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【小説】ゲイ、異世界転生してゲイバーを開く(2/3)



1話目↓

 ◆


 アタシはもう一度、ここら辺を漫然と歩くことにした。


 さっきまでの「家に帰らなければならない」という焦りや不安とは違って、今は気分が良い。空腹や渇きと戦いながらも、しっかり腰を据えて、これからどうしようかと考えている。路頭に迷う一歩寸前というか、もうすでに路傍で血迷っているアタシだけれど、この気持ちはむしろ前向きだと思う。

 知らない土地で、知らない街で、知らない人に囲まれて一から生活基盤を作っていくーー実を言うと今までは男の家に転がり込んだり、先代ママの家にお世話になったりしてのらりくらりやってきた人間なので、この歳になるまでそういったがむしゃらな生活を送ってはこなかった。むしろ、若い頃のアタシは顔もカラダもそれはもう綺麗で、憎たらしいくらい若さにかまけて調子に乗っていたので、自分が誰かに貢いでもらって当たり前だと考えたりしたものだった。


 だけど現在、財布もスマホも無い今、アタシはこの新しい世界で否応もなく「がむしゃらに、何もかもかなぐり捨てて生きろ」という選択を突きつけられている。アタシはこの逆境に滾っていた。

 どうせ一度失った命でもある上に、さらに言えば、もうゲイのお水の世界では若手ではない三十路寸前のアタシにとって、これが最後の無茶できるチャンスで、新しくやり直す最後通牒だと思ったからだ。

 
 世間一般で言えば、三十路の男は会社でキャリアのターニングポイントに立たされる頃だろうし、人によって家庭を持っていることもあるだろう。歳の近い女性と結婚して、マイホームは郊外の分譲低層マンション、子どもの送迎もしやすいミニバン。そんなところでしょう?

 でもアタシはゲイだから。
 どうせこの世に残すものも継がせるものもない、刹那的な生き物だから。
 じゃあ好き勝手生きてもいいのよね、どうせ。
 裸一貫から出発してもさ、体がスライムになってもさ、仕事して自分だけ飯食って生きていりゃそれでいいでしょう。

 
 バラの生垣の先に頭だけが見える西洋洋館、それを横目に細く起伏の激しい道を抜けていく。坂道ばかりで足がますますだるくなってきた。ヒールで歩くもんじゃないわ。裸足になってやろうかとも思った。


 すでにもう太陽が真上にあった。化け物の数も増えてきた。どうやら昼食を求めて歩いているようだった。勾配の急な道路に面して、おしゃれな飲食店やカフェが並ぶ。どこからか洋菓子の焼ける匂いがたちのぼっている。ガラス張りの洋菓子店、薄いレースカーテンの先、そこからいい匂いがして、道ゆく人間がみんな一度はその店をチラリと覗き込んでいたわ。

 近くには蔦まみれの洋館のような喫茶店もあった。コーヒーの香りもして相乗効果がもたらしている。そこは洗練された通りで、歩く人も心なしか気分がよさそうだった。

 スマホが無くてもアタシはぼーっとそれらを眺めているだけで時間を潰せた。むしろスマホが無い分、功を奏したのかもしれない。こんな風に時間を過ごす機会は久しかったので、アタシは普段よりも随分早く酔いが抜けていく思いがした。やっぱいつもスマホを見ながら横になっているから、ますます二日酔いに苦しめられていたんだなと自覚した。


 そして思えば、今までずっと客商売していたくせに、こうして他人をまじまじと見つめることなんてしてきたことがなかったなぁと感じて、アタシはしみじみとした。もうどうでもよくなって普段なら地べたになんて座らないけれど、そこにあった石の階段に腰を下ろした。

 ゲイバーで勤務していた時、ふと虚しさを感じることがあった。朝までお客様と過ごしていても、その場のノリだけで会話を乗り切って、歌って飲んで、その場その場の空気と相手の顔色だけを窺うことが多かった。他愛無い日々だったけれど、無為に過ごした時間でもあった。

