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私達は、誰かの日常になっている。

仕事で車に乗り、現場へ向かう途中のことだった。少しだけ遠回りをして昔住んでいた家の近くを通ることにした。何かを思い出したワケでもなく、単なる思い付きだった。馴染みのある狭い路地から大きな通りに当たる角に差し掛かった時に、ある記憶が甦った。

その角にある大きな家には庭でゴルフの素振りをしているおじいさんがいた。だいたい素振りをしている。私は素振りをしている姿しか見ていないので、そのおじいさんがだいたい素振りをしているということは、だいたい毎日素振りをしていることになる。

なぜならそこは私が毎朝愛車で通る通勤経路だったからだ。いつおじいさんが素振りをしていることに気付いたのかハッキリしたことは思い出せないが、だいたい毎日同じ時間に素振りをしていた。朝の七時くらいだ。そのおじいさんの家の駐車場に車は一台も停車していない。雨避けのカーポートの下で雨の日も素振りをしていた。晴れた日には、カーポートの横の手入れされた芝生の上で素振りをしていることが多かった。素振りをしているおじいさんの足あとのところだけ芝生が剥げていたのを思い出す。

私が当時考えていたのは、おじいさんが素振りをしていない日の場合のことだ。私の心の中にはある感情が生まれる。私はいつもと違う違和感を感じて会社に行くことになる。会社に向かいながら素振りをしているおじいさんを思い浮かべることになる。「何かおじいさんに起きたのか」などと考えていつもと景色が違うと感じてしまう。

いつもと違う日常になってしまうことに気付いたのだ。

これはとても不思議だった。私の頭の中では素振りをしているおじいさんがいて、朝の通勤風景として成立していることになる。おじいさんが素振りをしていないとなると途端に日常が変化する。

では、おじいさんがゴルフの素振りをしているのではなくて、野球の素振りをしていたらどうだろうかと考えた。私は素振りをしているおじいさんに「今日は野球ベースボールか。悪くないね」と思えるのだろうか。

気付ける自信がなかった。

素振りをしているおじいさんとして認識しているので、素振りさえしていれば私としては違和感ない通勤経路のような気がしていた。

では、おじいさんではなく「素振りをしているおばあさん」に変化していたらどうだろうか。素振りをしているおじいさんではなく、おばあさんを見た事実はいつもと違う日常なのだが、想像しただけでも滅多に見れない幸運の女神みたいな気がした。

それにより、ラッキーデイとなる。

そうすると、私は素振りをしている何かがいることを景色として認識していることになる。素振りさえしていれば私の頭の中では、おじいさんだろうと、おばあさんだろうと、動物だろうと、妖怪だろうと日常として生活出来ることに気付いてしまったのだった。

私はゾッとした。私の日常が習慣化してしまっているのではと感じてしまったのだ。いつの間にか自分の生活に慣れが生じ変化を感じることが怖くなってしまっているのだ。つまり、違和感から逃げて好奇心を自ら捨ててしまっていたのだ。

果たして、そんなことが私に許されるのだろうか。そんな生活を送るのが私なのだろうか。私は変化をし続けて日々を楽しむことを生業としているのではなかったのだろうか。

私は自問自答を繰り返し自らを疑った。私以外に私を疑うことなど誰にも出来ないからだ。そしてたどり着いた答えは、自らを変化させることに金輪際怯まないということだ。それこそが私なのである。

休みの日の夕方、私は散歩がてらゴルフの素振りをするおじいさんの家へと向かった。いつもと違う時間に向かってしまう自分に心拍の高鳴りを感じた。右手で左胸に触れ実際の感触を確認したが、ただ柔らかかっただけなので、手からでは胸の高鳴りが伝わらないことを知った。

私は心の中でおじいさんに「素振りをしていてくれ」と願っていた。素振りをしているおじいさんを見てどこか安心したかったのだろう。それ以外のおじいさんを見た私が本当に自分を保てるのか心配だった。私の心の内は変化を求めていないということを知った。しかし、それでは自らを裏切ることになり成長出来ないことになるぞ、と自分に言い聞かせた。

おじいさんは、いつもの素振りの場所で庭の草むしりをしていた。

私は、生まれて初めて素振りをするおじいさんが素振り以外をしている姿を目撃した。途端に胸が高鳴った。素振り以外にも活動している姿に涙が出そうになった。よく見れば素振り以外の活動の間に積まれた大きな雑草の山を三つ四つ発見出来た。おじいさんはとても活動的なおじいさんだった。

普段素振りをしているおじいさんが素振りをせずに草を抜いている。この感動を直接おじいさんに伝えるべきか迷っていた。おじいさんに私が話しかけて何かドラマが生まれるとは思わない。下手すれば不審者扱いだ。私がドラマを生む相手は女性以外では到底考えられない。

