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風ノ旅ビト~絶景を前に、孤独を望むか、誰かとの旅路を望むか。

風ノ旅ビト。
究極のソロゲームであり、究極のソーシャルゲームでもあり、私の永遠の金字塔です。
レビューはnote上にも多数ありますが、当時のプレイ記憶を思い出しながら私なりに語りたいと思います。
8年前のゲームですがPS4版も出ており、今でもまったく色褪せないゲームです。
※記事内の画像はすべて、公式サイトからの引用です。
https://www.jp.playstation.com/games/kazenotabibito-ps4/

プレイを勧めるにあたり私が言いたいことはひとつだけ。

可能な限り、なにも知らずにやること!

究極の「ひとり」

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このゲームにはマニュアルもチュートリアルもありません。
ゲーム開始後、プレーヤーはいきなり砂漠に放り出されます。
プレイするのは、赤いマントに身を包んだ奇妙な人型キャラクター。名前を設定することはできません。
のちのち飛べるようにはなりますが、この段階でできるのはたったふたつ。
・歩く
・なにやら奇妙な記号を話す
話すというか、「ポワ」という音とともに記号が浮かぶだけ。もちろん、この記号を変えることもできません。

目の前には山頂から光を放つ大きな山が見え、どうやらあそこを目指すらしい。
以上。
ゴールがわかれば向かうのみ、です。

世界観の把握、操作方法の習得、どのように各チャプターのゴールに向かうか(大きく7つのチャプターに分かれています)、すべてプレイヤーに委ねられています。基本的には一本道なのですが、際限なく寄り道ができるようになっています。
いきなり孤独。説明もない。ヒントもない。音楽もない(チャプター2からBGMがつきます)。

美しく非現実的な景色を眺めてぼんやりするもよし。
エリアの果てを探して歩きまわるもよし。
随所にある廃墟を巡るもよし。

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究極の孤独は究極の自由。
個性を剥奪されたなにものでもない空間で、思う存分、ひとりの時間を楽しめます。

次のチャプターからは、ネットワークにつないでいるかいないかで大きく変わります。
ネットワークにつないでいると、「誰か」と一緒に旅ができるかもしれません。
もちろん、全チャプターをソロのまま駆け抜けることも可能です。
私は初回プレイ時にネットワークのことを知らず最後まで一人で旅したため、それはそれは孤独でした。
エンディングを見ながら流した涙が感動によるものか孤独からの解放によるものか、正直わからなかったほどです。

ここからはネタバレ満載になりますので、なにも知らずにプレイしたい方は早目のお帰りを勧めます。


究極の「ふたり」

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チャプター2以降は、ネットワークにつないでいると「誰か」に出会うことがあります。
出会えるのは常に一人。

相手ができることも、自分とまったく同じです。
歩くこと、飛ぶこと、「ポワ」と話すこと。同じ音ですが、自分の記号とは違います。それによって、他者なのだということがわかります。
自分と同じ姿のもう一人は、自分を導いてくれるかもしれない。無視して通り過ぎるかもしれない。「一緒にいこう」と、声をかけてくれるかもしれない。
相手がどういう振る舞いをみせるかは、そのとき次第です。

また、相手が変わったり、突然いなくなったりもします。それも、そのとき次第です。

そして幸運にも「誰か」との旅を経てゲームを終えたとき、エンディング後の画面には、見知らぬアカウント名と、旅をしていた相手の声(記号)がささやかに表示されているはずです。

そう。
「誰か」とは、同じようにネットワークにつないでこのゲームをプレイしている「誰か」だったのです。

「誰か」は出会うたびに変わります。
初めてプレイする人かもしれないし、もう何百回もやりこんでいる達人かもしれません。
なにかこだわりをもって旅をしている人かもしれません。
一緒にいてもあまり喋らない人、ずっと語り掛けるようにポワポワ言い続ける人、飛び回る人、さまざまです。
共通しているのは、みな生身のプレイヤーであるということ。
画面を通して、自分と「もう一人」がつながっているのです。

「『誰か』は本当の『someone』である」と知ったとき、旅の始まり、旅の終わり、すべてが新たな意味をもって迫ってくるようでした。
初めて二人で旅を終えたときの相手はおそらく私と同じくらいのプレイ歴だったと思われます。お互いに迷ったり、呼び合ったり、あたふたしながら最終チャプターで別れを迎えたとき、私は名前も知らない誰かに対して、ただただ「一緒にここまで来てくれてありがとう」という感謝で涙を流していました。

あんなにきれいな気持ちで泣いたのは初めてでした。

究極の体験

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それから私は、8割ソロ・2割オンラインでプレイするようになりました。
出会いは、いつも違う形で現れます。見てわかるほどのベテランも、なにをやっていいかわからない風の初心者にも出会いましたし、後述する「裏世界」に案内してもらったこともありました。
絶対に飛ばない、歩きだけで旅をするという謎の縛りプレイを理解して付き合ってくれ、クリア後に「グレートなチャレンジ、お疲れ様!楽しかったよ!」と英語でメッセージを送ってきてくれた方もいました。

