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サラリーマンが起業家に近づく日

先月の記事から一カ月が経った。小生は相変わらず在宅ワークがメインで、オフィスに行くのは週に一日程度に留めている。恐らく、東京近郊に勤めている人は同様の働き方をされている方が多いのではないだろうか。新型コロナウィルスが完全に終息したとしても、この働き方が続くことは想像に難くない。働き方の行動様式は新しい段階に入ったと言っても良いだろう。

前回の記事に引き続き、今回も今後の働き方について、もう少し意識的な面にも焦点を当てて書いてみたい(自戒の念も大いに含むw)

これからの会社員に必要な仕事のスタンス

motoさんの記事から刺激をもらう

6月16日motoさんがnoteに投稿された、これからの会社員に必要な仕事のスタンスという記事に刺激を受け、サラリーマンってなんなんだろうな?と考えたことがきっかけで本稿を書いている。motoさんの記事も併せて読んでみることがお勧めです。特に現状に不満がないけど、仕事にモヤモヤしているサラリーマンにはお勧めの記事です。

注) motoさんとは名前が似ているけど別人物です。僕は副業であんなに稼いでいませんし。名前が似てると考え方も似るのかな(笑)

小生も前回の投稿で「生活習慣が格差を生む」と書いた通り、今後は益々自律が求められる。誰にも監視されてない中でどれだけ継続的にパフォーマンスを出し続けることができるのかが問われるだろう。
サラリーマンは会社からお金をもらっている以上、その職のプロと自負するべきである。プロと素人の最も大きな違いは継続性にあると考えている。ラッキーな大きなヒットを一発打っただけで、打率が低いのではプロとは言えない。感覚だけで売買する素人投資家と、理論に基づき継続的な資産拡大のために(お客様から預かったお金を)運用するプロ投資家をイメージするとわかり易い。会社というものはGoing concernで永続を前提として経営されるものなのである。

終身雇用とは何だったのか?

日本企業は終身雇用・年功序列制度をベースとしていると言われるが、これも戦後から本格的に定着した日本固有のビジネス慣行であり実はまだ歴史はそれほど長くはない。これほどまでに我々の意識にこの慣行が根付いているのは、我々の父親世代はこの時期にドップリとはまっているために、子供のころから父親の働く姿を見て、この意識が刷り込まれ、現代社会の中核を担うべき我々の世代も同じような意識が蔓延してしまっている。

サラリーマンは安泰なのだろうか?

ビジネスモデルは長い時間変わらない、同じ仕事をしていれば定年退職の年齢を迎えることができる、過去の経験の延長線上に将来があるビジネスであれば、大きな企業に属している方が安泰である。しかしながら、技術は日進月歩であり、未来は過去の延長線上ではなくなってきている。過去を壊し、未来を創造することで変化へ対応しなければならない世の中なのだ。同じ文化の中に長い時間いるほど、自分のやってきたことを否定するのは難しくなる。よって、変化のスピードについていけずにジリ貧状態になり、定年までなんとか逃げ切れないかと会社にしがみつく。

サラリーマンは安定、言われたことをやればクビになることはないという、終身雇用、年功序列的な発想は2020年においては、ほぼ破綻してきているように思える。高度経済成長期には労働集約型でもどんどん規模化すれば企業も成長できた時代だったかもしれないが、今の日本は人口が減少し始めており、国内消費もあと10年もすれば大幅に減少するだろう。これにより日本のGDPは右肩下がりとなる。

実際、2018年の東京商工リサーチの調査によると、企業の平均寿命は24年弱であり、新卒で設立されたばかりの企業に就職したとして、その会社に定年まで勤めあげることはできない。

日本企業の生き残る道

生き残るために戦わなかればならない。

さて、どうする?グローバル化戦略?これから伸びていく新興国にターゲットを絞ることは、確かにそれは有効なアプローチであろう。しかし、同じことを考えているのは日本人だけではなく、諸先進国で高齢化が進んでいる国の大手企業は同じことを画策するであろうから、ここでも競争は避けられない。

また、海外で売上を伸ばすために必要な人材が我々日本人である必要はなく、地場に根付いたローカルスタッフが有利である。そのビハインドを覆すくらいの優秀な能力を持った人間のみがグローバル人材となりえるのである。筆者は総合商社、外資系企業でキャリアを積み、多くの日本人ビジネスマンと接してきたが、グローバルで十分に戦えるだけの能力を持っていると感じた人はそれほど多くはない。

今までの日本は儒教的な「和を以て貴しとなす」的な経営が主流であり、みんなで仲良く横並びが大好きだった。今後の競争環境下で化けの皮が剥がれて本性が現れた時にこんな悠長なことは言ってはいられない。

人の代替性が効きにくい職人を必要とするような業界であれば、経験値が高まるほど労働者の価値が高まり、会社にとっても価値のある存在となるのだが、技術の進歩により機械化される部分が徐々に拡大してきている昨今では自分の価値を日々見直さないといけなくなってきている。

起業家マインドセット

決断力を高める当事者意識 ”しか”問題

起業家はハイリスクだと言われているが、それは何故だろうか?企業の規模が大きいほど、安定しているのか?既に商品やサービスが確立されており、売上(社会貢献価値)があるという面では、まだ提供価値が市場に認められるかどうかわからないスタートアップよりは現時点での安定性はあるのは間違いない。しかしながら、それはどれくらい継続することができるのであろうか?過去に作られたサービスよりも、未来をみつめて創り出すサービスの方が将来にはフィットしているはずである。新しいことを始める時の意思決定スピード感は小さいほど早いはずである。スピードで大企業に勝るためにスタートアップでは毎日が戦いであり、一回の判断ミスが致命傷となりえる。これが故のハイリスクという感覚なのだろう。
これは大企業には起こらない事象だろうか?決してそんなことはない。しかもその判断は自分ではない誰かによってなされる。

一方、起業家は常に「自分しか」いない、「今」しかない、「ここで」しかない状態で仕事をしている。こういう当事者意識がサラリーマンとは最も異なる点であろう。企業規模で勝る大企業の個々人がこのような意識を持った時には、恐ろしいパフォーマンスを発揮するだろうが、組織のパレートの法則は不変であり(?)、組織に属してしまうと一部の人はパフォーマンスが発揮されない。

これからの働き方の好例

高いスキルをもった専門家が高い価値を発揮するような仕組みができつつある。タニタ社長「社員の個人事業主化が本当の働き方改革だ」(日経ビジネス)

なるほど。これはサラリーマンの働き方意識を大きく変えるよい制度である。人の流動性が高い方が、より優秀な人が集まるし、会社側も結果を出せない人を排除することが(今までよりも)簡単になる。小生の勤める会社も年俸制となっているが、形骸化してしまっているように感じる。このような画期的制度を取り入れることができれば組織は活性化しそうである。ベンチマークとしてタニタの動向をウォッチしていきたい。

優秀な人材は大事な会社の資産(金の卵を産む鶏=成長のために必須)である。人がいない企業などない。しかしながら、人の雇用形態、働き方は社会の変遷と共に変わるべきものではないか?ランサーズの根岸さんが仰っていた、「ワークシフトではなく、ワークスイッチしなければならない!」という方向に舵を切るためにも今が正念場であろう。一年後にこの自分の記事を見て、「あー、何も変わらなかったなー」っていうことが無いよう、今日から毎日を大切に生きよう!

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