バチェロレッテから考える非モテ克服・最終回「女性に選ばれるための何か」
元イさんなのだ!
バチェロレッテから学ぶ非モテ男性のやるべきこと
バチェロレッテについて色々と書いてきたのだが、ひとつキレキレの記事を読んだので、その記事をもとに元イさんも何か書けることを書いていこうと思うのだ。完全ネタバレありなのだ。
まずはこちら、「強くて賢い自立女性の意外な弱点」と記事にあるのだが、その弱点は置いておくのだ。
非モテ男性は何をしたらより女性に求められやすく、選ばれやすくなるのか?ということについて少し考えていこうと思うのだ。
男性を選ぶ際の4ステップ
記事では
【萌子さんが男性を選ぶ際の4ステップ】
1. 興味が湧くか
2. 自分と相手の規模感
3. 自分に気持ちを向けているか
4. 将来が描けるか
と、こんなふうにバチェロレッテの萌子さんが恋人を選ぶ基準を示していたのだ。
まずこの4つのステップから「非モテに悩む人が女性に選ばれるために何をするべきなのか」について、書いていくのだ。
1.興味が湧くか
箇条書きにしましたが、「1. 興味が湧くか」はエピソード1でお別れした5人が当てはまります。
エピソード1、カクテルパーティーだけでいきなり5人がろくに話もせずキャラも立たずに落とされたのは記憶に新しいのだなぁ。
こんなんで落とされたらたまらないなぁと元イさんも思ったのだが…
ここで落とされた男の人や非モテの人の中には、興味が湧く湧かない以前の状態の人もいたと思うのだ。
「キャラが立っていない」
なのだ。キャラが立っていて興味を持たれないなら、それは相手からの需要が無かった、求められてなかった、その女性向きでなかったとスッパリ諦めていいと思うのだ。
問題は「興味を持つ/持てない」以前に、「相手に自分の事が何も伝わらなかった」「なので興味を持つ以前の問題」「何も印象がない」で終わってしまった場合だと思うのだ。
「キャラが立ってない」なのだ。モブ、背景、通りすがりの村人Aで終わってしまうのだな。
キャラが立っているというのは、パッと見や、少ない情報で自分を理解してもらえる、ということだと思うのだ。
ちなみにキャラを立てように関してはいま執筆中の『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』の後編にもあった項目なのだ。
で、この「キャラを立てる方法」が残りの3ステップにも関係しているように思うのだな。
ポイントは深い自己理解なのだ。
2.自分と相手の規模感(3.4は省略)
一気に省略したのだ!
2. 自分と相手の規模感
3. 自分に気持ちを向けているか
4. 将来が描けるか
後ろの2つは、まあそこまで今回は書かなくてもいいんじゃないかなと思うのだ。非モテの克服として考えるには、「3以降を見てもらえるように、1と2のステップを越える」それがポイントのように思うのだ。
で2のステップ、規模感って何?という疑問が元イさんはぬぐえないのだ。
今回男性陣はトーク回で萌子さんを「先生」と称するほど、彼女の存在感は大きく、男性を圧倒するほどの“上感”が漂っていました。そんな彼女が結婚相手として求める相手には、愛だけでなく「自分より大きな規模感」を求めていたように思うのです。
自分より大きな規模感…
この規模感というのは、言い方を変えると思慮の深さや浅さとも言えるでしょう。序盤にお別れしたメンバーが、のきなみ彼女を前にすると言葉に詰まり矛盾した発言をしたりしたのは、印象として規模感の小ささを覚えます(もちろん緊張もあったでしょうが)。
まあほんとここに尽きてしまうなぁ…という話な気もするのだ。
「思慮の深さ、浅さ」
なのだ。その深い浅いに差がある、という話なのだな。
元記事にも大きく
なぜ「規模感の差」がこんなにも出るのか
とあるのだ。
元イさんは規模感という言葉にしっくり来てないので、きっちりと「思慮の深さ、浅さ」に差がつくのか?と読むのだ。
ここで本記事ではこのような仮説を立てるのだな。
しかし、この圧倒的な差は、そもそも日本人男性と女性の「自己開示慣れ」「内観慣れ」による差が大きいように思うのです。
自己開示慣れ、内観慣れ
出たのだ!元イさんが観測する範囲内では非モテ男性はこれを苦手とする印象があるのだ。
特に自己開示慣れなのだ。