プレイ中に複数の人と旅をしたとしても、どこで誰(どのアカウント)と出会ったかは、簡単にわからないようになっています。それに、道中面倒になればネットワークを切ればよいし、切ったところで自分も相手も「ああ、回線不調かな」と思うだけです。
マッチング相手を選べないゲームですが、できることが限られているからか、嫌な思いをしたことは一度もありません。

名前・容姿・言葉という一切の個性を封じられたキャラクター同士が出会い、そこに色鮮やかなただ一度のコミュニケーションが姿を現す。
相手の国籍も、宗教も、言語も、職業も関係ない、ただ「一緒にゴールに向かう」という目的だけで成り立つ、言葉のない出会い。
なんてよく考えられたゲームだろうと、今でも思います。
純粋にコミュニケーションだけを体験できる。これこそ、究極のソーシャルゲームではないでしょうか。

というわけでお勧めです、風ノ旅ビト。
ここまで読んでしまった方はネタバレ残念ですが。。。


余談。風ノ旅ビトのここがすごい。

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ここからは長々と語るだけの蛇足です。

風景がすごすぎる

私がプレイしたのはPS3版でしたが、それでも圧倒的な風景描写でした。オープニングのキラキラした砂漠に始まって最終チャプターの山頂まで、とにかく眼に見えるものすべてが、どんな構図からも美しかった。
どのチャプターにも見どころはあるのですが、チャプター5からはまさに畳みかけるような絶景が続きます。
それまでずっと外を旅してきて、急に入り込んだ地下道の青さは本当にすごかった。
今見ると時代を感じさせるかもしれませんが、広々とした寂しさ、ドラマチックな光と影など、唯一無二の雰囲気は今でも楽しめると思います。10分だけ、と決めて特定のチャプターに飛び、景色を楽しんで帰る。そんな楽しみ方も乙なものです。

裏から見る世界がすごすぎる

ポリゴンの隙間に入り込んで裏側から世界を見てみよう!という裏技があり、探求心旺盛な方々が各チャプターでの裏世界の行きかたを動画などで発表してくれました。それを真似して私も何度も裏世界の旅を楽しませていただきました。
表から見るのとはまた違う絶景!入り込むのはちょっと苦労もありますが、開発チームが遊び心で残してくれたもう一つの旅路です。
心が疲れたとき、チャプター4の裏世界から見える黄昏にずいぶんと助けられました。まあ、そこまでたどり着くだけで十分疲れるんですが。

世界観がすごすぎる

随所に残された壁画、チャプターの終わりごとに流れるアニメーションでは、豊富なエネルギーを見つけたために戦争が起こり先人がすべて滅びた、と思われる歴史が描かれます。
個人的にはこの豊富なエネルギーとは、「言語」なのではないかと思っています。先人は、言語を得てコミュニケーションの手段を獲得し、文明を発展させ、やがて言葉の違いで争うようになった。その結果、滅亡と同時に世界から言葉は失われ、コミュニケーションの手段も尽きた。
ゆえに、ビトは言葉を持たず、与えられているのは記号というただの声。
彼らの旅の目的は明確になっていませんが、もう一度言語を獲得しなおすための巡礼なのかもしれないな、と感じていました。

音楽がすごすぎる

茫漠とした砂漠から最終チャプターの雪山まで、音楽が非常に効果的に使われています。疾走感のある場面ではBGMが前面に出て展開を引っ張り、静寂の場面では耳を澄ましてやっと聞き取れるほどに音量が抑えられ。
孤独、恐怖、閉塞、憧憬、安堵、解放……ゲーム中で展開されるあらゆる感情がBGMによって彩られます。
そしてED曲の「I was born for this」の一節、「この道や行く人なしに秋の暮」
松尾芭蕉の一句ですが、道行きの孤独さや最後に至る境地、短すぎる一生など、曲のタイトル通り「このために生まれてきた」という透明な諦めがストレートに表現されていると思います。2012年の発表当時、何度も聞き取りながら歌詞を書き写した方々のブログには「まさか芭蕉の句が!」という驚きが踊っていました。

本当の余談。顔も知らないあなたの身を案じる。

ある協力プレイの後、英語でメッセージが届きました。あなたの助けでとても良い旅ができた、ありがとう。と綴られており、アカウントのプロフィールを見ると言語に「日本語」が指定されていました。メッセージを返しつつあなた日本人?と聞くと、アジアの某国の方だと。
その後、この方とは何度か英語でやり取りしました。公職に就いていること、身近にいる日本人には好感を持っていること、3月に日本に旅行して桜を見るのを楽しみにしている、ということ。
その後ぱたりとメッセージが届かなくなってしまったのですが、無事に桜を楽しめていたら良いな、と、今でも時々思い出します。

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。
我ながらよく書いたな、と思います。。。


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