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今を生きるか or 過去を生きるか

交通事故に遭った話…

※ 事故の内容をそのままお話します
sensitive な内容を含みますので
ご自身で判断してお読み下さい


気持ちの整理がついたら書こうと思っていました。

事故は、起こした方、被害に遭われた方
お互いにとって悲しい不幸な出来事でしかありません。
行為で無いなら尚更… 
両者にはやりきれない・虚しく・悲しい気持ちしか残りません。

自分に出来る事は微々たる事ですが…
同じような状況・同じような気持ちをお持ちの方々の理解に繋がればと思い此処に書き留めます。

今回私は被害を受けた立場でしたが…
日々、車やバイクに乗っていればどちらの立場になってもおかしくない可能性は少なからずあります。

この記事を書くあたって、事故を起こされた方の立場も考える事があったので正直な気持ちを記しました。
行為ではないからこそ、起こされた方の中には生きづらいさ抱えて日々生きている方もいらっしゃると考えます。

そういう方々にも何かを感じて貰えればと思います。

※ あくまでこれは私個人の意見です。被害に遭われた方々が同じ様に感じ・考えているわけでは無いのでご理解ください。

2020.6.7 13:40 事故に遭った

生まれてこのかた、大事故、大怪我、何一つなく丈夫な体だけが取り柄で、運動が大好きで体を動かす事が趣味みたいなものでした。

全てが一瞬で変わりました。

自身は125ccのバイク、青信号を直進しようとし右折の車にぶつかられて飛ばされました。
相手の車は普通車で車のフロントがありえないくらい凹んでいたみたいです。
車とバイクに右足が挟まれて、5m飛ばされたらしいです。
奇跡的に右足開放骨折で済みました。

右足切断一歩手前でした。
今こうして普通に歩ける事・生活できる事に本当に感謝しています。
普通がどれだけ恵まれていたか・支えてくれて家族・主治医の先生・看護師の方々・リハビリの先生には感謝しかありません。

事故直後は何が起こったか分からなかった…

青信号を直進しようとした時に急に目の前に車が飛び込んできことは覚えています。本当に一瞬でした。
マジかっ?! と思った次の瞬間…
目の前が真っ暗になり、気づいたら地面に横たわっていた。
立とうと思ったが力が入らなくて、右足の感覚が無いのが一瞬で分かりました。

状況が掴めず恐る恐る右足を見たら…
骨が飛び出し、ありえない方向に脛が折れていた。
筋肉に骨が刺さっているのが分かったし、足がぶら下がっている感覚もあった。出血も多く、時間が経つごとに悪寒と吐き気が増し、もの凄く喉が渇いた。

最悪だったのは

・緊急手術開始まで意識がはっきりしていた事

・手術前に執刀医(主治医の先生)にもしもの時は覚悟しといて...
と言われた事(無理な場合は切断と言う意味)

・事故後の方が、事故直前より心身共に相当ハードだったという事

唯一の救いは

・アドレナリンと神経切断のおかげで痛みはあまり感じなかった事

・コロナが落ち着き病院が受け入れ可能で、とても良い先生に巡り会えて足をつなげて頂けた事

・相手が過失(見落とし)を完全に認めて、しっかりとした保険会社に入っていた事

世の中は不条理なのは当たり前の事ですが
本当の不条理を前にして言える事は何もないです。
自然現象・病気や自分自身の過失であればまだしも…
相手はなんの悪意もない自分と同じ人。

行為では無い・不注意による事故。

強制的に現状を受け入れる事しか出来ないという現実。
ぶつけどころの無い虚しい感情だけが渦巻いていました。
人生の中で一番大切な時間と自分の体を奪われ、一生の傷を負った。
時間も体も元には戻りません。

これ以上の不条理はないなぁ…と
なぜか笑えてきたのを覚えています。
(多分本当にどうしようもないと悟ったんだと思います)

事故後の対応・補償

語弊を恐れずに私の感覚で言わせて頂くと…
事故後にあるのは保証という名の建前でした。

働けば貰えて、使えば無くなる、紙切れ同然のお金というモノでした 」

生きていく為にはお金が必要なのは痛いほど理解しているからこそ…
お金でなんでも解決出来るという事実に拒否反応を示していました。
自分の身体と時間を勝手に奪われて、勝手にお金に替えられて
時間の自由も、行動の自由も、健全な身体機能も奪われた。
虚しさしか残りませんでした。

驚いた事も結構ありました。
杓子定規な保険会社の対応。
(1年経ったからもう示談で的な発想と遠回しな言動)
主治医の先生からは2年かかると言われていて、まだ手術も残っている。
後遺症(障害)の判断をする為の症状止め診断も行われていない。
こちらはまともに仕事もできていない状況で…

仕事上のマニュアルなのは重々承知はしています。
いや仕事だからこそ出来る事・仕方がない事なのかもしれませんが…
悲しさを覚えました。

人によっては、症状も治り方も治る時間・期間も違う。
ましてや、どのくらい症状が改善出来るかも分からない。
怪我と一生付き合って行かないといけない。

あと、なぜか分かりませんが…
謝罪・その他何かしらのアクションが一切ない加害者。
保険会社に止められているのかもしれませんが…
そのスタンスは如何なものかと、私はとても不愉快に思いました。
被害者、加害者とか立場の話ではないです。

