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サイコロシアン・ルーレット #18

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「ほら、ミハエルくん。フィリップくんに謝って」

クラスメイトが僕を取り囲む。先生がフィリップの肩を優しく抑えている。僕はただ、孤独に立たされている。

「謝れよ!」

「謝れ!」

「自分が何したか分かってるの!?」

分からない。僕はなぜ自分が槍玉に挙げられ、罵声に取り囲まれているのか本気で分からなかった。僕が何をしたっていうんだ。誰かを殴ったか? 何かを奪ったか? いや、何もしていない。フィリップのやつが勝手に傷ついたって言ってるだけだ。

「ミハエルくん」

「先生、僕は、何が」

「胸に手を当てて、自分で考えなさい」

そうだ! そうだ! 賛同の声が浴びせられる。自分で考えろ? 考えたって分からないから聞いてるのに。賛同の声はますます強くなる。先生は見ているだけだ。フィリップのやつは次第にニヤニヤしはじめた。何だよ。傷ついたんじゃなかったのかよ。

(ゴミみたいなグローブだな。そんなの捨てちまえよ)

あの日、確かにそう言った。でもそれが何だって言うんだ。事実を指摘しただけだし、それがあいつの親父の形見だなんて僕は知りようがなかった。なのに何で、僕が謝らなくちゃいけないんだ?

「前からムカついてたんだよ、コイツ! 余計なことばっか言いやがってよー!」

「空気読めてないよね」

「偉そうなことばっか言ってさ!」

3人が喝采を浴びる。賛同は罵声に変わり始めた。僕は何も悪くないのに。本当のことを言っただけなのに。目の前が滲んでいく。先生が無理やり顔を上げさせる。泣き顔を晒し上げられる。男子がダサいと笑う。女子がキモいと罵る。フィリップが笑っている。……結局僕は、頭を下げた。

サイコパス。本を読むのが好きだったから、僕はその言葉を知っていた。精神病質者。集団で弱いものを取り囲み、好き放題に虐め、それを正しい行いだと嘯く。正しさを問われると逆切れする。狂った行いだ。奴らはサイコパスだ。僕だけがまともな人間なんだ。

それからの日々は地獄だった。僕に何をしても連中は許されて、僕は何を言っても罰を受けさせられる。次第に僕は口数を減らし、誰とも関わらなくなっていった。

飛び級を繰り返すたび、僕を囲む顔ぶれは変わった。けれどもエンカウントはしつこく繰り返された。僕はどの集団においても敵と遭遇し、排斥される存在へと変えられた。ハイスクール。大学。ビデオ再生するように面接を受け、大企業の研究室へ。そこにも人間はいなかった。いや、1人いた。人間だと思えたやつが。アルベルト。

アイツは終始友好的だった。僕が普通に生きるために手を回してくれた。親友と、そう呼んでくれた。それがただ嬉しかった。アイツが僕の全てを理解してくれなくても構わなかった。でも『いつか彼も僕を裏切るのだろう』という恐怖はどうしても消えなかった。

だからドラッグが見つかった時、僕は嘘をついた。あんなものが適当に作れるわけがない。あれは密かに研究していた、僕の理想を実現するための試作品。つまりはサイコパスの治療薬だ。快楽と苦痛、飴と鞭の観点からのアプローチの産物。『自称』人間から、僕のような本物の人間へ矯正する。汚れた海を浄化し、青い海を取り戻す。そのための試作物なのだ。

しかし、アルベルトはそれのドラッグ的な効能に価値を見出した。だから僕は、彼が望むものを作ってやった。その過程で真のブルーオーシャンのためのデータ収集を行いながら。それで満足していた。仕事を失っても、夢のための研究費を提供してくれるならそれで良かった。あの男に……ゴルデルに会うまでは。


