【備忘録的下書き投稿】死ねない話
これは2~3年程前に書かれた下書きをR5年に再投稿したものです
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私は今、IBやDPと呼ばれるカリキュラムを受けている。これは知らない日本人も多いと思う。私だって今在学している学校を知るまでは知らなかった。
詳細はググって貰えば何となくわかるかもしれないが簡単に言うと一般の高校での学習とは異なった勉強である。高校生では勉強しないような深い歴史の話であったり、小説を1冊読み切って読み取りをしたりする珍しい学習であると思う。私はそれをこの4月から取り組み始めた。
カリキュラムの期間は約2年間。日本では高校2~3年生の間に行う。コロナウイルスによる休校期間があったことから遅れが出た部分もあるが概ね例年と同じようなペースだと思われる。
この難しい勉強をしなくてはならないIBの学習は私にとってはとても大変なものであった。元々偏差値もそんなに高くなく、選択した理由は暗記が嫌いだから受験勉強をするよりは楽しそうだし頑張れそうという理由。しかし始まってみれば覚えなければならないことは沢山あり、やらなければならないことも沢山あった。
昨年度の冬辺りから疲弊しており、春季休暇中に少し戻ったもののあっという間に戻ってしまった。体重は増減するようになり、精神面はボロボロである。平日は毎日授業も課題もある。休日も寝て課題消化をしているうちに気が付いたら終わる。やる気が出なくても何もしていなくても終わる。1日は短いし1ヶ月もあっという間だ。明らかに時間が足りない。苦しい。本当はこんなもの書いている暇は今日はない。それでももうだめだった。何処でもいいから吐き出したかった。
将来が楽だとか色々言われているけれどそうは思えないしそうだと決定していないのであれば既に価値を見いだせなくなった。日本での認知度の低いこのプログラムはあまり役に立たないのではないかと思ってしまった。毎日がしんどい。友人からの連絡もTwitterの相互のツイートも相手を嫌いになりそうなものばかりに見えて返事ができなくなった、いいねを押さなくなった。家族ですらも嫌悪の対象になった。家にいても学校にいても外にいてもしんどい。消えてしまいたい。何かある訳でもないのにつらい。気が付いたら泣いてるし人の声が存在が嫌になることが増えた。好きだった声でも苦しくなることも増えた。
なんのために生きてるか分からないしこれから特にやりたいこともない。死にたいと思うことが増えた。電車が来る度に線路に飛び込んだら楽なんだろうなと思いながらその電車に乗る。かろうじて聞ける好きな声の人の歌う歌を大きな音で聞く。周りの音が嫌だから。前よりも耳に自分から入れる音が大きくなった。2倍程の音量でも足りなくなった。耳が心配である。それでも望まない人の声は聞こえる。苦痛である。
今のこのnoteを書いている引き金を引いたのは恐らく父親だ。疲弊して帰ってきた私に対して「何かあったのか」と聞いてきた気がする。疲れていると返したらそんなに怒らなくてもと言われた。こんなに辛いのに苦しいのに頑張っているのに何かあったのか、何も無ければ疲れていてはいけないのか。彼は私に対して以前に学校くらい行けといったことがある。それは私が学校に行きたくないと朝から泣いていた日だった。学校くらいとは何だ。その日は結局遅刻をしたが学校へは行った。登校中何度も死にたいと思った。その前から嫌気はしていたがそれ以来私は家にいるのが嫌になった。1ヶ月ほど前の事だと思うが今でも許していない。
なんのために勉強しているのだろう。生きるために勉強しているのではなく、勉強するために生きている気になるしそれは事実だろう。今このつらい物を乗り越えきれずに死ぬなんてことがあったらそれこそ本末転倒だ。なんでこんなに頑張らなければいけないのだろう
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