「人として犯してはいけない事をしたらまず謝る事」

子供の方がよっぽど理解しています。

大人特有の自分の立場やスタンスを大切にする
身勝手な考え方でしかないと私は感じました。
事故を起こしたら、あとはお金払ってるから保険会社に任せとけば、
面倒な事はシステム的に全て解決してくれる…??
と考えてるのではないかと受け取られてもおかしくないと思います。

どんな形であれ、何かしら誠心誠意を見せる事が大切だと私は考えています。一言、面と向かって謝る。それが現実的に無理としても手紙で謝罪するなど…色々想うところあれば方法・手段はあるはずです。

期待も強制もしてませんが…

謝罪は私の為だけではないです。貴方の助けになる事があるはずです。


こんなくだらない事考えている自分自身が嫌だったので…
少しでも現状を良くできるように、くだらない事を考えないように毎日リハビリに没頭していた。
1歩でもいいから、昨日より少しでも歩けるようにと。

色々としんどい事はありました。
重なる時は重る…

現状を抜けようと焦って頑張れば、頑張るほど空回りする。
リハビリのし過ぎで、右足の親指後ろ全体に大きな褥瘡みたいなのができていた。炎症が骨まで到達しており、右足親指も切断一歩前だった。

・神経は縫合して頂いたが、ボロボロなので足の裏全体と親指から土歩まづにかけての感覚がほとんどないのも要因の一つ

・後は自身の怪我・後遺症の現状把握・焦り過ぎなど色々要因はあったと
反省しています。

まさに気持ちと体は乖離状態。
自分ではどうしようもない事が多すぎて、嵐の雪山に遭難してテントから出れないような感覚・状況の日々が続きました。

一般的な過失割合

・どちらの信号も青だった場合の過失割合

※ 信号機のある交差点で直進、右折のどちらの信号も青だった場合の過失割合

直進車がバイクで右折車が車の場合の過失割合は、バイク1.5割、右折車8.5割が基本。
加害者が無傷でも一般的にはこちらにも過失はある。それは私も認めています。
車やバイクを運転する以上それなりの責任はある。もし右直の車が少しでも視野に入っていたら、頭に入っていたら、何かできたかもしれない。

これもタラレバなので、蒸し返しも仕方がない話…
現実はそんなスーパーマンではないのではねられました。
相手や無関係な人が傷つく事が無く、自分自身の右足一本で済んで良しとすべきで落ち着きました。

今回は自分自身だったから良かったものの、これが身内や大切な人に起こった場合…

私は許せないと思います。

誰一人こんな想い、こんな感情、こんな毎日を送って欲しくないと切に願ってます。

相手に対して想うところ…

私は事故を起こした方の名前も顔も分かりません。
実際、知りたくも会いたくもありません。
今では相手のことを知らない方が自分の為にも
相手の為になるかもしれないとも実感しています。

でも事故直後、道路に横たわっている私を後ろから起こすように支えて
青ざめた顔でずっと「ごめんなさい」を必死で言い続けた人がいたのは
朧げに覚えています。

行為で起こした事では無いからこそ悔やみきれないと考えます。

精神的には、私より凄くショックが大きかったのではないかと思います。
事故を目の前で起こして、その光景・音・感触全てが焼き付いてしまっている。人を跳ねた時の感触・音・私の足の状態を間近で見てしまった・大量の出血・血の匂い...

ある意味ではPTSDになってもおかしくない状況だと察します。
起こったことは仕方がありません。

私は恨んではおりませんし、謝罪を強制するつもりも毛頭ありません。
開き直れと言ってるのではないのでそこは理解して下さい。

ただ… 頭の片隅に置いてほしい事があります。

謝罪は私がして欲しいからではなく…
「 貴方自身の助けにもなるのだ 」という事を。

謝ることで私の怪我は治りません。
私は謝罪を期待も強制もしていません。
謝罪をして頂かなくても全く構わないです。

しかし…

「 謝ることは事故自己と向き合うことです = 現実と向き合う事」

自分が起こしてしまった失敗(現実)から逃げていては何も解決しません。
苦しいですが…現実と向き合う事でしか解決できない問題もあります。
いや、ほとんど現実(失敗・問題)と向き合わないと解決出来ないのではないでしょうか?

私は怪我と一生付き合って生きて行くことが
私の人生なのだと納得して今を生きています。
貴方は事故を起こした事実、怪我をさせたという事実と向き合い背負いながら今を生きていくのが貴方の人生なのだと思います。

貴方の心の中でしっかりと現実と向き合い、反省の心があるのならば私はそれ以上責める事は絶対にしません。
いや、してはいけないと考えています。
一番自分を責めているのは、事故を起こした貴方でもあるからです。

必要以上に過去に囚われて
自身を追い込み反省する必要はないと私は考えています。

明るく・笑顔のある平穏な日常に戻れる事を心から願っております。

それだけです。

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