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働く中で思うこといろいろ

最近割りとストレスフルな生活をしていて、イライラしがちで愚痴も言いがち。こんな負のオーラをしょった状態はだめだなあと思いつつも、残業続きで休日も出勤してそれでも文句ばっかり言われるような毎日で元気が出るとしたらそれはなにか幻を見ているに違いないから、なるべくしてこうなっていると思うことにした。

仕事が時間内にちょうど終わる仕事で、私が少し努力すれば完璧に仕上がる程度の仕事で、仕事中は暇でもないがそこまで負荷がかかることはなく、仕事の仕上がりを誉めてもらえる。周りに責任転嫁する人もおらず、気持ちよく働ける人に囲まれている。そんな環境なら愚痴ひとつこぼさず、もっと楽しいことを考えられるはずだ、そんな環境ないけど。

私は1日の大半を働くことについてずっと考えていることに気づいた。仕事なんてどうでもいいと思えればいいけれど、なんだかんだ、働くのとそれについて考えるのが好きなんだろう。

暇な部署にいたときは、何も考えることがなかったし、余裕があったので大抵のことは許せた。忙しい部署にきて気づいたことは、仕事を一緒にしなければ大抵誰とでも仲良くいられるということだ。

仕事でなければ、おかしなところを指摘する必要もない、なあなあで付き合っていればいい。でも、仕事となるとアウトプットに影響が出るし、間違えられないので、相手がおかしい時には指摘しなければならない。人が足りておらずお互いものすごく忙しい場合には、その結果ミスがあったりしたらお互い必死にやった結果だから自分のせいとは思われたくないから、責任転嫁合戦になる。

責任転嫁戦国時代を経験して分かったことは、私は責任転嫁をしてこられると相手のことが一気にだいっきらいになるということ。

自分より何年もキャリアの長い先輩に、クソダサいタイプの責任転嫁(もう誰が見ても先輩の方が悪いけど、なりふり構わず論理破綻型の責任転嫁をしてくる)をされたときの幻滅感がすごい。その後、心がなくなってしまう。その人に対して。だっさ。どーでもいいですってなる。

対外的に損失がある場合に必死になるのはわかるんだけど、社内で終わることについても必死になる謎、、、大したことないことでギャーギャー騒ぐなよって思う。短期的に見たら、ミスしませんっていうブランディングはいいのかもしれないけど、長期的に見たら一緒に働く人の信頼を失う方がよっぽどマイナスだと思うのだが。

嫌いな気持ちが、処理しきれない。むかつくわあ。なんでこんなダサい人が先輩なんだろって思う。

立派な人間になろうとしないことが肝心だ。ムカつく気持ちを、まるっとすべてそこにあっていいものとして置いておく。

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