 アタシが思うに、スマホやお酒は長い夜の暇を潰してあらゆる寂しさを少しだけ埋めてくれるけれど、こんな風に人や世界を眺める機会を奪い去っていたように思う。

 ーーなんてセンチメンタルなことを考えていたら、不意に尿意が込み上げてきて、アタシは心底焦ったわ。

 これだけ練り歩いてきたけれど、この街には公衆トイレがなかった。どうしてないのよ。どうしてどこの世界でも行政は公共のトイレを奪い去ってしまうのよ。なんでなのよ。お酒をずっと飲み続け、年中ふやけた膀胱に仕上がっているアタシはもう大惨事。おしっこがしたいと思った時、もうすでにちょっとおしっこは漏れているのだ。

 何もかもかなぐり捨てて新しい世界で再チャレンジ! と意気込んだものの、さすがにこんなオシャレな景観の街で、化け物とはいえいろんな生命体が行き交うところで立ちションなんてできない。さすがにアタシもそれだけはプライドを持ってる。だからどこか立ちションできる木陰はないかしら。


 アタシは猛ダッシュで人通りの少ない道路を越えて、まったく人影の見えない路上にまで駆け込む。ええい、ままよ、ここで立ちションしてやるわーーと威勢よかったのも束の間、アタシはものすごく根本的な問題にぶち当たる。

 
 それはーー全身がスライムになったアタシのチンチンは、立ちションができるような形状なのだろうか、ということーー。
 
 


 スライムチンチンは、以前のアタシの体と同じようなものでした。

 思えばアタシはお酒の飲み過ぎでずっとED(勃起障害)を抱えており、常にスライムと言っても過言ではなかったのでした。


 スッキリし終えてから少し歩くと、山と木々の合間に教会のような施設もあった。アタシは積極的に何かを信仰しているわけではなかったけれど、鐘の音やそこに吸い込まれるように入っていく敬虔のある人たちを見ていると、なんだか救われる思いがした。この世界にもなんらかの神様を信じる人がいて、そして救いや死後の世界という概念があるのかもしれない。

 アタシの場合は東京で死んでこの世界に来たけれど、ここで死んだ先にどういう世界があるのかは分からない。もしかすると前いた世界に異世界転生したり、あるいは別の世界にまた飛ばされたり、それともここで死んだらついにとうとう天国や地獄、あるいは無というものに行き着くのかもしれない。

 都合よく異世界転生が繰り返されるなら、それこそ前世の記憶を持った人間に溢れると思うので、きっと現実はもう死んだら二度と世界に存在できなくなるのが真実なんだろう。

 ただ今は、アタシも前ほど希死念慮のような後ろ暗い感覚を覚えなくて、ただ純粋に爽やかな気分で、その教会を眺めることができた。そして立ちションしてから洗ってない手を合わせて、ぼやけた十字架を拝んでおいた。


 少し下ると、広場というか公園のようなところにたどり着いた。周りは自然と住宅街が立ち並んでいて、近くには墓跡のようなものも並んでいた。墓地があるのかもしれない。人通りも疎らだ。さっきいた場所と違って観光色が薄いからだろう。さらにここには公衆トイレのような施設もあった。もう遅いのよ。アタシは失ったらから、体裁を。

 水飲み場もあったのでとりあえず水分補給は間に合った。無理せずに水を胃袋に流し込んでいく。それからベンチに座って安静にしているとようやく吐き気は収まった。木陰で風に当たるとますます気持ちがいい。


 すると、よろよろと広場に入ってくる骸骨のようなお爺さんが見えた。頬はこけて、くっきりと骨の形に沿った形がぼやけていてもわかる。ワイトだ。異世界によくいる骸骨モンスターのワイト。

 ワイトはアタシを見るなり少し驚いたように小さな声をあげて、それからこちらにズンズンと進んでくるなり、


「ゾンビか思たわ」

 と、関西弁でちょっと失礼なことを言った。

「失礼ねぇ。そんなに顔色悪い? もう結構治ったんだけどなぁ、二日酔い」

 アタシはふぅと息を吐いて、そう答える。
 仕事以外の時間で、知らない人と会話を交わすことも久しぶりだったので、アタシは不思議な感覚に包まれていた。
 

「なんやお兄さん、飲み明けかいな?」

 ワイトはアタシの隣に座っちゃった。カタカタと歯を打ち鳴らして小刻みに震えている。さっきの話しかけた妖精さんたちとは打って変わって本当に化け物に近い。思えばいろんな生き物がいる街だけど、ワイトは何度も見かけた気がする。きっとこの世界で多い種族の一つなんだろう。

