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2023/12/13(金) 家族のパロディ

玄関に、私が描いた絵が飾られている。友人と一緒にクリスマスツリーを模したチープで可愛らしいオブジェを買って、それも一緒に飾ってある。ドアにはクリスマスリースも引っかけて、まるで暖かい家庭のようだ。私も友人もこんな家は知らないから、非実在の、家族のパロディ。

休日に、ケーキを買って帰って紅茶を入れて、夜に団欒をする。「こんな時間を"些細な幸せ"と表す人がいるなんて信じられない」とこぼすと、「本当にそうだよね」と友人が頷く。「なんてことのない時間」を人と過ごす難しさを知らないのか。幸せのベースが高すぎる。

もはや業とも言えるほどに心を隠せない友人は、「"早く家に帰りたい"って思えるの、初めて」と全く無邪気に喜ぶので、どうして私よりも辛く過酷な時間が長かったであろうこの人が、こんなに屈託なくいられるのだろうかと感心する。

友人の感情は素朴で激しく、体温が高い。愛おしいし、焼かれるようだ。私たちは「あんなふうにはなるものか」という寒々しく恐ろしい行く末の実像があるので、たまに実存をかけて話し合う。それは一日の半分をつぶすほどで、翌日どちらかが起き上がれないくらいに。

「これを聞いてもらえなければ終わりかもしれない」「いっそ消えて/消してしまったほうがいいのかもしれない」冷えた手のひらに肩から腰まで撫でられるように、静かな決断のときを覚悟して臨む。お互いに。

今のところその決断は訪れていないので、暮らしは続いているが。

血が隅々まで行き渡りじくじくと火照るような団欒と、身を切るような痛さが交差する。いつか行く道がバラバラになっても構わない。そう何度も言い聞かせるくらいには、この日々の暖かさを恐れている。

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