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サイコロシアン・ルーレット #10

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ありきたりな話だ。ヴィーコは己の過去を語る時、決まってそう前置きをする。それは端的な事実であると同時に、そうあって欲しいという彼の願望でもあった。

ヴィーコが5つの時、母は家を出た。理由は良く分からない。おそらくクアドンの閉鎖性に嫌気が差したとか、まだ若い自分の可能性を試したいとか、そんな理由だろう。それからさほど日も経たぬ内に、父もこの世を去った。享年61。意気軒昂に生きてきたが、思わぬところで躓くと、そのままあっさりと死んでしまった。

父には金があった。ヴィーコにはその価値が分からなかったが、ともかくその大部分が彼の手に渡った。金に呪われた幼児に待っていたのは、当然ロクな運命ではない。ヴィーコは小切手帳に付属する、出来の悪いペンだった。

やがてたらい回しが始まった。祖父。叔母。従兄弟。隣人。そして叔父。程なくしてヴィーコは叔父の家を出た。先のことは考えていなかったが、2つほど分かっていたことがあった。1つ。金があれば生きていける。2つ。命は金よりもずっと重い。

やがて8歳の怪物は、誘拐という犯罪に手を染めた。自身と同じような年頃の子を誘い出し、使われていない納屋に押し込み、その親に金品を要求したのだ。大人と戦っても勝てないことを、彼は嫌というほど知っていた。だから弱みを握った。単純な理屈だ。

犯行そのものも至ってシンプルだった。ゆえに特定も早かった。西日が差し込む、天井の壊れた廃工場。金を受け取りに行ったヴィーコが見たのはドル札の束ではなく、自身を取り囲む、叔父よりもずっと背の高い男の集団だった。

「離せよ」

両腕を別々の男に持ち上げられたヴィーコは、そう吐き捨てて見せた。拘束者たちはこの少年を扱いあぐねているようだった。もし彼がもう一回り大きければ、彼らは遠慮なくヴィーコを殴り飛ばしただろうが、今の彼はどう見ても年齢1桁の、殴ればそのまま死んでしまいそうなほど痩せた子供だ。中折れ帽をかぶった壮年の男だけが、この小さな犯罪者を真っ直ぐに見据えていた。

「いいぞ。だがまず人質を解放してくれ」

「嫌だと言ったら?」

「言ってどうする?」

男はニヤリと笑った。ヴィーコは答えに詰まった。そこまで考えてはいない。

「そこまで考えてなかったんだろ? ただ素直に言うことを聞くのが嫌だった」

「うるさい」

「やはりガキだな。行動力こそあるが、後のことをまるで考えていない」

「うるさいって言ってるだろ!」

「それで黙ると思ってるからガキなんだ」

「……!」

少年はもがいた。激情のままに身を乗り出し、このいけすかない大人に噛み付いてやろうとした。だが敵わない。両腕の男に腕を抑えられ、足も頭も届かない。やがて彼は諦め、肩で息をした。

「そういう無駄なことをするのも、ガキにありがちなこったな」

男は楽しそうに笑った。ヴィーコは絞り出すように言った。

「……殺せよ」

「ハハハ、俺が殺したらお前、死ぬんだぞ」

「あのガキならエイゼル・ストリートの裏路地だ。緑の屋根の空き家は、パイプを伝って2階に入れる」

「ほう、それはいい情報だ」

男は取り巻きの何人かに指示を出す。彼らは頷き、すぐに人質の元へ向かう。廃工場には男とヴィーコと、それから彼を抑える2人の男が残る。

「もう用はないだろ。殺せよ」

「だから、殺したらお前が死ぬんだっての」

「関係ないだろ」

「関係あるさ。寝覚めが悪くなる」

男は葉巻を咥え、着火する。燻されたコイーバの匂いがヴィーコの記憶を刺激した。

(……これ、父さんの……)

「フーッ……さてヴィーコ。お前さんには2つ、選択肢がある」

パチン。男が指を鳴らすと、ヴィーコの体は地に落ちた。腕がじんじんと痺れる。困惑しながら見上げる少年に、男は続けて言った。

「1つはこのまま回れ右して、行き当たりばったりの生活に戻る道。2つ目は」

男は手を差し出した。逆光の下、力強い目と大きな手のひらがヴィーコの視界を占有した。

「俺たちの元へ来て、共に暮らす道だ」

「……」

ヴィーコは呆けたようにその手を見ていた。なぜ。

「なぜってか? ガキは大人に甘えるもんだぜ」

「でも」

「メシは食わせてやる。仕事も手伝わなくていい。ただし学校は行けよな」

「どうして」

「お前、親父にも同じこと聞いたのか?」

「……」

幼いヴィーコの中で混沌とした感情が渦巻く。言うことを聞けよ。願ってもない話だろ? 父が死んでから今までに溜め込んだものが、堰を切って溢れそうになる。でも。

「俺は……」

男は何も答えなかった。代わりに、黙って手を差し伸べ続けた。2分。3分。5分。10分。沈黙が続いた。やがて少年は、ゆっくりとその手を取った。

「……分かったよ。付いてってやる」

「そうしろ、そうしろ。……ああ、そうそう。俺のことは親父って呼べよ」

「何でだよ」

「気分がいいからだ」

「ぜってー呼ばねえ」

「ああ、そうしろ」

取り巻きがヴィーコを諌めようとするのを静止し、男は心底愉快そうに笑った。

「……アンタの名前は」

「タリエイ・ゴルデルだ」

「よろしくしてやるよ、ゴルデルさんよ」

ゴルデルはにんまりと笑うと、彼を引き起こした。少年の小さな手は、男の大きな手のひらに包まれた。それは暖かかった。ファミリーの事務所へ向かう車の後部座席。己の膝に顔を押し付けるようにして、ヴィーコは泣いた。それが彼らの出会いだった。


◆ ◆ ◆


(……色々あったな、俺も)

己の死を前に、ヴィーコは追憶する。先んじて碗の中に投じたダイスは『6』を示している。すなわち、込める弾数は6。確率は6分の6。

「ほらほら、ボーッとしてないで。早く弾を込めたらどうです?」

ミハエルが嬉しそうに喚く。まるで子供の頃の俺だな。ヴィーコは苦笑する。

「ああ、ちょっと待て。……キム」

「はい」

「お前はまだ若く、失敗も多い。だがそれに負けず、前を向き続けろ」

「はい」

「それと、こういう場では泣くな。……アイシャ」

「はい」

「お前は……まあ、普段から落ち着け」

「できる限りは」

「ああ、それでいい。……ラルフ」

「おう」

「先に逝く。後のことは頼む」

「……ああ」

「それと……この間、答えられなかった質問だがな。答えは……」

「イエス、だろ?」

「ああ。で、最後に……親父」

「……」

ゴルデルは黙ってヴィーコを見返した。息子は目線を合わせ、素直に笑いかけた。

「ありがとう。アンタに会えて良かった」

「ああ。……俺もだよ」

未練は無くなった。ヴィーコは手元の銃に、手入れをするような気安さで6発の弾丸を装填し、シリンダーを回転させた。無論、意味などない。気分の問題だ。……俺は存外、律儀なタイプなのかもしれないな。彼は苦笑した。

(エリック。俺も今行くぞ)

銃口をこめかみに当てる。一瞬、おぼろげになった実の父母の姿が浮かぶ。引き金を引く。一連の動作は滞りなく完了し、彼の意識は永遠の闇に消えた。

【続く】

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。