「そう、昨日は結構飲んじゃってね。多分」

「そうかぁ、ほな観光でかいな?」

「ううん」アタシは首を横に振る。観光というならこんな公園で一服してないでしょうと言いたくなる。でも仕事でも引越しでもなく、この世界には転生でして来た、だなんて答えられるわけも無いから「アタシ、日本ってところから来たの」


 そう返すと、骸骨は真っ黒で吸い込まれそうな眼窩をこちらに向けて「おもろいなぁ。まだ酔っとるみたいやなぁ」とケタケタと笑った。


 ワイトの笑い方は、まるで子どもを見て微笑ましくなったかのような上からな笑みだったので、それに少しムッとしたものの、アタシはせっかく話を聞いてくれそうでもあったので、

「ねぇさっきさ、『多分飲み過ぎた』って言ったでしょ? 実は言うと昨夜の記憶も無いし、財布もスマホも無いのよ」と打ち明けた。

「そうなんかぁ、大変やなぁ。おっちゃんお金ないから貸されへんでぇ?」ワイトは即座に返す。

「お金なんて借りようとは思ってないっての。でもとりあえずこの街で過ごそうと思ってるからさ、どうすればいいか相談に乗ってくれる? あと、骸骨さん、アタシにこの街のこと教えて欲しいの」


 アタシは、若い頃と違ってもう人に頼らないとか、新しい土地での再出発だとかなんとか考えていたけれど、またも目上の男性に縋ってしまうのであった。でもアタシは今もまだバリバリ綺麗だから、きっと同情して優しくしてくれる……よね?

「誰が骸骨やねん」
 


◆ 


 そのワイトーーもとい骸骨さんと歩きながら、アタシたちは話をした。といっても自己紹介や身の上話というより、観光ガイドのような感じで骸骨さんが他愛ないことを取り止めもなく語るのを聞いていただけだった。

「ここらへんはなぁ、昔大変なことになってなぁ、建物が斃れて、火事になって、みんなダメになってしまったんや。お兄さんが生まれた時くらいのことやから、知らんやろうなぁ」


 そんなのアタシが生まれた生まれてない以前に、そもそもアタシの住む場所と違う世界のことなんだから知らないに決まってる。

「でも少しづつ、少しづつ前に進んで、ようやく今がある、再生の街なんや」


 彼はこの街に住んで長いようだ。いろんなお店を知っていて、さまざまな民族や種族のご飯屋さんを教えてくれた。そして街の歴史にも話は広がった。まるで授業のような口ぶりで話すものだから、アタシは生返事でへぇはぁと言ったことしか言えなかった。


「ーーで、今から向かうのは元嫁の店や。場末のボロいスナックやっとるねん、迎え酒できそうか?」


 不意に脈略なく骸骨さんがそう言ったのだけはアタシも聞き逃さなかった。

「できるできる! あ、でもお金ないけど」


「元嫁の店って言うたやろ、そんなもんタダでかまへん。ここで会ったのも縁やから一緒に飲もうや」

「やだ……アタシ、このまま抱かれる……?」


「誰が抱くねん」

 アタシは骸骨さんの厚意に甘える形で、誘われるがままともに歩き続け、そのうちやたら横幅の広い商店街にたどり着いた。さびれた通りには誰も通っておらず、シャッターも目立った。そしてさらにそこを抜けた先に向かった。するとようやく目的地に着いたようだった。

 まだ夕方になる前だと言うのに、古びたスナックの看板には妖艶な紫色の明かりが灯っていた。日焼けした土壁に備わった木製の扉を開いて、骸骨さんの先導でそこに入っていった。



 店に入ると、少し湿気くさいエアコンがガンガン風を巻き起こしていた。まだ開店作業中のようだ。カウンターには似物やおしぼりが束で置いてある。そんな時に入っていいものなのだろうかと怪訝に思うけれど、骸骨さんはお構いなしにカウンター席に座り、アタシに手招きする。アタシは隣に座って、無人のカウンター内を窺った。誰もいなかった。