しばらく携帯を覗くフリをしながら、おじいさんの草むしりの行方を追っていた。おじいさんの家はバス停の前だったので、バスを待つフリをすれば怪しまれる心配はなかった。おじいさんには確固たる草むしりのルールが存在していた。右手で三回抜いて左手で一回抜く。このルールは揺るぎないもののようだった。

私は考えていた。どうせなら右手で一回抜いたあとに突然話しかけてみて、おじいさんの草むしりのリズムを崩したいと思う私がいた。草むしりのイズムを崩すリズムを試してみたいと考えた。

変化を純粋に求め始めている自分にも安堵してきていた。

私は、右手で三回抜いて左手で一回抜くおじいさんの草むしりの右手の一回目に狙いどおり声をかけることに成功した。

「こんにちは。今日はゴルフの素振りしてないんですね」

おじいさんは、私の問いかけにリズムを崩すことなく草むしりを続けている。聞こえていない。もしくは、無視されていると思った。

これが噂の草無視りかも知れない。

そんなことが頭に鳴り響いていた。当時まだアラサーの人生経験が浅い私にとって、咄嗟に浮かんだ草無視りの言葉に満足してしまい、なんて面白いことを考えてしまったのだろうかと自己陶酔し、もう帰っても良いとさえ思ったのだが、ここまで来たのだから、せめてもう一度だけ話しかけてみて、おかわり草無視りをもう一度だけ味わうのも面白いかも知れないと思い直し大きな声で再度話しかけた。

「こんにちは。すみません。今日はゴルフの素振りしてないんですね」

草むしりのリズムを私によって崩され、普段は素振りのみをして生活しているおじいさんは、ようやく私を認識した。抜いた草を傍らにまとめ、私の方へゆっくりと歩いてきた。私は向かってくるおじいさんに軽く会釈した。

「こんにちは。近所に住んでるんですけど。毎朝素振りをされているのお見かけしていて、今日は素振りをされてなくて草むしりだったので、なんだか気になりまして声をかけてしまいました。忙しかったら草無視り続けてもらって大丈夫です。すみません。ゴルフ好きなんですか?」

草無視りを若干強調し会話に入れ込んだ私は自分に身震いして気付かれないように小さく拳を握った。おじいさんは、少しだけ私を怪しんだが、私を人間として認めてくれたみたいで草無視りせずに応じてくれた。

「今日は朝にもう素振りしたよ。一日一回朝だけだ。健康のためにな。もうゴルフは九十越えててやれんよ」

素振りをしているおじいさんは、九十歳を越えている宿老しゅくろうだった。

「九十歳越えているんですか。全然見えないです」

私は、教科書通りの受け答えしか出来なかった。現在の私なら「本当若く見えますよ。八十五歳くらいに見えます」と絶妙な線を突き、おじいさんとの心の距離を詰めることに瞬時に成功していると思う。

「で、一体なんの用事ね」

おじいさんは、私に用事を尋ねてきた。私は質問に対する答えを用意していなかったので正直に答えた。

「毎朝、ゴルフの素振りしてますよね。私毎朝見てます」

今で言うところの、推しの追っかけみたいな台詞が初めて自分の口から出たことに戸惑った。

「毎日してるよ。白い車が通るまで素振りしてるんよ。七時くらいやな」

私は固まった。その白い車はきっと私だ。私はビックリしてすぐにその車は私が運転している車だと伝えた。

「そうかい。今朝も通ってたな」

「そうですね。今朝も通りました」

私は嘘をついた。この日の仕事は休みで車を使ってはいない。でも、世の中には必要な嘘もある。素振りをしているおじいさんにとっては、白い車を認識するのが日常であって、運転しているのは誰でも良いからだ。私が素振りをしている姿を認識出来れば良いのと同じように。おじいさんの日常が変化するとしたら、白い車が家の前を通らなかった時だ。

私は素振りをしているおじいさんを認識し、おじいさんは、家の前を通る白い車を認識して、お互いに朝七時に普通の日常を送っていたのだ。

それからというもの、私は朝七時に素振りをしているおじいさんの家の前を通るとおじいさんに会釈をするようになった。おじいさんも素振りを止めて手を上げて応えてくれた。

私達の日常は、ほんの少しだけ変化した。

私は、その後しばらくして引っ越しをしてしまったのでそれ以来おじいさんには会っていない。久しぶりに通るおじいさんの家の前は、新しく出来た目隠しの塀で、バス停からは家の様子が伺えなくなっていた。敷地をよく見てみるとおじいさんの家は失くなっていて、新しい家が建っていた。

なんのはなしですか

私は、新しい家に向かって軽く会釈をした。家に帰ったら素振りを始めてみるのが正解かもしれないと感じ、変化することを考えた。









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