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サイコロシアン・ルーレット #16
どうしてこんなことに? ひとしきりの絶望の後には、スーッと気を遠くする後悔が訪れた。あたしは上手くやっていた。この肥溜めを出て行った連中よりも、ずっと上手くやってきた。どいつもこいつも体で魅了し、頭で縛りつけてきた。あの都会から来た男だって、童貞丸出しのバカだったから簡単に手なづけてやれた。この茶番から逃げなかったのだって、5番目は絶対にこないという言葉が本当だって確信があったからだ。
なのに。それなのに。どうしてあたしが銃を撃つことになっている?
「……さて、あんたの番だぜ」
青臭いガキが銃をよこしてみせた。
「ああ。これで最後だな」
ジジイが笑う。黙れ。横のババアも冷笑している。今すぐ撃ち殺してやりたい。このあたしに向かって!
「リーズさん? ほら、とっととダイスを転がしてくださいよ」
男が笑った。何を笑ってる。愛しいあたしがこんな目に遭ってるんだぞ。へつらって慰めてみせろ。目線に困惑と恐怖の色を乗せ、言外のメッセージを伝える。男はまだ笑っている。ふざけるな……と、ここで1つの考えが浮かんだ。
(……待て。このダイスや銃に細工がしてあるんじゃ……?)
なるほど、それなら緊張感の無さにも納得できる。あたしを揶揄っているつもりなのだ。あの男にはそういう幼児のようなジョークセンスがある。今までの付き合いでそれは十全に知っていた。
(脅かしやがって。後で見てろ。徹底的に心を痛め付けてから捨ててやるからな……!)
今までの連中のように、あの男が別れ際に泣きすがる様子を想像し、心を慰める。ガキが横柄に言った。
「早くしろよ。また泣き喚くつもりか?」
「誰が。いいわよ、振ればいいんでしょ? こんなの簡単よ」
「その簡単なことに散々手間取っといてよく言うぜ」
ニヤけるんじゃねえ、喉首掻っ捌くぞ。あたしは鼻を鳴らし、白魚のような指でダイスをつまんだ。振り返り、男を見る。まだ笑っている。……若干の不安が浮かぶ。違う、そんなわけがない。嫌な妄想をかき消すように、軽く放った。
『6』
「……え?」
人差し指で出目を隠す。離す。『6』。6だ。それは、つまり。
「おや、大変な目が出ましたね」
男の能天気な笑い声が鼓膜を揺さぶる。血の気が引いていく。銃に細工? いや違う。声色でわかる。こういう色をあたしはよく知っている。侮蔑だ。バカを見下す時に込める感情だ。ガキの視線に哀れみが混じった。激情が心を満たした。あたしは絶叫した。
「ああああああああああああああああああああああッ!」
騙した? 騙されたのか? このあたしが? あんなつまらない男に? 思考が白に吹き飛び、赤く染まる。胸元に手を伸ばし、振りかえる。谷間から隠し銃を引き抜く。あいつに渡された特注の銃を。椅子を蹴る音が2つ重なる。嫌な笑みが視界に入る。照準をクソ男に合わせる。肩に痛みが走る。掴まれた。直後。
「あっ……がはっ!」
体が床に勢いよく叩きつけられ、引き金に掛けていた指に強い痛みが走った。背中に強い圧力が掛かる。まさか、テーブルを無理やり乗り越えて。推測に答えるように、載せられていたダイスや銃が床に散らばっているのが見えた。
「クソがっ!」
背中の上に乗ったガキが吐き捨てる。こっちの台詞だ。だが空気が肺から絞り出され、声が作れない。
「やれやれ、面倒なことをしてくれますねぇ」
男が言った。指が折れており、引き金は引けなかった。背中の圧力が強まり、思考が痛みに塗り潰されていく。
「……い、たい、たいって……!」
辛うじてそれだけ声になる。圧力は消えない。退けよ。このあたしが痛がってるんだぞ。
「こんな……」
「……が……」
男とジジイが何か言い合ってる。ババアがあたしの銃を回収する。ケースと共に男の手に渡る。男は弾丸を詰めていく。嘘でしょ? あたしたち、あんなに愛し合ったじゃない。
「……ゃ……ぁ……っ」
声が出せない。やめて。どいて。助けてよ。なんだってしてあげるから。内心を読んだかのようなタイミングで、男がガキに言った。
「すみません、そちらの方。彼女の上から退いていただけます? ええ、手足は拘束したままで」
「……チッ」
ガキの舌打ち。背中の圧力が消えたが、手足を押さえつけられる。荒い呼吸で肺に酸素を取り戻す。男が歩み寄る足元が見える。ようやく後悔したのか? 鈍いんだよ、クソが。ガキとババアも退けさせろ。あたしは男の顔を見上げ、媚びた目で見つめようとして、その手に握っているものを見て凍りついた。
「な、に……それ」
「銃ですよ。ロシアンルーレット、もちろんやっていただきますよ」
嫌だ。その声が引きつって出ない。こめかみに硬いものが触れる。手足を動かせない。末路を想像する。嫌だ。嫌!
