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根性焼きと肩パンが義務の中学校


⚠️いじめや暴力にまつわる話です。そういう描写もそりゃある。



 あたいが通っていた中学は、村とニュータウンと団地に挟まれた地方にあった。少子化のせいで空き教室だらけの年季の入った校舎と、だだっ広いグラウンドと台地からの景色だけがある学校だった。整地されずにいつも土がぬかるむ校舎裏は、ほど近い裏山に直結していて青々しく茂っていて、そこからはたまに野犬も入ってきた。野犬が来るとみんなで「犬だーー!!!」と声を大にしてはしゃいだ。野生生物と自然災害のみが非日常の、とてものどかな地域だった。

 しかし、そんな自然に囲まれることで健やかな童心を育めたかというと、あんまりそうではなく、どちらかといえば村社会と都市的な娯楽の無さが両立するおかげで、微妙な閉塞感が漂う地域だった。

 どこにいても知り合いや同級生の家族に会うし、スーパーのフードコートや公園には常連の顔しかいない。いつも誰かに意識的に見られていることを念頭に動かないとならないところだった。

 良い意味では顔が割れているから悪いことができない地域密着な社会かもしれない。原付を盗(ギ)った子はすぐに持ち主に特定されてボコされてたし、不良の兄貴がいる子はカツアゲを免れるくらいには自治と相互監視がなっていた。でもそれは悪い意味では逃げ場のない世界だった。

 中学卒業後にそのまま働く子も多く、高校に進学しても地元から通える範囲の数校でしか選択肢がないあの町では、いつまでも友人や先輩あるいは友達の兄姉がそばにいるので、子どもたちにとって、ずっと同じ顔ぶれと生きる世界だけが広がっていた。

 なので卒業式も同級生とのお別れのイベントではなかった。強いていうなら、卒ランを着る晴れの日だったり、ヤンチャを大目に見てもらう日としてノーヘル無免許のまま原付で登校したり、在学時にムカついてた先生たちへのお礼参りとして、彼らの車にイタズラしたり、校舎の窓ガラスを割るくらいのイベントだと認知している子の方が多かったと思う。

 だってみんなにとって地元の友達は最強だから。ずっとこれからも一生つるむと考えていたし、世界はここが最大限なのだと、そう信じていたのだろう。だからあの町の子どもにとって、卒業自体は別れではなかった。今思うとあたい達は、そこから新しい世界を知って人間関係が変化してから、本当のお別れがあったように思う。中には道を逸れて消息が不明になったり、若くして命を失った子もいた。

 あたいだって家出してゲイ風俗に入って、それから長い間、エッセイを書き始めるまで地元とは一切の関わりを持たなかったのでなんとも言えないけど、地元というものは15歳や18歳のタイミングで、少しづつ過去になり始めるのかもしれない。


 地元の閉塞感について振り返って書いたけれども、あたいの場合はそこの地の土着の人間では無いので、そこまで顔がさす(知れ渡って認知されている)わけじゃなかった。

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

今ならあたいの投げキッス付きよ👄