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サイコロシアン・ルーレット #11

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「クッ……!」

ゴルデルが唇を噛んだ。キムは歯を食いしばり、瞳の端から溢れるものを堪えようとしていた。アイシャの拳から一筋の血が垂れた。ラルフは静かに目を閉じ、親友の死に黙祷した。エリックと違い、ヴィーコには言い遺す間があった。それが余計に辛さを生んだ。

そして、対面のアルベルトは……出来の悪いドラマでも見ているかのようにその光景を見ていた。

(くだらねえな。実にくだらねえ)

喧嘩売ってきたハゲ頭のアホは、すでに足元で数回痙攣し、そのまま二度と動かなくなった。いいザマだ。だが、次にこうなるのは俺かもしれない……

(ンなことを考えてるんだろうな、この場のカスどもは)

前方から向けられる期待が籠もった目線を前に、アルベルトは静かに思った。

(この俺が死ぬわけねえだろ?)

不敵な笑いがこぼれる。彼はミハエルを振り返る。ミハエルは笑い返した。会合の間に入る直前のやりとりを思い出す。銃に細工済み。ゆえにアルベルトは絶対にこのゲームで死ぬことがない。当然だろう。ミハエルに彼は殺せない。殺せるはずがない。

大手製薬会社を退社し、ブルーオーシャンを立ち上げた当時から、いやそのもっと前から、彼はミハエルを支えていた。彼らの出会いは会社の研究施設だった。ミハエルは研究員の中でも飛び抜けて有能な男だった。しかし、コミュニケーション能力とプレゼン能力……社会人にとって何より大切なこの2つが致命的に欠けていた。

アルベルトはそんな彼の潜在能力を見抜き、すぐさま自身の研究チームに取り込んだ。そして上司と部下の関係でありながら、親友になった。

親友。然り。お互いに欠けているものを補い合う理想的な関係だ。彼はミハエルの苦手な人付き合いを代行し、代わりに研究成果の大部分を自分の手柄として社に発表し、上がった給与や報奨金をミハエルに分け与えた。

上司は部下が名を上げることを決して許さなかった。より有能な代行役に名乗り出られては困るからだ。部下も多少の不満こそあったが、爪弾きにされなくなったことには感謝していた。そんなある日、アルベルトは実験室で奇妙な物を見かけた……

「……何だ、この青色の粉は」

鉄色の空間。アルベルトは試験管に入った謎の粉を見て尋ねた。親友は目線を合わさずに答えた。

「ああそれ? ドラッグですよ」

「……合法だよな?」

「おそらくは。この構造はまだ出回ってないはずですからね」

「何だって? お前が作ったのか?」

「ええ。ニュースで見たんですよ。流行ってるって。で、余暇にやってみたら出来たんです」

まんまるな泥だんごを親に見せる子供のように、研究員は楽しそうに笑った。一方のアルベルトは肝を冷やす。コイツ、そのうちゾンビウイルスでも作り出すんじゃないか?

「んん……とりあえず誰にも言うなよ」

「何故です?」

「そりゃお前。企業イメージってのがあるだろ。立場上マズいんだよ」

「そうですか。……面白そうだと思ったんだけどなぁ」

ミハエルは机に頬杖をつくと、試験管を揺らしてため息を一つ。アルベルトはコーヒー用の湯を沸かしながら呆れた。

「やれやれ。とんでもないことを……これ、どんな気分になるんだ?」

「んー、そのですね。海です」

「海?」

「そう、こう、海をですね。広いでしょ? 広いですよね。海は地球に元々あったから、すごく広いんですよ。俺たちの祖先だって海から生まれたんです。だからイルカが賢いのは特段不思議なことじゃなくて、そのだだっ広い海に俺が1人浮いている、みたいな感じになるんですよ」

