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友達が友達じゃなくなる瞬間



 友達が友達じゃなくなる瞬間って、怖いよな〜って常々思ってますわ。

 もちろん友達なんて、ずっと同じように関係が続くものではないことは分かってる。必然、もっと仲が深まることもあれば、繋がりが途絶えることだって往々にしてある。

 そもそもが、たまたま同じ場所に居着いてたり、たまたま同じ地域で生まれ育ったり、趣味に対して似たようなスタンスだったり、なんとなくノリや経済感覚が近かったり、あるいは一緒にいられる時間の都合がつきやすかったり、仕事柄の生活リズムが合ってたり……そういう偶然の産物で繋がれているだけのものだったりするので、ふとした瞬間に気も合わなく、顔も合わせなくなるもんだ。

 別にそれはいい。あたいはそういう別れは悲しいとは思わない。仕方のないことだと思う。生きていりゃあ誰だって価値観も状況も住みかも変わったり、自分だけは変わっていなかったり、相手だけが変わらなかったりするものだし。それによってすれ違いや食い違いが生まれるのは当たり前のことなのだ。

 むしろ、そんな変化を無視して、いつまでも友達でいようと誓い合う方が心情的にも負担に思える。だいたい「ずっと友達でいたいな」と思える瞬間ほどの波長の合い具合なんてそうそう続かないものだ。長く付き合っていると、だんだんと嫌な面や価値観の違いが浮き彫りになっていく。久しく会えば人が変わっていて、記憶の中の人間像と大きく乖離することだってある。そうすれば友達関係だってアップデートして然るべきじゃん?

 人間は生物(ナマモノ)だから、その時その時で付き合い方が変化するのが人間関係というもの、って考えもあってもいいじゃん。だから変化の一環として、人付き合いには別れや離れがある方が互いのためだと思う。たとえ友達と距離を取ったり、別れを経験したとしても、互いのためである場合には悲しいだけの顛末ではないだろう。

 それに袂を分つとも、友達だった事実は消えない。その子と過ごしたその時期の記憶は、褪せることはあっても消えないし、ふと友達じゃなくなったとしても、またいつしか友達に戻っていることもある。将来友達でいられるかどうか分からない、と同様に、将来はまた友達に戻っているかもしれない、そういう不確定要素も人間関係の醍醐味だし、希望だとも思う。


 そもそも、友達というのは基本的に「余裕の範囲で支え合う組合」のようなものだとして、あたいは捉えている。

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