食べること、思うこと。
私は食の細い子どもだった。
食べ盛りと言われる中学生になっても、保育園に通っていたころと同じ、オレンジ色のくまの絵のついた、小さなお茶わんに軽くしか食べられなかった。
かけうどん一杯を一人では食べきれないし、缶ジュースも1本飲めなかった。
幼いころの思い出を聞かれた時に、最初に思い出すことはどんなことだろうか?
私がいつも最初に浮かぶのは、誰もいなくなった保育園の廊下で
椅子の上に置かれたトレーを前にポツンと座っている自分の姿だ。
通っていた保育園は、家からごはんだけお弁当箱につめて持って行き、おかずは園で調理されたものを食べるスタイルだった。
もう何十年も前の幼い子どもの記憶。
週にどれくらい、廊下で給食を食べていたのだろうか?
もしかすると月に数回だったのかもしれないが、保育園の細長い廊下とその向こうにある窓から差し込む光とともに、その時の思いは鮮明に記憶に残っている。
給食の時間が終わり、お昼寝の時間になっても私は廊下に座り続ける。
園児が寝ている間は先生達の休憩時間。
静かになった廊下で一人、手持ち無沙汰に過ごす。
食べられないものは食べられないのだ。
やがてお昼寝の時間が終わり、教室に笑い声が戻っても、私は廊下に座り続ける。
おやつの時間になっても、皆が帰る支度をはじめてもだ。
教室から誰もいなくなってもお迎えが来るまで、じっとそこに一人で座り続ける。
大人になっても時々思い返すこの光景。
こうしてnoteに書いてみると、はじめて疑問が湧いた。
私のぶんのおやつは誰が食べていたんだろう。。。。
今、同じことが保育の現場で起きていたら問題だけれど、
当時は躾の一環と考えられていて、誰も疑問には思っていなかったのだと思う。
少なくとも我が家では。
家での食事は、箸の上げ下げから食べ方に至るまで厳しく、
虫の何所の悪い日は、目の前にお箸が飛んできた。
残すことは当然許されず、食後の後片付けが先に終わった日は、豆電球の灯りで、全然減ってはいかない晩ごはんを食べ続けた。
毎日、怒られるんじゃないかとビクビクしながらごはんを食べていた。
幼い私にとって、食べることは楽しいことではなかったのだ。
体質的な問題もあったのかもしれないが、食べることが楽しみにつながっていなかったから、食べられなかったのだと思う。
食べられない子ども時代を過ごし、食が細めなのはイイ大人になった今も変わらない。
自分で働くようになり、自分で食事のあり方を選択できるようになると、沢山は食べられないからこそ、せっかく食べるんだったら美味しいものを食べたいと思うようになった。
いわゆる食いしん坊とはちょっと違うが、食べることに対して
人一倍思い入れがあることの背景だ。
せっかくだから美味しいものが食べたいと常にアンテナを張るようになった。
新しくオープンするお店、話題の食材、新種の野菜。やがて食べることへの興味から、食に関する資格を取り、食に関わる仕事をしてきた。
少し大人になると、「何を食べるかも大事だけど、誰と食べるかが大事よね。」と思うようになった。
母になると、「美味しい。」より、「安全」であることを優先するようになった。
そして、食べることは楽しいことにつながっていて欲しいとの想いを強くする。
子どもと一緒に畑で野菜を育ててみたり、魚釣りに出かけたり、
幼い時から台所に一緒に立ち、ご飯やおやつを作った。
やがて子どもが成長してムズカシイお年頃になると、
悲しいことがあった日も、喧嘩をした日も、怒り過ぎっちゃったなと反省している時も、心がすれ違ったままの日々にも、ほんの少しでも気持ちが和めばと心をこめて何かを作り、そっと差し入れする。
心がざわざわしている時、私はごはんの支度をすることで気持ちを切り替えてきたんだな。
反省の多い子育ての中で、食べることを整えることだけは唯一、ちゃんと出来たと胸を張れることかもしれない。
子ども達も大人になり、今は一人、自由気ままに食べることを楽しんでいる。
美味しいものを食べると、お腹も心も温かく満たされて、
とても幸せな気持ちになる。
作り手の想いが込められているものは特に、食べると気持ちがほっこり、顔がにんまりしてしまう。
こうして振り返ると、暮らしのまんなかにいつも食べることがあった。
そんな私の食べることにまつわる、あれやこれを綴っていく
食べることノート。
どこかで誰かの美味しい笑顔のスパイスに、ほんのちょっぴりでもなれるとうれしいなぁ。。。。
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