先程から規模感という表現をしましたが、これは「深い自己理解」がベースに必要です。
キャラを立てるためにやることは?であげたポイント「深い自己理解」なのだ。
自分はこういうキャラだ!とわかりやすく見せるのも、まず自分というキャラクターを理解しないといけないのだな。(もちろん、本当の自分とかけ離れたキャラクターを作ろうとしても嘘はバレるのだ)
自己を、自分を深く理解した上で、さらに「これからどういう自分になりたいか」まで含めて理解して、考えていかないとなのだな。
本来の自分と、こうでありたい自分、その2つは理解して成長していくために何ができるのか、をしっかり突き詰めて考える必要があると思うのだ。
こうでありたい自分に「擬態」する必要ないと思うのだな。それは嘘で、バレるのだ。不自然なところがどうしても出て、それが元記事で言うところの「規模感の無さ」につながるのだ。
(だからなんとなく規模感という単語を使うのに違和感があるのだが…)
こうでありたい理想の自分に擬態すると、思慮の浅さを丸出しにすることに…つまり
言葉に詰まり矛盾した発言をしたりしたのは、印象として規模感の小ささを覚えます
こうなるのだ。
理想の自分、なりたい自分はあるものの、そうなれてはいない自分というのも「自己開示」していかないと、なのだな。矛盾が出るのだ。
どうしても「自分が騙る自分」と「実物の自分」に、ズレや矛盾が出てきてしまうのだな。
嘘はバレる(本当の自分は伝わってしまう)のだ。
そうなってくると、女子会や恋バナなどで自分や自分の気持ちについて考え、話すことに圧倒的に慣れている女性の方が有利であり、男性は総じて浅くなりがちです。
自分の気持ちについて考えて、話すことに慣れていくうちに、思慮は深くなる、と、こういう話になるわけなのだな。
自己開示ってどうやるの?
じゃあその自己開示ってどうすりゃいいの?って話なのだな。
また萌子さんとのトークの際、「自分を出す」ことを男性は求められますが、ここには大きく3つの出し方があります。
・過去のエピソードを話す・今感じていること、考えていることを話す・未来への展望を話す
自分の出し方はこういうのがあるよ、と元記事にあるのだ。更に続けて…
もちろん過去のエピソードを話しながら今の考えを述べるのですが、過去のエピソードや未来への展望を中心にただ話すだけでは、自己開示としてはちょっと弱い。それは“今の自分を開示”したとは言えないからです。
しかし参加者の多くは自分を出すことを求められた際、過去のエピソードや未来の展望を中心に話すことが多かったように思います。そして話したいことを話せて「自分を出せた」と満足したところで、お別れをしていたような……。
また「今考えていることを話す」をできたとしても、それが合理性や空気を読んだ意見、浅い結論では、本当の自分をさらけ出しているとはいえませんし、規模感の小ささが伝わってしまいます。
そういう視点で考えると、自分が見て感じたことを常にアウトプットする画家という職業の杉田陽平さんは、とてつもなく有利な立場であったと言えるのです。
難しいことをいうのだな…。
「今考えていることを話す」で「空気とか合理性(コスパ)に流された浅い結論でなく、自分で深く考えた結論」
なのだか…。
ここで一度話を移すのだ。移す先はもちろん、萌子さんに匹敵する驚異のキャラ立ちを見せた杉ちゃんなのだ。
ここではこう語られているのだ。
『バチェロレッテ』は人間性を問われるが、美大にも少し似た部分がある。学期末ごとに行われる講評では、教室で小さな美術展のようなものが開かれる。並んだ学生の作品を教授が一つひとつ評価していく。時間をかけて作ったモノが人前で貶され、教授からの質問に答えられない学生が泣く、こんなことは日常茶飯事だ。人間性がモロに出る作品が評価されることは結構しんどい。
そんな美大で勝ち抜き、「アート界の革命児」とも称されるアーティストになった杉ちゃんはタフに決まっている。また、現在のアート業界で活躍するためにはコミュニケーションは必須だ。
つまり杉ちゃんは、芸術家という立ち位置から見れば、自己開示に関しても、規模感、つまり思慮の深さに関しても世界からお墨付きをもらったプロ中のプロ。達人だったというわけなのだな。
思慮の深さ(規模感)で勝負をさせたらそりゃ、他の男は叶わないのだ。
