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船場センタービル

リタイア生活を株式投資で楽しむモト3の妄想エッセイ

大阪有機化学と言う会社の株主総会が心斎橋であった。総会ではベテランの株主からクセが強いというか、ユニークな質問がいくつかあってそれなりに勉強になった。

「K工場では何人の従業員が働いいるのか?」
「確認して答えます。、、225人です」
「私が株主になっているA会社のY工場では8人ほどで稼働している。もっと人数を減らすべきだ」

鋭い指摘だ。合理化をして従業員の数を削減しないと利益は出てこない。そして、高い目標を持たないと製造工程の革新はできない。

その帰り、心斎橋筋商店街を北へ歩いた。予想通りこの通りは外人が多い。すれ違う人の半分以上は外人ではないか、と思うぐらいだ。その商店街を抜けると、船場センタービル、略して「せんびる」に突き当たる。

船場センタービルは、昭和45年大阪万博の年にオープンした。屋上は阪神高速道路13号東大阪線、地下は大阪メトロ中央線、地上3階、地下2階に商業施設がある。全国にも類を見ない一体構造だそうだ。

船場センタービルは、1号館から10号館まで、東西に約1㎞の長さがあるらしい。商店は主に1階とB1階にある。それぞれ南側と北側に2本の通路が走っている。お店の数は全部で800店ほどあるらしい。全部を見て回ろうとすれば4㎞ほど歩く計算になる。

2階にも商店はあるし、部分的にあるB2階はグルメ街になっている。お昼の定食は800円前後からで、近所の食堂に比べ2割ほど安い。駅にも近いのでどの店もお昼時には行列ができている。

商店街はやはり繊維の街「船場」だからテキスタイル関係の店が圧倒的に多い。今回気づいたのは呉服店が意外に多いことだ。普通の街の商店街の呉服店はすでに閉店廃業している店が多いのに、ここ船場センタービルの中はなぜ呉服店が多いのだろう?

数えてみたわけではないが、ざっくりした印象では80店ぐらいありそうだ。つまり、全体の10%の店で和服を売っている。

道行く人の100人にひとりも着物姿を見かけないのに、なぜこのビルには呉服店がこんなに多いのだろうか? 平日昼間のごはん時に呉服店を覗いても客の姿はあまり見かけない。

私の少ない知識を総動員してこんな推理をしてみた。もともと船場は江戸時代から呉服商が多かった。富裕層は郊外に居を移したけれど、着物の販売は外商が中心で古くからの贔屓客をしっかり押さえている。つまり、来客数だけでは売り上げは分からない。

船場センタービルの建設に当たっては、近辺で営業している店が立ち退きになっている。その人たちの代替え地となっているため、店の家賃はゼロで管理費のみと推理される。広い土地を持っていた人は家賃収入を得ているかもしれない。つまり、店の損益分岐点は著しく低いのではないか。

そんな風にお店の経営状態を勝手に妄想しながら歩くのも楽しい。もちろん、船場センタービルにはたくさんの買い物客が来て活気に満ちている。特にオバサマ達が多い様に見受けられる。

安物の店は少なく、舶来品や百貨店へ納入している商品を”売り”にしている店もある。卸専門の店もあるが、小売をしてくれる店がほとんどだ。

このビルには駅前ビルやショッピングモールにある店とは違う匂いがする。古い昭和の時代の商店がそのまま残っている聖地のようだ。外国人観光客をほとんど見かけない貴重な場所をゆっくり散歩するのも悪くない。
<了>





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