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障害者雇用について考える

障害者の人と一緒に働くにあたり、合理的な配慮ってどこまでなんだろうといつも考える。

きっちりと働いている障害者の方には本当に申し訳ないけれど、障害者雇用の人で、自分は配慮されて当然という顔の人には疑問を感じる。

精神的に不安になるのでこの仕事はやれない、こういう仕事をください、と言われると、健常者と言われる私たちも精神的に不安になりながら取り組む仕事なんていくらでもあるのに、やってもいないうちから、、、と思ってしまう自分がいる。失敗する自分の姿を見られたくないプライドの高さから断ってくるんじゃないのかと思ってしまう。

さらに、そうやって仕事を選り好みしているくせに、暇になると不安になるのでもっと仕事をくださいと言ってくる。自分で仕事の幅を広げるチャンスを狭めておいて何を言ってるんだろうと思ってしまう。

自分が役立っている充実感を得られる仕事で、自分の精神に一切負担のないものを、ちょうどいい量与えてくださいって言っているようなもので、これってすごくわがままじゃないだろうか。って思いながら仕事を渡す準備するけど、この人からしたら配慮されて当たり前だから、私が忙しい合間を塗って仕事を準備してることも当然だと思ってるんだろーなって思ったらモヤモヤしてくる。

一方で、その障害を私は持っていないから、想像ができないからこう思ってしまうのかもしれないと思い、溜飲を下げるんだけど、いつも二つの気持ちの間でゆらゆらする。

配慮が必要なのは分かっているし、本人が本当に精神的につらいのもわかるけれど、お世話係をやっている人の負担も考えるべきだと思う。お世話係の人が愚痴をつぶやいているときに、あの人は障害があって仕方ないことなのにそんなこと言うなんて酷いみたいな空気になることがあるけど、遠巻きにしか関わってない人たちが言えることじゃないと思う。たまにしか関わってないから、いい顔ができるんだよ。仕事上見放さずに指導を続けてあげるのであれば、それで十分ではないだろうか。ドライすぎるかな?

健常者だろうが障害者だろうが、周りの気持ちを考えない人に過剰なサービスはしたくない。心の中で少し毒づくことくらい、許して。と思う。


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