「まだ開店前じゃないの?」とアタシが骸骨さんに問いかけた。


「せや。でもええねん。今日はオープン前にな、しっぽりやる日やから」


 骸骨さんがしゃがれた声で笑って、そのまま鞄から酒の瓶を取り出して、手酌で飲み始めてしまった。


「本当に大丈夫なの………ていうか“今日は“ってどういうこと?」


「まぁええねん。ほれ、お兄さんも飲むか?」と骸骨さんがアタシに酒を突き出した。

 その時だった。カウンターの先のカーテンが揺れた。バックヤードのようなところから、全身真っ黒の魔女が音も無く現れたのだった。


「なにしてんのあんた。えらい早いやん」

 その魔女は骸骨さんに向かって吐き捨てるように声をかける。たばこと酒で強烈に焼けたざらついた声。もはや声まで魔女。佇まいも何もかもが魔女。風格もオーラも魔女そのものだった。絶対に黒魔法使えるだろうなと思った。

 アタシが驚きを隠せずに、少しでもよく見ようとまじまじと目を細めて魔女を見つめていると、魔女もアタシを二度見したのちに、一瞬悲しそうな顔をしながら「……お兄ちゃんも、この人のツレかいな?」と声をかけてくれた。



「ええ、まぁ、といってもさっき出会ったばかりなんだけど」

 アタシが骸骨さんの方を見ると、彼もアタシの顔を覗き込むように眺めていた。そしてすぐにアタシから目を逸らして魔女と目配せをする。


「お兄ちゃん。私らの知り合いにえらい似てるわ。生き写しかと思った」


 魔女はそう感慨深く、何かを思い出すようにアタシをためつすがめつ眺めてきた。


「それでなこのお兄さん、観光で来たけど財布もケータイも無くしてまいよったらしいわ。今ほら2階空いとるし、一晩泊めたってくれへんか」

 骸骨さんはアタシにそんな相談もしなかったのに、急にそう懇願してくれたからアタシは驚いてしまった。たまたま出くわした得体のしれない人間を、予約しているホテルや当てがあるのかどうかも問いたださず、事情ありだと察してそう言ってくれたのだろう。ありがたい計らいに涙が出そうになる。


「……そんなあかんで、うちは下宿とちゃうんやから」

 ドリンクを作りながら魔女はそうきっぱりと答える。鋭い眼光で、当たり前のことを言ってのけた。でもアタシから食い下がった。


「働きます。アタシここで働きます。働かせてください!」


「ええ!?」

 アタシの急なお願いに対して、さすがに骸骨さんも魔女も驚いて口をあんぐりと開けてしまった。骸骨さんは笑っているように見えた、魔女は今にも怒りそうにも見えた。


「あんたわけアリやろ? あかんで、そんなんうちじゃ雇われへん。うちはいくら場末でもちゃんとお客さん楽しませて飲める子やないと働かせるつもりないし」魔女はキッパリとはね返す。


「その点やったら大丈夫ちゃう? この子は今日、俺というお客を捕まえてここまで呼び込んだわけやし」骸骨さんがフォローしてくれた。


「あんたは今日は絶対に来る日やろ?呼んでなくても来るやん」

 魔女がアタシたちにドリンクーー骸骨さんのキープボトルである吉四六の水割りを出してくれた。そしておしぼりとお通しのポテサラをテキパキと配膳してくれた。まるで黙ってこれを食えかと言うように。


「水商売の経験はあるんです。ずっと飲み屋でお酒作らせてもらって、お客様から頂いたお酒は一滴残さず飲み干してきました! 女装もできます! だから魔女さん、どうかお願いします!」


 アタシはカウンターに座りながら、魔女の方へ向かって土下座をするかのように深々と頭を下げた。


「誰が魔女やねん」




「ほな一週間、とりあえず一週間だけ面倒見たる。お給料は一週間後にちゃんと渡したるから、それ交通費にして家に帰りや。わかった?」


 一時間後、スナックの2階の居住スペースでシャワーを浴びて、服を借りてカウンターに立たせてもらった。以前住んでいた人の物と思われる、少し埃っぽいシャツとスラックス。まるで黒服のような装いだった。