「さっぱり分からん」

上司は眉間を押さえた。毎度のことながら、翻訳機が欲しくなる説明だ。

「じゃあ主任、試されますか?」

「結構だ。俺はまだ死にたくないからな」

「体に害はありませんよ?」

「どうして分かるんだ」

「だって分かりますから」

説明になってないぞ。アルベルトはそう言いかけ、口をつぐんだ。説明を頼んだところで新たな暗号が増えるだけだ。

「はぁ……ん」

と、彼はふと可能性に気づく。

「どうされました?」

「これ、まだ作れるか?」

「まあ、材料費があれば」

「俺が出す」

「量によりますけど、結構掛かりますよ?」

「大丈夫だ。予算をちょろまかせばな」

「あらら」

そうして彼らは未知のドラッグの生成を始めた。快楽度。依存性。幸福感。禁断症状。アルベルトが求める数値を指定すると、ミハエルは即座に成果を出してみせた。天才。上司は舌を巻いた。彼とてそれなりに知恵の回る男であった。だが……いや、だからこそ……ミハエルが桁外れだということがわかった。

アルベルトは秘密裏に実験を繰り返した。強い快楽。低い依存性。幸福に満たされる感覚。そして果てしなく辛い禁断症状を持った新式のドラッグ。手軽な材料で量産可能な、無限に金の成る木を。次第に予算を使い込む額は増え、やがてコトは露見した。

「若返りの薬を作りたかったんです」

査問会の場。刺すような視線が全方位から突き刺さる中、アルベルトは臆面もなくそう言った。それに関わる偽の研究成果は既に仕立ててあった。彼らは製薬会社を穏便にクビになった。問題はない。むしろ辞表の文面を考えていたアルベルトにとっては渡りに船のことだった。

「この先どうするんです? 俺はアンタが作れっていうから作っただけなのに!」

酒の席。ミハエルは溜まりに溜まった不満を叩きつけた。成果物が何を引き起こすかには興味が無かったが、収入が失われるのは困る。弱々しい剣幕で詰め寄る元部下に、元上司は静かに言った。

「終わったことをゴタゴタ言うんじゃねえ。それにお前の次の職なら用意してある」

「次? それって何です?」

「ギャングだよ」

「はぁ?」

「計画は出来上がってる。お前はこれから好きなだけ研究ができるんだ」

アルベルトはにんまりと笑った。

……それからの行動は驚くほど上手くいった。カンザスを離れ、同僚から聞いた『ドラッグのない町』へ。住民を誑し込み、徐々にヤク漬けにしていく。なんちゃらファミリーがしゃしゃり出るよりも早く。そのための弾は無尽蔵にあり、駒も簡単に集まった。

違法行為を厭わぬ連中に対してもっとも効果的なのは、排除することにリスクを孕む存在になることだ。アルベルトはそれを心得ていた。ファミリーは所詮、違法な存在だ。住民の暗黙の支持を失えば瓦解する。海賊版を作られた時はヒヤリとしたが、それでも実験ネズミは『本物』の幸福感を、ブルーオーシャンを求め続けた。

組織は繁栄した。誰のおかげだ? 無論、俺だ。そう、上手くやったのはこの俺だ。いくら規格外の天才といえど、ミハエルは所詮ギークに過ぎない。ブルーオーシャンはこれからもっと大きくなる。それに俺のような有能な人材は必要不可欠だ。ゆえに、俺は守られる。

ただよう硝煙の香りも、酸鼻な血と脳漿の臭いも、手元で鈍色の光を放つ拳銃も、その何もかもがくだらない。……だがまあ、こういう役割を任された以上、演じないわけにもいくまい。

「じゃ、始めるぜ」

クールに決める。アホどもの羨望の眼差しが心地よい。彼は無造作にダイスを放った。


『4』


「ま、分の悪い賭けだな」

余裕の表情で口笛を吹き、机に足を載せて椅子にもたれかかると、彼はミハエルを横目で見た。相棒は薄ら笑いを浮かべている。釣られて笑みが浮かぶ。

(面倒なコトさせやがって)

居並ぶ低能どもに蔑みの視線を送り、彼は引き金を引いた。






ガァン!






……1セットのゲームが終わった。元上司は目を見開き、鼻血を垂らし、脳味噌を床にブチまけて死んだ。この上なく無様な死に様を見て、ミハエルは痛快な笑みをこぼした。

「……何を信じていたんでしょうね、あのバカは」

【続く】

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。