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ダブルアップ思考からの脱却

よくきたな。わたしは餅辺です。普段はnoteで小説を書いたりゲームを作ったりしていますが、今回は創作者全般が陥りがちな「いくら書いても自信がつかない……」「失敗した時のショックが大き過ぎて立ち直れない……」そんな悩みの原因となるダブルアップ思考とその対策についてお話しします。


①ダブルアップについて

本題に入る前に手短に「そもそもダブルアップって何?」という方向けの解説を挟みます(ご存知の方は飛ばして大丈夫です)。

ダブルアップとは、主に賭け事で使われる用語です。例えばあなたが100円を賭け金に、サイコロの勝負を行なったとします。出目が奇数なら賭け金の倍、つまり200円が手に入りますが、偶数なら元手の100円は没収されます。

シンプルなルールですが、これではあまり人を熱中させられません。賭け金があまりに少額だからです。そこで胴元は「受け取った賞金をそのまま次の賭け金として良い」とルールを定めました。

すると、賭け金は100円、200円、400円、800円……と勝つたびに倍々に増えていくことになります。無論、どれだけ賭け金が増えても一度負ければ全額没収なのは変わりません。これがダブルアップです。


②ダブルアップ思考とは

それではダブルアップ思考について解説していきましょう。ここにウサギくんがいます。

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ウサギくんは本を読むのが大好きであり、いつか自分の小説を出版する夢を持つ、どこにでもいるウサギです。彼は最近はじめて短編小説を書き上げ、なかなかの好感触を得たようです。

称賛されてモチベーションも上がり、自信も手に入れたウサギくん。彼はすぐに次回作への執筆に取り掛かりました。前回のものよりも面白い作品を書いてやるぞ。そんな情熱に突き動かされるままに。

ですが……書いているうちに不安が身をもたげてきます。

「この作品は本当に面白いのかな?」「前の方が面白かったのでは?」

ここまでは誰にでもある不安でしょう。しかし……ウサギくんはさらに考えてしまいます。

「この作品がダメなら前作のファンに見限られてしまうのでは?」「そもそも前作の成功は本当にぼくの実力だったのだろうか?」「もしや……勘違いして調子に乗っているだけなのでは?」

悪い想像は膨らむものです。ウサギくんは不安のスパイラルに陥った結果、執筆を一時打ち切りそうになっていまいます。しかし夢の実現のためには休んでなどいられません。情熱と妄想の狭間で苦しんだウサギくんは、やがてこう結論づけます。

「いや、そんなはずはない! この作品が面白ければ、二作目にも称賛の声が集まれば、ぼくの実力は本物だったと証明されるはずだ!」……と。そして執筆を再開し、見事次回作を書き上げることもできました。

一見この結末は前向きですし、ウサギくんの結論は次回作を書くエネルギーを生み出したかのようにも見えます。ですがそれこそが危険な罠。「ダブルアップ思考」の典型例なのです。

ウサギくんのその後を見ていきましょう。丹精込めて書き上げた次回作は、彼の目からは納得のいく作品に仕上がりました。しかし……残念ながら周囲には受けなかったようです。思うような評価を得られず、ウサギくんは落ち込んでしまいます。

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誰にでも失敗はあります。大人気作品を作り上げた作家でも次回作はパッとせずに打ち切り、なんて例は枚挙にいとまがありません。それはウサギくんも同じです。どれだけ成功するための努力を惜しまずとも失敗する可能性はあります。なので彼が失敗を過剰に恐れる必要はありません。それはただのありふれた結果であり、何を証明するものではないからです。

しかしダブルアップ思考に陥ったウサギくんには話が違ってきます。「失敗した……ということはつまり、ぼくには実力がなかった……?」この結論には客観性が大きく欠けています。先述の通り、失敗と実力に因果関係はありません。しかしウサギくんは創作エネルギーを捻り出す際、「実力」を賭け金としてしまったのです。

賭けに負ければ賭け金は失われる……それと同じように、ウサギくんはいともたやすく「前作への称賛」その根拠たる「実力」への自信を喪失してしまいます。本当は何も失われていないにも関わらず、大切なものを失ってしまったかのようにウサギくんは思い込み、やがてこう考えます……