 アタシが骸骨さんに「連れてきてくれて本当にありがとう」と伝えると、骸骨さんは「ええねんええねん!ほな!また来週、ママもよろしゅう」と言って去ろうとした。魔女さんは「お会計払いな。元旦那やろがあかんで」と一喝した。骸骨さんはクレカで「一括で……」としょんぼり答えた。


 骸骨さんが帰ってしまったので誰もお客がおらず、静かな店内に有線放送だけが流れた。魔女さんは多く語らないし、問いかけもしてこない人だった。

 代わりに必要最低限のやり取りで店のことを教えてくれた。おかげでみっちりと研修できた。タンブラーやグラスの位置、この店の伝票と会計の書き方。一日の流れと、業務内容のいろは。さすがにアタシも前世界ではゲイバーの雇われママをしていたくらいだから、すぐに覚えてこなすことができそうだった。


「水商売の経験があるのは間違いなさそうやな。でも男やからなぁ……はじめてや、男をキャストとして雇うの。前までは若い女の子がいっぱいおったんやけどなぁ」


「辞めちゃったんですか?」


「いや長年ずっと働いてるから、若い女の子じゃなくなっちゃってなぁ……」

 
 魔女さんがそう言った。落語みたいなことを言う。


 あいにくこの一週間はアタシと魔女さんだけで切り盛りしていく予定らしく、時節柄お客さんも多くはならないだろうから、時給は多く出せないけれどのんびり気楽に手伝って欲しいとのことだった。願ったり叶ったりだ。アタシもまだ本調子じゃないのでのんびりと働きたかったところだ。

 それにアタシの慣れ親しんだお酒を作る仕事に、住むところまでも揃った。何もかも上手く物事が進んだので、これ以上は望まない。お給料面で贅沢を言うつもりはない。

 魔女さん的にもアタシの仕事覚えを見て「まぁ一週間なら手伝いくらいはできそう」と判断してくれたのだろうな。今までの経験が報われるようで嬉しい限りだった。



 夜が訪れつつある。

 アタシのスナックスタッフとしての営業が始まった最初の二時間ほどは静かだった。常連さんと思しき方々がちらほらと少人数で店に訪れ、その応対には魔女さんについてもらっていた。お客様も時折もの珍しそうにアタシの方を見て「新人さん?」と声をかけてくれるだけだった。

 それに対して魔女さんも「そう、訳あり」としか説明しないし、アタシもどこまでホゲるーーつまりオカマやオネェ仕草で過剰にリアクションしていいのか分からず、相手の反応を探り探りで受け答えを試すばかりだった。その緊張感はお客様にも伝わってしまったような気がした。

 体が本調子でないとはいえ、もっと早く役立ちたいとは考えている。アタシは接客が空回りすると少しヤキモキした。

 すると魔女がアタシにミネラルを一杯注いでくれた。


「お兄ちゃん、教えといてな、悪いって責めてるわけじゃないねんで。あんた女になりたいんか?」

 お客様が少しはけた時、魔女さんがそう問いかけてくる。
 アタシは首を横に振った。

「前にゲイバーで働いていたから、そこで仕草や言動が板についただけ。ただの男好きの男だよ」


 アタシは魔女さんの前ではそこまでホゲずに、過剰にリアクションを取らずに話せるような気がした。なぜだろう。


「そうかぁ。ここらへんはそういうお店も、男が好きって人もあんまりいないから、みんな一瞬たじろいじゃうやろね。だからこそ売りになるんとちゃうかな。あんまり試し試しで喋るより、もっとガッと自分さらけ出したほうがおもろいで。それに、ここらの人はあんたがおった地域の人より我が強いしな、お客にすら食われてまうで」

「……! はい!」アタシは嬉しくてちょっと張り切って返事した。


 ーーああ、そうだ。アタシの働いていたゲイバーの先代ママと同じような雰囲気を感じるからだ。アタシの感じているヤキモキに目敏く気づいてくれる、この距離感が、アタシの居心地の良さに繋がっている。