「い、いや、嫌……!」
必死に口を動かし、それだけ言えた。男は笑顔で答える。
「ははは、あれも嫌、これも嫌じゃ社会を渡っていけませんよ?」
「離して、離しなさいよっ、このクソどもがッ! 離せェッ!」
芋虫みたいにのたうつ。小便が溢れ、スカートに染みていき、太ももを濡らすが、既に恥も外聞も頭から飛んでいた。
「嫌だああァッ!」
「やれやれ、見苦しい。これなら先ほどの……名前はなんだったか。彼の方がマシでしたよ」
「離せ、離せェッ!」
「さっきも言いましたって、それ」
男が鼻で笑う。あたしは叫んだ。
「あんた……アンタたち、なんなんだよッ! 死ぬんだぞ! このあたしが! 人が死ぬんだぞ! なんで黙ってるんだよ!」
会合の間は静まりかえり、誰も答えない。それが余計に腹立たしくて、あたしは激昂した。
「おかしいんだよ! 狂ってんだよ! 人の命を、簡単に……!」
「うるさいんだよ、この小便女がッ!」
べきり。右手側から嫌な音がした。あたしは痛みに絶叫した。ガキの怒鳴り声が続いた。
「今の今まで、ンなこと噯にも出さなかっただろうが! 自分だけ甘ったれてンじゃねえよ!」
「指……あたしの指がっ、2本も……!」
「エリックの兄貴も、ヴィーコの兄貴も、ラルフの兄貴も! クラークも! お前らの仲間だって死んだだろうが!」
「だから何なのよ! だったら人を殺していいって言うの!? あたしは死にたくない!」
怒りと絶望が綯交ぜになる。思考がぐちゃぐちゃになる。論理なんてどうでもいい。感情のまま、思いついたことを捲し立てる。ガキの力が少しだけ弱まった気がした。ならもっと……
「キム、その辺だ。ミハエル。とっととやれ」
ジジイが無感情に言った。待て。待ってよ。まだ……
「はいはい。じゃ、さよなら」
「いやッ、嫌だッ! 死にたくないッ、嫌だッ! お母さん! 嫌! 嫌あああああああああッ!」
ガァン!
金糸の混じった絨毯に、また1人の血が染み込んだ。黒服がリーズの死体を乗せ、外へと去っていく。この役目が最後であることに、安堵のため息を吐きながら。
「……やれやれ、お前さんの部下は厄介者ばかりだったな」
「面目ないですねぇ、ははは。ですがまあ、これで全部終わりましたね」
ミハエルの言葉に、キムは舌打ちする。出来ることなら、あの女に撃ち殺させてやりたかった。だがそれで奴を見殺しにすれば……『友好』の席で死人が出るのを見過ごせば……ファミリーの沽券に関わるのだ。
「結局、引き分けか」
ゴルデルはスコアを見る。どちらの手にも勝利はない。会合の間にいたのは12人。生き残ったのは5人。得られたものは何もない。
「……なあ、ミハエルさんよ。まだやるのかい?」
彼は唐突に尋ねた。ミハエルは訝しむ。
「ハァ? 何言ってんです。これで終わりですよ」
「違う。抗争のたびに、またこんなことをするのか? って言ってるんだ」
「ま、そうなるでしょうね」
何を当たり前のことを。暴君は鼻を鳴らした。カメラの向こう、両組織の構成員たちが震えた。女の惨めで無様な心からの叫び声は、誇りや意地というメッキを錆びつかせていた。熱狂が飛び、正気が戻った。次にあの場に立つのは俺かもしれない。その恐怖が心を満たし始めたのだ。
しかしゴルデルは肩をすくめて言った。
「馬鹿言っちゃいけねえな。これが効率的なもんかい。一番責任を取らなきゃならん奴らが野放しだろうが」
「ほう、それは一体?」
「俺たちだよ」
ゴルデルは豪胆に立ち上がった。彼は年齢を感じさせない鷹揚とした足取りで床に散らばった器具を集め、席についた。そして不敵な笑みを見せ、手招きした。
「俺もお前さんも組織の頭だ。若い連中を犬死にさせてお終いじゃ、下の連中は納得せん。そうだろ?」
その言葉は表面上、ミハエルに向けられたものだ。しかしその内実は、この場を眺めることしかできない、カメラの向こうのブルーオーシャンの面々に向けた言葉である。お前たちはそれで納得できるか? と。
「……」
ミハエルは沈黙した。彼がこの誘いを断るのは簡単だ。だがそれは間違いなく部下の反発を招く。部下がいなくなれば、振るう力がなくなれば組織の存続は叶わない。超然と振る舞ってみせたところで、結局彼は1人の人間にすぎないのだ。彼は不自然なほど冷静な口調で答えた。
「……なるほど。この状況に追い込むために提案を受けましたか」
「何のことだかな。で、お前さんはどうする? 尻尾を巻いて逃げ出すか?」
仇敵の挑発に、ミハエルは冷たい笑みで返す。
「まさか。これは私にとっても好機なんですよ? 散々邪魔してくれたゴルデル・ファミリーのボスを直接始末する、ね」
「いい度胸じゃねえか」
「勝てば死なない。それだけです。さて、さっさと済ませましょうか」
ミハエルは堂々と対面に座った。ゴルデルは口角を歪めて頷いた。キムは内心歓喜する。策は成った。奴は完全にこのゲームが公正であると信じ切っている。これで奴を葬り去ることができる。ブルーオーシャンの消失で生まれるヘイトを、奴自身に集める形で。
だが……同時に不安をも覚えていた。奴は余裕だ。異様なほどの余裕を見せている。まるで自分が死ぬ可能性など、欠片も存在していないかのように。
それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。