「そうだ、実力がないって事実を否定するために頑張ったのに、結局ダメだった……舞い上がってただけだったんだ……前作への称賛はたまたまだったんだ……ぼくには小説を書く才能がないんだ……実家へ帰ろう……どこまでも澄み渡る青い空……地平線の果てまで広がる道路……野趣に満ちたマトンの風味……すすきののネオンサインがぼくの荒んだ心を癒してくれるだろう……」ウサギくんは夢を諦め、北海道行きの旅券を買いに行ってしまったのです……

しかし冷静に考えてみてください。一つの作品で失敗したことが、一体何を示すのでしょうか? 才能のなさ? 論外です。ウサギくんは既に称賛を得るレベルの作品を作り上げたのですから。作品のつまらなさ? そうかもしれません。しかし彼の周囲に受けない作品でも、他の場所では受け入れられる可能性はあります。少なくとも今の時点ではこれも早計です。周囲に見限られた? あなたは友達と見た映画がつまらなかったとして「こいつには映画選びのセンスが微塵もないな」と思うでしょうか?

何も示していません。少なくともウサギくんの今後の創作活動を方針づけるものは何一つとしてありません。ではなぜ、彼はここまで追い詰められてしまったのでしょうか? その答えは明白です。「自分には実力がない」そう思い込んでしまったから。そしてその原因はウサギくん自身が「作品の出来と実力の有無」を賭け金としたダブルアップに挑戦してしまったからなのです。


④どうしてダブルアップに走ってしまうのか

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ウサギくんはコンビニに旅券代の振り込みに行ったようです。

ウサギくんはどうしてそんな思考の罠に嵌ってしまったのでしょうか? その答えは、そもそもの称賛がうまく受け入れられていないことにあります。ウサギくんは一作目への称賛を浴び、満足したにも関わらず、心のどこかで自分の実力を認めきれないところがあったのです。

「称賛は心地いい」「でもぼくには称賛を浴びる実力がないはず」……ウサギくんの心の中には、そんな矛盾した二つの感情がありました。素直に受け入れてはならない……そんな自罰的な感情は、やがて妥協案を生み出します。「実力があると証明できれば称賛を受けていい」と。これもダブルアップの典型です。既に受け取った称賛を、まるでまだ受け取れていないかのように錯覚し、次の賭け金としてしまったのですから!

しかしウサギくんにそんな指摘は耳に入りません。彼はギャンブルをしている自覚などありません。彼はこのダブルアップをさらなる成功を得る手段ではなく、自身の実力を証明することで一作目への称賛を受け入れる許可を得る、ストイックな儀式だと思い込んでいるのですから。

では、もし儀式が成功していればウサギくんは今も小説を書いていたのでしょうか? それは半分正解です。ここでウサギくんの別の可能性を覗いてみましょう。

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こちらの赤ら顔のウサギくんは、次回作がぐうぜんインフルエンサーの目に留まり、フォロワーは五倍ほど増え、信じられないほどのスキとサポートを貰うことができたようです。有頂天のウサギくんは炙り明太子とビールで乾杯し、サポートで良いキーボードを購入すると、更なる作品の執筆へと入りました。まさに絶好調。誰も彼を止めることはできない……はずなのですが。

おや? どうしたことでしょう? ウサギくんは机に肘をつき、頭を抱えてうずくまってしまいました。

ダメだ! こんな作品……前作より全然ダメだ! ぼくには実力がない……前作はたまたま上手くいっただけなんだ。あの人に拡散されなかったら埋もれてたレベルの作品……みんな雰囲気で褒めてるだけ……ぐうぜんが味方してくれた、それだけなんじゃないか……?」

なんということでしょう! 懊悩の果て、ウサギくんは再び執筆を中断し、自分の殻に閉じこもってしまいました。ですが休み続けることはできません。無理をしてでも動かなければ、せっかく得た成功が風化してしまう……ウサギくんはやがてこう結論づけます。

「いやそんなはずはない! この作品が面白ければ、三作目にも称賛の声が集まれば、ぼくの実力は本物だったと証明されるはずだ!」……おや? この結論には見覚えがありますね。そう、次回作の執筆に悶悶としていたあの頃とまるで同じなのです。

雲行きが怪しくなってきました。三作目の執筆を終えた未来を見てみましょう。二作品を書き上げ、実力を得ていたウサギくんは見事な作品を書き上げ、無事に高評価を受けたのですが……四作目の執筆中にも「ダメだ!」更なる未来、五作目の執筆中にも……「ダメだ!」……