◆ ◆ ◆


「……騙されてる? この私が?」

ブルーオーシャンの本部。遮光カーテンに月明かりが遮られ、モニターの光だけがミハエルを照らす。彼は敵対組織のボス……タリエイ・ゴルデルと秘密の通話を行なっていた。

「そりゃな。ちっと考えりゃ分かるだろ。奴はお前さんを利用しているだけだぜ」

ゴルデルは呆れてみせる。ミハエルは食い下がった。

「それは……多少は分かってますよ。でも、それは、相互利益の……」

「違うね」

ゴルデルはピシャリと遮った。そして身を乗り出して言った。

「相互、じゃねえ。あるのは奴だけの利益だ。……言い方が温かったな。つまりは搾取されてんだよ、お前さんは」

う、とミハエルは呻いた。彼には社会経験がない。人と深く関わった経験もない。ゆえに彼は、言動の裏を読むことが致命的に苦手だ。対人技能は『仲良しの会』と称して吊し上げられた、あの頃とさして変わらない。その自覚もあった。だからこそ、その可能性をひしと感じ続けていたのだ。

「ですが……」

反射的な否定を、ゴルデルは強い言葉で断ち切った。

「認めな。奴は敵だ。お前さんを縛り続けている。何故か分かるか? ……お前さんに力があるからだ」

「力……?」

「金を生み出す力。ドラッグを生み出す力さ。だから奴はお前さんを飼い殺しにしてきた。これがどういうことか分かるか?」

「……何を言うつもりですか」

「お前さんは無力じゃない、ってことさ」

ゴルデルはじっと見つめた。カメラ越しの視線とはいえ、ミハエルはそれに吸い込まれるような錯覚を感じた。老人は厳かな声で続けた。

「お前さんは強い。自立するための力がある。だが奴はそれを隠し続けている。無力と錯覚させ、首輪を嵌めている。自分の利益のためだけに、な」

「……」

短い沈黙。ミハエルはいつでもこの会話を打ち切ることができた。だが、そうはしなかった。ゴルデルはやがて神妙な面持ちで言った。

「どうだい、ミハエル。……鞍替えしてみねえか」

「鞍替え……?」

「乗り換えるんだよ。いつまでも上司気取りのカスから、この俺にな。俺は奴よりももっと、お前さんに利益をもたらせる。対等な取引ができる」

対等。その言葉にミハエルの胸が高鳴った。だが。

「でも、あなたはゴルデル・ファミリーの。ドラッグを締め出し続けた一族の筆頭でしょう? それは家族への裏切りではないんですか?」

「ああ? ……ははは」

ゴルデルは笑い出した。彼は愉快そうに続けた。

「確かに、俺にはたくさんの家族がいる。……だがな。人間は俺、ただ1人だけなのさ」

その声はどこか陰気で、厭世的な色を帯びていた。……同じだ。ミハエルは思った。この男は僕に似ている。孤独であり続けている。彼なら。彼と一緒なら。僕は、普通の人間であれる。

それからしばらくは良好な関係が続いた。ミハエルはドラッグを作り、アルベルトが販路を広げ、ゴルデルが影からそれを支えた。この世界を、いや、社会を壊すために。でもその関係も今日を持って終わりだ。

彼はゴルデルの裏切り……暗殺計画の情報を既に得ていた。渡された音声データには、計画の一部始終が記録されていたのだ。

だからミハエルは追加で取引し、武器を手に入れておいた。持ち込みはリーズに任せた。あの女はアルベルトやゴルデル同様、僕を利用できていると信じている。だから護身用として渡した銃を、まんまと会合の間へと持ち込んでくれた。不発弾を詰め込んだ銃を向けられた時は、思わず笑ってしまいそうなほどだった。

この銃はファミリーが用意したものと同じ型であり、同じ改造が施されている。ただし結果をコントロールするのはミハエルだ。ダイスもまたミハエルの操作下にあり、必ず『3』を出す。『1』でないのは、胡散臭さを払拭するためだ。どの道シリンダーは弾のない部位で停止し、弾が発射されることはない。

一方、ゴルデルのダイスは必ず『6』を出す。それでもメンツで生きる奴は後へは引けない。だからヴィーコを『6』で殺しておいたのだ。腹心の覚悟を裏切り、醜態を晒せば奴は終わりだ。そして奴がどこでシリンダーを止めようが『6』であれば結果は変わらない。

勝つのは僕、ただ1人。ゴルデルは裏切りの代償を支払う。それが確実に訪れる未来だ。でも……苛立ちが募った。絶望的な状況を奴も察しているはず。なのに奴は、いつまでも不敵な表情を崩さなかった。

【続く】

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。