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VOL.11 個人の自由の権利と社会の一員としての責任と義務を学ぶ、アメリカの小学生

美枝です。アメリカで、小学校2年生の男の子を育てています。

今日は、子どもが学校の授業で、権利と責任について習ってきたので、そこから気がついたことを書きたいと思います。

今回、子どもは3つの概念について学んでいました。

1)citizen(グループのメンバー)

citizenは、「グループのメンバー(member of group)」と定義され、「教室」というグループのメンバー(citizen)は、そのグループを良くするようにしなければならないと学びました。

2)responsibility(責任)=something that you should do(しなければならないこと)

人は、そのグループに上手く所属するため、責任(responsibility)を果たさなければならない(everyone has a responsibility to be a good citizen.)それは、学校で言えば、「ルールを守ること」「様々な文化を尊重すること」、家ならば「お手伝いをすること」だと学んでいます。

3)権利(right)=守られる自由(a freedom that is protected)

人には、集会や言論、出版の自由があり、どんな宗教を信じるかも自由であると教えられていました。学校では、「安全である」権利があると教えらています。

私が日本で学び育ったときは、このような概念を学んだのは、もっと大きくなってからだったと思います。そして、教科書に載っている言葉として学び、何か自分とは遠い概念のように感じていました。自分事として捉えていなかったと思います。

しかし、子どもは、小学校2年生で、これらの概念を学び、今、自分がいる教室の中で、自分たちが守るべき責任(responsibility)はどんなことで、権利(right)には何があるかを、具体的に自分で考えていました。

ここから私は、以下の2つを感じました。

第一に、アメリカでは、自分という「個人」と、所属する集団の境界をはっきりと持つことが必要とされている。

アメリカでは、宗教も人種も多様で、みんなが違うということが、当たり前で認められています。それは、それぞれの「個人」が好きなことを見つけて、それをしていくことを意味します。

しかし、みんなが好きなことをしていたら、バラバラで社会として統制が取れない。そこで必要なのが、「個人」が自分の権利と責任をしっかりと理解して、それを守っていくことだと思います。

日本では、「出る杭は打たれる」という例えがあるように、集団のみんなが同じであることが好まれるように思います。その場合、個人とその集団の境界はあまりはっきりしておらず、集団の中にいることで、なんとなく統制が取れている感じがします。自分の権利と責任は、特別に意識しなくてもいられます。

第二に、私の子どもが大人になる10年〜15の未来を考えた時、AIが台頭し、変化のスピードも速く、瞬時に自分の置かれた状況でどうしていくか、自分の好きなことや強みを生かして、探究的に、選び取っていく時代になると思います。

そんな探究的に、多様に行動していくとき、「個人」の権利と義務をしっかりと理解していることは、とても大切だと感じます。

子どもが学んでいた中に、「安全であるということは、権利であり義務である」(Safe is a right and responsibility.)という言葉がありました。

10年〜15年後、世界はますますボーダーレスになり、子どもは、世界中のどこに住み、何をしていくのか、想像もつきません。そんな時、自分の権利と義務は何なのか? を理解して、自分が生きる環境を自分で作り、探求していける力をつけて欲しいと感じました。

皆さんは、自分が今いる環境で、権利と義務が何か、考えたことがありますか?

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