そう、ウサギくんはダブルアップを続けていたのです。どれだけ執筆を繰り返しても、自信という名の財産が彼の懐に入ることはありません。そっくりそのままに次のゲームに賭けてしまうからです。そして近い将来、彼が失敗を経験する時、喪失する自信は累乗式に膨れ上がっています。そして落差のショックに耐えきれず……赤提灯つらなる夜の町へと消えていくのです。確かな努力によって得た大切な財産……彼の作品を心待ちにする読者を残したまま……

もうお分かりでしょう。ダブルアップは一見負けん気で創作エネルギーを生み出す、格好いい「勝負」に見えます。しかしその内実は、いつかは負ける勝負を永遠に繰り返させる、虚無の暗黒への「落とし穴」なのです。自信を持って創作を続けるためには、安易なギャンブルに手を出さず、称賛をしっかり受け止め、心の金庫へとしまい込むことが肝要なのです。


③堅実に続けていくためには

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道中、偶然友達に出会ったウサギくんはやけっぱちで自分の作品を見せてみたようです。

ダブルアップ思考に陥らないためには、まず「賭けたくなる気持ち」を抑えること。そのためには決めつけることなく、他人の言葉を素直に受け入れることです。

伝言ゲームを遊んだことはありますか? あるのなら、はじめに与えられた言葉と最後に伝わった言葉が大きく異なっていることに驚いた経験があるかと思います。言葉は人を介することで変質します。そしてそれは、自分自身も例外ではありません。受け取った言葉を自分の心というフィルタに通すことで、意味が大きく変わってしまうというのは珍しくない出来事なのです。

他人の気遣いの言葉が嫌味にしか聞こえなかったり、逆に自分の言葉をおかしな形で受け入れられてしまったことはありますか? それと同じです。自信を失っていると、言葉はねじ曲がった意味に伝わります。落ち着いた心でゆっくり噛みしめなければ、本当の意味はわからないのです。

それは作品に対しても同様です。「面白い」「スキ」と言ってもらえたのなら、素直にそれを受け入れること。そこにはたいてい純粋な好意があるだけです。純粋な好意に打算はありません。裏の意図を勘繰ったり値踏みをすることはどちらのためにもなりません。

そしてそれは「次も何々なら」「次に何々すれば」と条件をつけることなく、素直に心の金庫へ仕舞い込んでしまいましょう。それは出来上がった作品の対価です。仕事を終えて給料が振り込まれた時「次の仕事で失敗したら、このお金は返さないとな」と思いますか? そういうことです。

称賛をきちんと受け止め、さりとて舞い上がることもなく、何を評価してもらえたのかをしっかり確かめることです。そしてしっかり確かめたのならば追認をしましょう。この作品はすごいものだぞ、褒められるだけのことはあったんだぞ、と自信満々に出張することは、誰よりも自分自身に対して効果的です。

謙遜は美徳ですが、やりすぎると嫌味になりますし、ダブルアップ思考の温床になります。ほどほどのところで成果を誇りましょう。書き手が喜んで自信をつけてくれるというのは、褒める側にとっても嬉しいことなのです。

もし自分を褒めるだけの自信がなくても、形だけ、声に出すだけでもしてみることです。人間の脳というのは、自分で思っているよりも単純なのですから。


④まとめ

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確かに粗かったけど、良いところもあった。
友達の冷静な励ましがウサギくんを落ち着かせてくれました。

・新作への反応と過去作への評価はまるで関係がない。
・受け取った好意はしっかり心の中に仕舞い込もう。
・自分で自分を褒め、心の土台を固めよう。


⑤未来へ

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ウサギくんは創作を再開しました。
苦い挫折の経験は、いつか誇らしい立ち直りの記憶へ変わります。

創作を続ける限り、失敗や自信を失うことはいつでも突き当たる可能性のある問題です。もちろん、失敗せずに続けられる人もいるでしょう。ですが自分がそうである保証はどこにもありません。それならば「失敗しなければ大丈夫」よりも「失敗しても大丈夫」と思えた方が気が楽です。無論、わたしも一人の創作者として、そう考えています。

失敗を恐れることを恥じる必要はありません。ですが失敗を過剰に恐れることは、あなたに何の利益ももたらしません。失敗は辛いものですが、ゆっくりと時間をかけて立ち直り、再び挑戦すればいい。ただそれだけのものなのです。

【おしまい】

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。