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乳首開発しすぎて日常生活を送れなくなった先輩の話【⚠️めっちゃニップル】


  ーー先輩は、男性で、本人曰く「胸に2匹のエスカルゴを飼っている」。

 

 どうも、もちぎです。今日は真面目で努力家のゲイの先輩が、乳首開発に励むあまりにとうとう乳首が想定以上の大きさになってしまい、日常生活に支障が出始め頭を抱えたものの、のちに無事に新しい人生を歩むようになった、その一部始終を書き残そうと思います。

 その先輩はゲイ風俗時代の先輩で、長年顔は合わせていなかったけれどTwitterのゲイ垢では交流があったので、およそ十数年の付き合いになるゲイ友です。

 出会った時の彼の乳首は店の宣材写真でしか見たことはないので印象も薄く、大きさも人並みであったと記憶していますが、現在の彼の乳首はおよそ縦に数センチ。しばらく見ない間にずいぶんと大きくなっていたので、親戚のような気分です。

 もちろん乳首を含む体の大きさや形状などは人の個性であり、その大小などが社会的に肯定される必要も、また他者から否定される必要もありません。自身の体は自身の物なので、面白おかしく扱われることは誰にとっても不快だと思います。なのであたいはエッセイ作家としてもお客様の身体情報を論うことはありませんでしたし、ルッキズムを含む美による規範主義がどれだけ多くの人間を苦しめるのかも知っているつもりです。

 ただ、今回の記事では本人から「乳首開発の危険性を知って欲しい。これは俺の失敗の物語だから」と後押しをいただき、その意思を尊重して実体験をそのまま描き、含蓄に富んだ失敗談として記事にする運びとなりました。

 乳首開発を含む人体に後から手を加える方法には、様々なデメリットが伴います。たとえばあたいは整形に対して肯定派(というか自身が自主的に行う前向きな行動を周りが否定する正当性なんて無くね?って程度の消極的肯定派)ですが、それでもやはり行き過ぎたものになれば心配してしまいます。美しさも性的な快感も、まずは自身の生存や健康があってこその付属品ですから。

 乳首開発なんてその主たるものです。乳首が無くても人は生きられますし、乳首に伴う快感が無くとも人は前を向けます。もちろん何を重視して生きるかは人それぞれの価値観なので尊重しますが、乳首のために生きるあまりに乳首に生活を支配されればそれは本末転倒な《主従関係の逆転》だと認識しております。それは乳首以外のことであっても、そうですよね。

 今回取り上げる先輩、彼はまさしく乳首の奴隷でした。



 始まりはコロナ禍に入ってすぐのことだったそうです。

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