 数時間後、ガチムチオークの団体客が来たのでママがそこにつきっきりでカラオケをしていた。雄々しい声で長渕剛を歌っていた。アタシはというと、ちょうどカウンター席の端で、細身で陰気な雰囲気を漂わせたガーゴイルのようなお客様にマンツーマンで接客をさせてもらうことになった。


 ーーそうよ、魔女さんの言う通り、新しいことに挑戦する時、せっかくのチャンスなのに臆しちゃって、それで自分の良さを潰したらダメよね。だからビビるな。


 ガーゴイルはフゥッとタバコの煙を燻らせる。どうもかなり荒んでいるような雰囲気だ。

「何かものすごくお疲れみたい」

 アタシはふと、そう声をかけてみた。


「わかります? ……いやぁもうね、ほんまに終わりなんですよ」


「終わり?」


「……外されたんですよ。チームから」

 ガーゴイルは猫背をさらに深く曲げて、ますます顔に影を落としていく。


「『実績が伴わないから、実力不足だから』とリーダーに宣告され、チームを外されてしまいました。もう実質クビみたいなもんですよ、七年もそこで貢献してきたのに……」


 やだ、これって追放ものじゃん……!


 いわゆる異世界転生系だったり、転生じゃなくてもファンタジーものにありがちな『ギルドやパーティーを追放された』というコンセプト・テンプレートのものだ。


 追放された後の展開にはいくつか派生があって、ひとつは「努力して成長する」、もうひとつは「別の場所で活躍する」、あと他にも「自分の真の力を見出してくれる人に出会う」とか「いっそのことスローライフなどに目覚める」とか……そして「復讐する」という作品も少なくはない。いやむしろ復讐要素が占める作品は多い。


 でも復讐ものって、読んでるだけで疲れるし滅入るのよね。復讐をした本人はスッキリするかもしれないけれど、そこに至るまで見ていて気持ちがいいものじゃないやり取りも多いし、他人の復讐を見てカタルシスを得ても、結局自分の人生が何か好転するわけじゃなく、いっときを慰めるだけの娯楽にしかならないから。

 アタシは復讐よりも、そんなものから離れて知らないところで自分らしさを取り戻す方がよっぽど好きだ。だってどれだけ足掻いて、何かを恨んでも失ったものは取り返せないし、奪われた命は戻ってこないから。


 ーーああ、でも、これって何も物語だけじゃなく現実でもそうなのよね。人によって選びたい選択、取ってきた選択、考えつく選択ーーそれぞれがきっと交わらずに伸びている。

 だからこのガーゴイルも今自分で葛藤して悩んでいるのだろう。「復讐するか」「努力して見返すか」「我慢して過ごすか」「距離をとって違う舞台に行くかどうか」ということを。


 アタシもふぅと息を吐く。

「実は、アタシも昨日、全てをかなぐり捨ててこの街に来たんです。で、無職、一文無し、家も無しだったんですけどママに見つけてもらって……」


 すると魔女さんは「勝手に転がり込んで来たんだよ」とマイクのまま付け加えてきた。どうしてそこそこ席が離れているのに会話が聞こえているんだよ、あの地獄耳。


「でもね、とにかく、今日さっき店に入ったばっかで」

 ガーゴイルは真剣な表情で、


「お兄さんも何かあったんですね、向こうで」


 と息を呑んで、こちらを見た。


「……うん、まぁ色々ね。で、気づいたらここにいたの。不思議な縁よね。とにかくアタシが言いたいのは、アタシ達は事情や背景は違うけど、でも一緒なのよ、きっと。終わってもまだ終わってないし、終わってもまだ続いてるし、終わってもまた新しくやれるの」


 自分でもその言葉の意味を考えて見つめ直すのに時間がかかった。そしてまるでそれが自分へ言い聞かせているようだと感じた頃には、ガーゴイルはえらくアタシを気に入ったようで、ボトルを二人で飲み干して次のものを開けようとしているところだった。


 ちなみにガーゴイルは全然タイプじゃなかった。


続く


今ならあたいの投げキッス付きよ👄