会話をしていて、杉ちゃんは語る言葉に矛盾や嘘臭さが無くて、もう一方には矛盾があって嘘くさい、片方は深くて片方は浅い、向こうは良くてこっちは悪いと、真横で比べてしまうと片方のあら、片方の良さってどうしても目立ってしまうのだな。
またここも注目に値するポイントなのだ。
これまた『バチェラー』シーズン2に出演していた野田あず沙は、最後に残った2人の「好き」の使い方について「杉ちゃんは『たまらなく好きなんだよね』と言い、黄皓さんは『ちゃんと好きだよ』と言う。『ちゃんと』とはいらないんです!」と熱弁していた。続けて「男性は『好き』の使い方、気をつけたほうがいいですよ!」と教えてくれた。観ていた際は全く気づきもせず、そして本音を書けば、今でもどっちでもいいじゃんと思っている。しかし、細部に神は宿るとはよく言ったもので、女性が言葉を信頼するか否かのポイントは細部にあるのだろう。
確かに個別インタビューのシーンで誰よりも言葉を吟味していたのが杉ちゃんだった。一般的な男性は沈黙を恐れ、すぐに返答することを心がけている。早さといった利点もあるが、熟考せず返した言葉にたぶん神は宿っていない。振り返ってみれば、福田と杉ちゃんのやりとりには言葉ではなく心で会話する時間も多分にあった。ある程度、良い印象を抱かせることに成功しているならば、沈黙は相手に自分の良さを想像させる時間に変わる。
元イさんもTwitterでは何度となくつぶやいてるのだが、言葉は重いのだ。
反射で言葉を出してしまうと間違える事、しばしばあるのだ。正解なんてあるのか?と言われたら難しいのだが、少なくとも不正確、不誠実、不適切な言葉は山ほどあるのだ。
そしてもちろん、自分の考えや気持ちを正確に言葉に落とし込む時には、正解はあるのだ。自分の本当の気持ち、考えてきた事が正解、それを正しく言葉にするだけなのだな。
この作業はなかなか大変なのだ。元イさんも絞り出すようにゆっくり喋ることがよくあるのだ。でもそのゆっくりゆっくり絞り出すように喋ってもいいと思うのだな。特に困ってないのだ。
思慮の深さで土台を作る、土俵に上がる
これらは決して「モテる」ためのテクニックなどではないのだ。元イさんは現に非モテは克服したもののモテるようにはなってないので、そうではないとしか言えないのだが
思慮の深さ、自己を深く考える事で人付き合いをする上でも女性にアプローチする上でも「自分」という土台ができると思うのだ。それはいわゆる内面の魅力などと言われるものかもしれないのだが。
少なくとも、思慮の深く自分を見つめて自分を理解して「自分はこういう人間だ」という事を言わないと、言葉が空回りしちゃうのだな。嘘をついている(もしくは正解ではない)や、最悪、何を言ってるかわかないと思われてしまうのだ。
逆に、それができるようになって初めて、女性が女性とコミュニケーションをとってきて身につけた自己開示がうまい人と同士の会話というものに加われるようになるのだな。
そういうコミュニケーション能力の高い女性流のコミュニケーションの場に、同等のプレイヤーとして立てるようになるのだ。これは大きな進歩なのだな。
だから、萌子さんは杉ちゃんを「友人、友達」と言ってしまった、言えたとも言えるのだが。
パッと見のわかりやすい魅力や、何もしなくても女性に選ばれる人種、目を引くステータスや天然で女性をハントできるような男ではない非モテ男性は、
自分の武器として、それでも女性から選ばれるために、
消極的な意味でいうと「選択肢から外されないために」自分について向き合い、考え理解し、自己開示するというトレーニングをするのもオススメなのだ。
元イさんの書いてるこういったnoteやTwitterも自己開示なのだ。
どこまで自分をわかっていて、それをどこまで出せるか、他人のTwitterを見てもそれは伝わってくるし、それを参考にすれば自分のも…なのだな。
最後に、またまた露骨な宣伝なのだ!
自分を見つめ直すツールといえばタロットカードなのだ!見る人の心に訴えかけてくるタロットカードで自分を見つめ直すのもおすすめなのだ。
↑のツイートに占いに頂いた感想など紐付けてあるのだ。
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