」と言っても、それに対して「同じ技はわれわれの流儀にもある」とか「そんな技はどこにでもある、ありふれた技だ」などと主張してくる人もいる。

果たして本当だろうか。その人が仮に師匠から習っても、その師匠は自らの師匠に習ったのであろうか。そしてその師匠の師匠は開祖から習ったのであろうか? 大抵の場合、曖昧な返事が返ってくる。

実際、こうした疑問に自ら答えを求めて、開祖の遺族を訪ねたり、初期弟子を訪問して昔の写真や文献を探そうと努力している人たちもいる。つい先日も、あるアメリカ人がある流派の開祖の直弟子に取材したいというので、その直弟子の方に連絡してアポイントを取るのを手伝った。

残念ながら、こうした活動は海外の空手家のほうが熱心で、日本の空手家は低調のようである。しかし、もしその人が本当に真実の歴史を知りたいのなら、やはりこうした調査をすることは大切である。そうすれば、貴重な記録を後世に残せるかもしれない。

出典:
「オリジナルと剽窃」(アメブロ、2018年1月30日)。note移行に際して加筆。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?