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「ゲイなら男女の友情は成立するよね?」とゲイバーでよく聞かれるけども。



 ほんと、SNSには、さまざまな議論のネタがありますわ。


 Twitterでよく見かけるのだと例えば、「男女で割り勘はアリ?」とか「デートでサイゼはあり?」「男からのプレゼントでこのブランドはアリ? ナシ?」みたいなやつ。こういうのは定期的に話題になるので、ある程度SNSやってる人なら興味が無くても何度か見かけたことがあるとは思う。

 この手の話題というのは、おそらく元々は婚活界隈や、男女のステータスにこだわって食事や関係を構築する界隈(都内でのマッチングアプリ事情やパパ活と港区界隈)で論われたのが発端だと思うんだけど、べつに都内の社会人じゃなくても実感しやすい内容だし、学生や若者でも理解できる話だと思う。

 なので、一部界隈の限定的な話題のように見えて、本質的には「犬と猫どっちが好き?」くらいに普遍的で、誰でもスナック感覚で言及しやすく、それぞれに正解や価値観があるからこそ誰とでも盛り上がれる性質を持っていた。だから、SNS上でさまざまなクラスタに波及していったのだろうと思う。デートしたことの無い人でも憶測や自論である程度言及できるし、同性愛者でも自分達の事情に重ねて触れられるしね。

 それに、恋愛やセックスが絡んだ「男女論」というのは、世代が持つジェンダー観、そして時代に存在する男女の経済格差や、絶対的な身体差というような性差の構造や問題を浮き彫りにするので、さまざまな角度から話題が広がりやすい。

 そして対立も生みやすい。

 たとえば、こういった「割り勘問題」や「デート問題」という話題の背景にあるものを、フェミニズムが「有害な男らしさ」や「家父長制の延長線上にあるもの」として批判する時、反発するようにフェミニストや“強い女(経済力や気が強い女・男を必要としない女)”に矛先が向かって過激化していくのも、この話題の根幹がただの「個人的な価値観による是非」ってより「複雑な社会問題」が絡まっているからなのだと思う。


 どうしてこうも男女論が対立や争点を生むものになるのか、の理由の一つには《身体差》があると思う。

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